素晴らしい所だ、功士はバーをみて素直にそう思った。外から見たとおり、中も派手過ぎず落ち着いたバーであり、功士好みの静かな場所だった。密かに此処を行きつけにしてやろう、などと考えてカウンターに座っている清道を見て、功士は声を掛けた。
「君が飲みに誘ってくれるなんて、はじめてだね。」
 いきなり声を掛けたのに関わらず光栄だよ、と笑ってみせた功士を見て、清道はグラスを揺らすだけだった。端から見れば、そっけない態度に感じるが、それが照れている事を功士は知っているので、黙って見た。清道の隣に座ると用意されている、カクテルを前に功士は首を傾げて清道を見る。
「なんだい、これ」
「お前に合ったヤツだ」
 きらきらと光るグラスには、オレンジ色が光っている。そのカクテルは度が弱いようで、どう考えても女性用だ。功士は一度目を輝かせたが、すぐに清道の方を見てくやしそうな顔をした。
「清道くん、僕のことを馬鹿にしているだろう」
「いらないか?」
 いらないなんて言ってない。
 功士はむきになって飲んで、清道を睨むが、すっきりした苦みと甘みがマッチして文句が言えなくなる。そして飲むにつれて、やはり自分に合い、好みのグレープフルーツが手を進ませる。
「美味しいよ、すごい!」
 先ほどまで睨んでいた相手に笑顔を向ける功士に、その相手は肘をテーブルにつきながら満足そうにした。それを聞いていたマスターは人気の新メニューです。と気分良く言う。功士はそのままマスターと話し込み、はじめてではないかのようにのように打ち解けた。清道は静かにそれを、見るだけである。
 清道は、昔から人と話すことが苦手だ。と言うより人が嫌いで、自ら関わることを避けていた。だが、妻は違った。閉ざされた清道を外に出してくれた。そんな妻、結羽(ユウ)との間に春が生まれ、誰とも関わらず生きていくはずだった。それだけで幸せだったから。なのに―…。
 俺は、いつの間にか、功士に依存するようになった。
 清道は友達など求めてもいないし、いらないと思っていた。それなのに功士は、自分のなかで必要不可欠のものになっていくのを感じている。それのなかには、特別的な感情が含まれているのを嫌というほど分かっていた。
 マスターと話して清道をほったらかしにしている功士を、清道はただみて、少し考えた。

「功士」

 名前を呼ばれたことで、功士はマスターとの話を止めて清道を見る。清道の普通の顔をしていたはずなのに、功士はなんで機嫌悪いの、と聞いてきた。清道は顔に出てしまったことを情けなく思いながら、話をかぶせる。

「俺と会ったときのこと、覚えているか」

 覚えているはずもない。清道は少し意地悪な問いかけをした。功士はうーん、と言ってから人差し指を立ててひらめいたかおをする。

「マンションの部屋を借りる、挨拶に来たとき」
「俺は居ない」
「あ、じゃあゴミだしの時だ」

 これは絶対合ってるよね!
 自信満々に言う功士を、清道は笑いながら頷いた。そのあと、満足気に功士はカクテルを飲んだのをみて、清道もゆっくり酒を煽った。


 やっぱり、覚えていないか。
 清道はがっかりしながら思う。本当は清道と功士はその日の前に会っていたのだ。


―――「おい、起きろ」
 清道は階段に寝ている男を力強くゆらした。男はどうやら酔っているようで、清道の言葉や行動はまったく頭には入っていない。
 困ったな、おい。
 清道は最近、ここのマンションに引っ越ししたばかりだった。仕事場からの帰り道もあやふやになりながらも帰ってきて疲れているのに、階段を昇ったらこの男が寝ていた。最初は見なかったことにしようと思ったのだが、季節は真冬。タイミング悪く、珍しい雪まで降っていたので、もしかしたら凍死するかもしれない。清道は仕方なく、男を起こすしか無かった。

「起きろ」
「んー」
「おい、本当に置いていくぞ」
「もう、…やめてくれ」

 やめてくれだと?
 清道の頭の血管が切れそうになる。こちらは善意で仕方なく起こしているのに、やめてくれ、など言われたら苛立つのが普通だ。
 やっぱり、関わらなければ良かった。
 清道はそう思い立ち上がろうとすると、もう一つ呟く。

「美奈子さん、りいやを、苦しめないで、くれ」

 清道は男の言っている意味が分からない。何を言っているんだ、問い掛けようとすると、男は、
……泣いていた。

「お、」
「すみません」

 声を掛けようとすると、後ろから声が聞こえる。後ろを振り向けば、そこには春くらいの幼い子供がいた。道を邪魔したか、と退けば、男の子は男を見つめる。清道は帰ろうとすると、男の子が清道を引き止めた。何事か、と見れば鋭い目付きで言う。

「コレ、家まで運んで下さいよ」

 生意気な口をきくガキだ。
 でも自分も気になってはいたので男を背負うと、男の子が案内する通りに階段を降りた。男の子は相変わらず、冷たい目をしている。
 清道はこの二人の関係が気になった。父と子ではないような気がするし、他人ではもちろんないと思う。しかも、この子供がなぜこんな冷たいのか、凄く気になる。もしかしたら虐待をしているのか。頭に過るが、先ほどの涙を思い出し、男がそんなことをするようなやつには見えない。
 清道は、話さなくても良いのに、何故か興味本意で聞いた。

「なぁ、りいや、ってやつ知ってるか。」

 美奈子、という女に、りいや、という子が苦しめられていて、男はそれを止めようとしている。
 男の子見れば、頷くだけなので、清道は続けた。

「この男が呟いていた。美奈子という人に向かって、りいやを苦しめるな、と。泣いていた。」

 これを言って、何になるのか、清道にも分からなかった。だけど、この子供に言わなければならない気がしたのだ。男の子は何も言わなくなったので、言っても意味はないかと思って、案内された近くの家の前に行くと男を下ろす。さぁ、帰ろう、と男の子を見ると、男の子は男を見ていた。
 だがどこか違う。男の子の目が、冷たくない、優しい目に変わっていて。
 あぁ、こいつが“りいや”か。
 清道はすぐに分かった。立ち去る時、さりげなく目を向ければ、男の子は男の涙をふくと、男を引きずりながら家に入れて行く。清道は、少し胸のなかが温かくなるのが分かった。

 そして―…。

「ああ、はじめまして! 尾形さんですよね。僕、功士っていいます。一応このマンションのおおやなんですけど、」

 次の日、男はゴミ捨て場で、昨日とはまったく予想もつかない笑顔で清道に話し掛けてきた。しかも“はじめまして”と、ご丁寧に忘れている。
 こいつ、世話になったことすら忘れてんのか。
 無視しようとしたが、清道は昨日から男の泣き顔が頭から離れなくなっていて。その上、次の日に全てを隠したような笑顔を出してくるから。

「はじめまして」

 昨日を忘れたいようなら忘れさせてやる。
 清道は初めて人を気遣いながら、そう言葉を掛けたのだった。



「さて、もうおしまいかな。」

 功士はそういうとカクテルを置いた。昔の思い出に浸っていた清道は、曖昧に頷くと、功士は笑う。

「今日、会えただけでも嬉しかったよ」

 そう、ゆっくり、告げるので。

「…もう酔うなよ」

 俺はやっぱり、あの日からお前にひかれてる。
 清道はそう思うと、功士の頭に手を置いた。功士は不思議そうな顔をして、清道を見るだけだった。






人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -