日曜日の午後12時のお昼時。ちょうどぴったりに、インターホンが鳴った。このインターホンが鳴るのは久しぶりだ。春くんは来るけど最近は鳴らさないで入るようにいってあるし。何か頼んだっけ、などと通販の雑誌を思い出す。もちろん、理依哉は出るはずもないことなど分かっているので当たり前のように立つと扉を開ける。するとそこには意外な人物が立っていた。
「あれ、清道くんじゃないか」
そこにはいつもはなかなかお目にかけれないくらいラフな格好な清道くんがいる。清道くんの家から距離はあるのに、その格好で来たのかと自分の目を疑った。真面目なくせにそんなとこは抜けている清道くんは嫌いじゃないけど。僕は少し笑った。
「なあ功士」
「ん? どうしたんだい?」
「お腹へった」
ぐるる、と清道くんのお腹が鳴る。タイミングが良すぎて、思わず直視してしまった。清道くんは恥ずかしがることもなく、後ろに隠し持っていたのだろうスーパーの袋を僕に差し出す。
「麻婆豆腐が食べたい」
もしかしてその格好で、来るだけではなくスーパーまで買いに行ったのか。清道くんを見れば平然とした顔で袋をぐいぐいと前にだした。仕方なく袋を取ると中には、簡単に作れる麻婆豆腐の素と豆腐。わざわざ僕の所に持ってくるほどかなあ、苦笑いしながら清道くんを部屋に入れた。
「日曜日だっていうのに家族サービスしなくていいの?」
「…朝起きたら結羽と春が俺を置いて買い物に行ってたんだ」
そういうことならば朝御飯も食べていないらしい、早く作ろうと僕はエプロンをつけてから、袋をフライパンに開けた。
10分もしないうちに出来上がった簡単麻婆豆腐。仕上げにネギを乗せれば、清道くんは目を輝かせた。
「いただきます」
「うん、召し上がれ」
僕がそう言うと清道くんは用意したご飯に麻婆豆腐を乗せ、一気にかき上げる。ばくばくと食う清道くんは、いつもと違って子供っぽくて可愛く見えた。
理依哉もこんなに可愛く食べればいいのにな、最近は一緒に食べるけどあの子あんまり食わないし。のんびり清道くんを眺めながら理依哉のことを考えていると、清道くんのスプーンがいきなり止まる。喉に詰まらせたかと焦って用意したお茶を差し出せば、清道くんはティッシュで口を拭きながら呟いた。
「やっと、食えた。麻婆豆腐。一週間前から食べたかったんだよな」
…そんなに麻婆豆腐が食いたかったのか。
僕は差し出したはずのお茶を、こっそりこちらに引く。清道くんはそれを言い終えるとまた、すばやくかき込みあっという間にたいらげてしまった。
自分の作った料理をこんなに食べてもらえるなら嬉しいけど、一週間なんて前から麻婆豆腐食いたいならそれこそ結羽さんに頼めばよかったのにと思う。前にもこんなことがあって、青椒肉絲を作った気がする。ついでにこれも簡単には作れるものだった。
「なぁ清道くん。なんで一週間も我慢してたんだい。食べたいのなら結羽さんに頼みなよ」
「結羽の料理は…結羽が作りたいとおもった物を食べたい。だからリクエストなんてしたくないんだ。」
そうやって言う清道くんはなんだか幸せそう。本当に結羽さんが好きなんだなと思った。だがなんなんだ、その言い分は。まるで僕は利用されているみたいじゃないか。
思わず顔に出そうになった瞬間、向こうからものおとがした。すると、ペタペタと歩く音がして、目の前にその人物がくる。
「誰、このおっさん」
起きてからの第一声がそれかい、理依哉。だがちょっと安心した。顔に出そうになっていたので、これでごまかせることが出来たのだから。僕は席を立つと理依哉に立ち寄る。
「失礼だよ、理依哉。こちら、春くんのお父様だ」
「ん、あ。あいつの…。こんにちは」
欠伸をしながらだが、こんなに理依哉が改まったようにいうとは、やはり春くんの存在はすごいと思った。少しほほえましく思っていると、清道くんは小さく挨拶をし返して、さっき出しそびれたお茶を飲む。おかわりをくもうかとペットボトルを取ると、理依哉が横腹をつついた。
「功士お腹へった」
「あ、そうだよね。じゃあいまから作るよ」
「功士、あと一人前残ってるから、麻婆豆腐作ればいい」
なにを作ろう、思いながらもフライパンを取り洗おうとすれば、後ろから手が差し出しながら清道くんは言う。確かに麻婆豆腐なら楽である。ありがとうと言おうとすれば、手からフライパンを取ると、がしゃがしゃと荒い始めた。
「俺が洗う」
こういうところだけ気を使うなんて、卑怯だと思う。追い出してやろうかと思ったのに。僕は悔しく思いながら、豆腐を大きめの一口サイズに切った。清道くんが洗ってくれたフライパンにもう一度袋を開けてぐつぐつ煮込む。あと五分ちょっとしたら豆腐を入れて…、などと木ベラでかき混ぜながら先程見た説明書を復唱していると、清道くんは突然麻婆豆腐をかき混ぜる僕の手を握った。
「う、な、なに」
「さっきから思っていたんだが、功士の指先は綺麗だな」
思わず木ベラを離しそうになるのを堪えて、清道くんを見た。清道くんは至って変わらず。それどころか僕の指をゆっくり撫でるのだからどうしていいかわからない。
「いきなりなんだい」
「思ったから。あと、エプロン姿も似合うし、料理も上手い。文句なしに嫁に行けるな」
そんなことすらすらと言いのける清道くんは、無意識なのだろうか。ただ肌を撫でているだけなのに、清道くんの指が手を滑る度に意識してしまう。離そうとしても、清道くんは嬉しそうに見ていた。
意味がわからない、その顔の意味が。なぜそんな、結羽さんに向けるような表情をするんだ。
「っ、そんなこと言われても嬉しくないよ」
清道くんを見ないようにと思い、勢いよく豆腐を入れて混ぜると、清道くんは腰に手を添えて僕の顔を見る。
「嘘だ、顔が真っ赤だぞ」
満足気に言う清道くんの笑う顔は、今までと比べ物にならないくらいかっこよくて、思わず止まってしまった。
なんて人なんだろう、この人は。家族が好きなら僕なんかに構わないでいればいいのに。僕が笑った君を見てどう思っているかも自覚していないくせに。
僕は清道くんを見上げてにらむ。きっと涙目になっているだろう。だが、それでも彼に反抗したかった。
すると清道くんは驚いた顔をする。そんなに僕が睨んだのが珍しい? ゆっくりと目元を擦る清道くんの指。そして眉間にシワを寄せて、僕を見た。
この、表情は、知らない。なんだい、その顔は
。
「きよみ…」
「ほら、焦げちゃうよ」
清道くんに聞こうとすると、僕と清道くんの間に理依哉が入ってくる。それは凄くぎゅうぎゅうになっていて、そこではじめてさっきまで清道くんと顔が近かったことに気づいた。妙に恥ずかしくなって、とろみをかき混ぜながら加える。
「はは、ごめんね。よそ見してた」
僕がわらって見せても、理依哉は訝しげに僕を見るだけだった。その視線が痛い。まるで僕の心が見られてしまったようで。
横目で清道くんを見れば、また普通の顔に戻っていた。やはり、清道くんは僕のことを気にしていないらしい。あの表情は、気のせいだ。
情けなくぐつぐつ煮られる麻婆豆腐を見て、今の僕の気持ちと一緒だと思った。