「誰も名前で呼ばないって言っていたのにあの先輩は春さんのこと春、って呼んでましたね。彼は特別なんですか?」
部活に行こうと言っていた本人の木葉は歩き出しもせず、まるで春を責めるようなことを言った。だが笑顔は崩れてはいない。
あの先輩とは桐間のことだろう。春は否定をしようとしたが実際桐間は春を稀にだが名前で呼ぶので、春は木葉に嘘をつく形になった。春は口をとがらせながら、木葉の手をつかむ。
「特別なんて、違うよ! いや、あいつ、たまにしか名前で呼ばないからさ。忘れてただけだって! ごめんな」
忘れてた、というのも嘘だ。木葉に聞かれたとき、桐間の名前が真っ先に頭に浮かんだのである。
木葉は謝りながら自分の手を掴みながら揺らす春を見て、不自然な笑顔がほぐれた。春の掴んだ手を強く自分の手に絡ませると、木葉は王子のような笑顔で春を見る。
「そうですか、わかりました。」
「おぉ、さすが木葉、ありがと!」
「いえ。ところでもう1つ、先ほどあの先輩と春さんが話していたことについてなんですが」
春は木葉の言葉を聞いて、少し木葉から離れた。木葉は変わらず話を続けようとするので、春は口を挟む。
「もしかして、聞いてたのか!」
「ああ、はい。入りにくい雰囲気だったので廊下で待たせて頂いたのですが、聞こえてしまいました。でも少ししか聞いてませんよ。キスをしたとか言う話からしか。」
それって最初から聞いてるじゃないか!
言おうとする春に、木葉は意地悪く笑った。“少ししか”などと言っておきながら、自分でも最初から聞いていたことを知っているのだろう。動揺する春を見て楽しんでいるのだ。
「っ、みんなには言わないでくれよ。」
「言いませんよ、こんなに腹立たしいこと。」
春は腹立たしい、という言葉に違和感を感じ、木葉を見上げた。思わず固まる。意地悪く笑う、など可愛いものではなかった。
まるで笑った仮面をかぶっているように、作られた笑顔。そのしたには確実に、何か裏の顔が隠されている。あまりの恐ろしさに春は、まじまじと顔を見ることはできなかった。
「木葉、お前…」
「あの先輩は春さんにちゃんと告白をしていないようですね」
「もう、いいだろ。そんな話」
「俺には大事な話です。春さんは嘘をつくから、真相をしりたい」
強調される嘘、という言葉。春にとっては嘘をついたといわれるのが嫌でしょうがない。したとしても大事にはならない程度である、ましてや木葉が知る意味もない。
いい加減にしろ、呆れた春が言い返そうとすると、木葉は言われることを悟ったらしく、春に近づくと、壁に押し付けた。
「春さんにとってあの先輩は、特別なひとですよね? ならば何故、俺が聞いたとき違うといったんですか?」
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