03


「聞いたか?副長の謹慎処分。
実質的な更迭だよありゃ…」

「なんでも局長や頭たちの必死の説得で切腹をなんとか免れたらしいが…」


話し込み始めた隊士の片方が、言いにくそうに一瞬口を噤んだ。
変わらぬ日々のルーティーン。組み込まれた稽古の時間、隊士の掛け声、湿った空気、生温い板張りの床。昨日までと同じもので溢れているのに、隊士たちはみな寄る辺ない表情でいた。
話の渦中の人物は、昨日、自らの犯した失態の責を問われた土方と、それに対して情状酌量の余地ありと保留を求めた錦だった。


「間に入って副長の肩持った頭まで巻き添え食らうなんてな…」




「組織としての在り方や隊士一人一人の動向を精査し、然るべき報告を上げるのが君たち監察および諸士調役の役目ではないのかね。

双璧を成す相方の土方くんが変わりつつあるのだと知っていて尚、彼の公的立場のために黙認していたとも受け取れる。
もし私情で幹部の不祥事を見逃していたのならば、看過できる事ではないし今までにも同じような事があったのではないかと疑わざるを得なくなる。

よって君の今までの職務態度や実績に加え、"身辺調査"も改めてし直すべきだと、僕はこの場で提案する。

それまでは、謹慎させるべきだともね」

「…分かった。この件は僕の不徳の致すところでもある。申し訳ない。
謹んで処分お受けする。
その代わり、副長・土方十四郎の処分は今暫く見送って欲しい。彼は真選組に必要な人だ。
それ以外、僕から言う事はない」






「ってその場はとりあえず収まったらしいがよ…」

「原田隊長たちが伊東に食ってかかるのを自分で止めたってよ」

「隊長たちは今てんやわんやだぜ、副長と頭の仕事が一気に降りてきたから」

「馬鹿、それどころじゃねーよ。
あの2人が真選組からいなくなったら、どうなっちまうんだ……」















「何もアンタまでアイツと仲良く謹慎受けることねェだろ」


縁側で空を見上げる総悟の背中が自分を責めているようで、錦は思わず苦笑をもらした。ススキ色の綺麗な髪が風に揺れている。昼下がりの気持ちの良い風が部屋にまで入ってきては、書物をめくる錦の指を撫でた。
可愛らしい子供のようにヘソを曲げて遠回しに不満を言う総悟がやっぱり可愛く思えて、切羽詰まった状況であるのに錦は穏やかな気持ちになる。が、事は決して軽んずる事の出来ない事態であった。
伊東は錦にとっての立場上の最大のウィークポイントを、よく理解していた。


「悪いな総悟……こんな事になっては監察方を動かすのは得策じゃない…。
今日の遠征にもついていけなくなってしまった。

けど、伊東の目論見がこれで終わるとも思えない。

僕に何かあった時は、
総悟、後の事はお前に任せるからね」

「縁起でもねェこと言うんじゃねーや、らしくもねェ」

「総悟、」




「心配せずとも、すぐ呼び戻してやりまさァ」




冷えたような、それでいて熱く滾るような声だった。冗談などは微塵も含まれてなかった。
立ち上がり、ポケットに手を突っ込んで言い切る総悟の後ろ姿が危うげに見えて、つい錦は自分の事で無茶はしすぎるなと水を差したが、それも跳ね除けられた。



「意味がねェんでさァ。
アンタが……アンタと近藤さんがいなくちゃ、意味がねェんだ」


総悟も伊東同様、錦の弱点をよく解っていた。
錦は上から睨まれている。無論真選組自体が肩身の狭い身分ではあるが、錦の場合はそれとはまた違った意味合いを持っていた。
もしかしたらこの件に乗じて上は錦を"処分"にまで持っていくかもしれない。総悟ほそれを危惧していた。空になった錦の隣の部屋を睨みつけて、その場を後にした。

立ち去る総悟を部屋の中から見送った錦は、何を言っても聞かないなと諦めのため息をついた。
隣の部屋を覗くがそこはもぬけの殻で、ただ冷えた畳だけが青い影に覆われていた。土方は既に屯所の中にもいないようで、錦の部屋に訪れる隊士たちに聞いても皆行方も知らないようだ。彼の事が気にかかったが、江戸内に居る限り動向などどうとでも追える。
それよりも、錦にはやらねばならぬ事があった。

今日はこれから武州に隊士の徴集を主とした遠征があり、隊の半分は出払う事になっている。
遠征に赴く隊士の編成は改めて伊東が決め直し、もちろんそのリストに自分と相方は入っていない。

謹慎の身となったからといって、いい子に部屋の中で引きこもるような柄ではない。
伊東に会わねば。

錦は西日の差し込む部屋を抜け出した。




--------------------



斜陽の落ちる林道。
敷き詰められた石に朱色が伸びる。
素晴らしい燃える夕陽の上を鮮血がなぞる。

山崎は、這い蹲っていた。


「俺は、あの人たちについて行かせてもらうわ…っ、

最後、まで……ッ!」


ろくに力も入らない腕と足だけで懸命に前に進む。冷たい石を引いては掴み、掴んでは引く。前に進むために押し出す爪先がおぼつかず、石の凸凹を逃して滑る。嗚呼もどかしい。

その後ろには、現在真選組を騒がせている張本人、伊東鴨太郎が部下を引き連れて立っていた。
そしてサングラスを掛けた攘夷派浪士の男――河上万斉も。


異物だ。
山崎はやはりと、そう思っていた。
伊東は異物だったのだ、この真選組に混入していた異物――…。


「フフッ、死ぬ最期の時まで奴らに報せようと前進する。それが監察である君の士道だと?
万斉殿、あとは頼……」


伊東の言葉が途切れた。
山崎にそれに振り返る余裕はなかった。その声を聞くまでは。


「やけに烏が騒がしいと思ったら…
こんな所で逢引かい?水臭いな、僕も混ぜてくれよ」


伊東を声が引き止めた。静かで、穏やかで、なればこそ心を開きたくなくなる、伊東にとってはずっとそういう存在であった声。
伊東が眼鏡を押し上げながら、ゆっくりと振り返る。


「これはこれは…局長助勤、古見錦くんじゃないか……"こんな所"でいったい何を?たしか謹慎中じゃなかったかね?」

「頭……ッ!」


そこには丸腰状態の錦が立っていた。


「ええ、誰かさんのお陰で休暇を貰えたんで散歩してたんだ。喋り相手が見つかってよかった。


うちの可愛い部下を随分面倒見てくれたようだね」


御礼しないと。
そう言う錦は制服ではなく私服姿、腰には何も携えてない。
謹慎処分を食らった錦の手元には刀はない。一時的に預かりとなっているのだ。どういう事か土方の刀はそうはいかなかったが、それは今はいい。

いくら『真選組最後の刀』と相手でも、肝心の刀が無ければ木偶の坊同然だ。
すぐにでもその、余裕綽々な笑みを摘み取ってやる――…。


「礼には及ばんさ。
君もすぐにこうしてやる」

「遠慮するなよ。礼は弾むからさ」


からりと笑った錦が、三味線を背負った男を一瞥した。万斉は憮然とした表情でいるが、真意は見えない。サングラスが夕日を返して光った。


「まさか過激派の攘夷志士とも繋がってるなんて、さすが、君の人脈は計り知れないな。
ちょっと僕にも紹介してくれよ。

檻の中でね」


その言葉を皮切りに伊東の部下たちが切り掛かって来る。隊士たちの中には見知った顔もいた。錦が指導をつけてやったこともあったが、残念ながらもう2度とない。刀を躱しながら思った。
ひらりひらりと躱していたが、後ろ背に回った隊士から右の腕に一太刀食らった。外側を斜めに。血が着物を濡らしていく。
自分の腕を斬った隊士の振り下ろした手を蹴り上げる。不意を食らった隊士の手から浮いた刀を片手で掴み、そのまま喉元を掻き斬った。


「ほう、さすが。肉を切らせて骨を断つか。
だがいつまでもつかな」


顔に血を浴びた錦が刀を構え直す。腰に据えた構え――抜刀術だ。鞘はない即席のものだが、刀は向かってきた隊士の刀を弾き、二の太刀で目を横一線に斬り裂いた。双方追撃の手を休めることはなかったが、腕を袈裟斬りされた錦には次第に傷が増えていった。
立ち位置も誘導され、後ろには山崎と河上万斉、前には伊東とその部下たちという構図になっていた。ずっと山崎を牽制していた万斉の刀が翻る。気配を背中で感じ取った錦はとっさに振り返り刀を避けるが――


「ぐ……ッ!」

「頭…!」


避けきれなかった一払いが右肩に当たる。とうとう刀が手からこぼれ落ちた。刀が敷き詰められた石に跳ね返り、ガシャンと音を立てる。
右肩をおさえながら膝をついた。後ろから万斉により地面に転がされる。
あえなく地面にひれ伏した錦に、伊東は満悦して笑みを浮かべた。


「フフ、もうおしまいだよ古見錦。
お前が守り育ててきた真選組も、明日にはもう無い。
すぐに近藤も土方も同じ所へ送ってやるさ」

「動かん方がいいでござるよ」


万斉の背後からの牽制に、伊東を追いかけようとした錦がみじろぐ。その間にも伊東はどんどん遠ざかってゆく。日は既に沈みかかっている。これから伊東は日野まで行くのだ、近藤を連れて。


「残念だよ。君に僕のつくる真選組を見せられないのは」


伊東たちの背中が小さくなってゆく。
うしろで山崎が一言、小さく錦に謝りそれを最後に地に伏してもう喋ることはなかった。
この場にいるのは、自分と万斉のみ。
後ろから錦の肩を足で地面に押さえつけ、万斉が愛刀を振り上げる。
そして――



「―― 行った?」

「もう見えないでござるよ」


とっくに刀を地面に転がる隊士の服で拭った万斉は、背中の三味に仕舞いながら振り返る。万斉の手を取って立ち上がった錦は、いててと肩を抑えながら呟いた。

最後まで伊東は錦と万斉の繋がりに気付かず、そしてあくまでも自身は鉄砲玉のような存在だとは知らないままなのだろう。
万斉は肩をすくめて錦の血に濡れた腕を見た。


「凝り性でござるなぁ。ここまでするとは」


肩、そして腕に負った傷のせいで袖がほとんど真っ赤になっている。けろっとしてる錦の顔からして傷は本当のところそれほど深くはないのだろうと予測がついた。肩の傷に至っては万斉が付けたものであるが、斬りはしたものの肉を深く断った手応えは感じなかったあたり、さしずめ血糊を仕込んでいたのだろう。用意周到なことだ。


「そう?この程度で伊東が騙されてくれて助かってるくらいさ」


実際、伊東が直接手を下さず果てには自分の背中を見せたのは錦を無力感や屈辱で満たしたいがための傲慢さがさせたことだった。
錦としてはここで凶刃に伏してしまっても良かったが、追従の手を緩めてくれたのならそれはそれで助かる話だった。


「それよりそっちの守備は?」

「無事に江戸入りしてるでござるよ」


そ、よかった。
そう言いながら山崎の横にしゃがみ込む。確かに息のある山崎を指差し、万斉を見上げる。


「別にいいけど、生かすの?」

「ああ」

「面白い音してた?」

「フフ、まぁな」


音。万斉が口癖のように多用する言葉だ。自分や晋助の音の話をされた昔が懐かしい。
どこか含みを持たせながらも楽しそうな万斉に、錦も「そう」と笑った。この自由な浮雲のような男が純粋に楽しそうにするのは、錦にとって嬉しい事だった。
晋助は気に食わないだろうが…。
目を細める彼の姿をたやすく想像出来た。


「お前のそういうところが、私は好きだよ」


本心から言う錦に、万斉はまた笑みをこぼした。





一連の騒動は伊東を利用した陽動作戦であった。
真選組が内部で混乱しており、かつ遠征する今日、鬼兵隊は春雨を伴って江戸に上京している。幕府の中央暗部との密約を交わしに来ているそうだ。最近では春雨のせせこましい暗躍に一役買っている鬼兵隊なのだ。

ここまで隊内の分裂に一役買えば、もう今回の錦の出番は終わりだった。あとは部下に山崎とともに回収されるのを待てばいい。動けぬ程ではない錦の怪我も、カルテの上では自由自在だ。なんせ隊つきの医者が自分の息のかかった部下なのだから。

沈んでいく日を見ながら錦が立ち上がる。肩を抑えているのを見るに、やはり自分の一太刀は入っていたのだと万斉はわかった。


「武州への電車についてくんでしょ」

「ああ。錦は今回は出張らなくていいのか?」

「冗談でしょ…たまには休ませてよ」


違いない。
可笑しそうに笑いながら、万斉は傾いた日に向かって歩き始めた。また、と言いながら。