02






「あっどこ行ってたんだよ遅いから開けちゃった」


土方が部屋に戻ってくると、私服姿の相方がほとんど寝転がった状態でそこにいた。片手にはビール、もう片手にはデスクから取ったのか書類があった。


「人の部屋で勝手に何やってんだ」

「今日のあれじゃあ味気がないし、このまま1日終わんのもなぁって。一緒に飲み直さない?」


そう言ってまだ開いてない缶ビールを顔の横で揺らす錦の気の抜けた笑みに、先程縁側で伊東とすれ違ってからピリピリしていたものが消えていく。
後ろ背に肘をついた格好のまま書類を机に投げるように戻す錦。わりと雑な性格である証拠だ。紙は机の上をふわりと滑ってから止まった。
とりあえず制服脱ぎなよと缶に口をつける錦に返事をして、後ろ側で着替え始める。手早くいつもの黒の着流しに着替えて、錦の隣にどっかりと腰を落ち着けた。渡された缶のプルタブに指を掛ける。小気味よい音が気持ちいい。


「はい、お疲れ」

「オウ」


缶を持ち上げてみせるだけの乾杯。ぐいっと一口飲むと、自然と気の抜けた声が出た。
本来であれば縁側にでも出て夜風の中で晩酌といきたかったが、現在屯所には伊東やその部下が帰ってきている手前、いつものように人目のつくところで呑気に2人で飲む気にもなれない。ひっそり部屋で飲むのがいいだろう。

錦はさきいかを咥えながら土方を見上げた。


「そういえば今日昼間伊東くんと一緒だったらしいじゃん。珍しいね」


その一言で土方はやはりなとある程度合点がいった。伊東が告げ口したのだろう。昼間の己の愚行について土方自身の所見を聞きたいのだ。視線を投げ掛ける錦の目には自分を責める色も下手に出て様子を見ている素振りもないのが辛うじてほんの少し気を楽にさせた。錦はあくまで土方自身から話すのを待っている。
しかし自分でも全く分かっていないことをどう話せばいいのか…。惑いながらも口を開いた。「刀を…」。

刀を新調しに街に出た事。
不思議な刀を手に入れた事。
帰り道で攘夷浪士に囲まれた事。

それから……。


「つまりその刀が本物の妖刀で、それに十四郎は一瞬乗っ取られたってこと?」


錦の頭によぎったのは紅い桜の名を冠した刀だ。胡座をかいた土方の前に置かれた刀に視線を落とす。妖刀と聞いてまさか紅桜の量産型が江戸に散っていたのかと危惧したが、どうやらそうではなさそうだった。

本当に鍛冶屋が言っていた通り、刀に霊が……?錦が内心疑うが、目の前の相方は至極真面目な顔だ。常日頃ホラーやオカルトの類いをフィクションだなんだと鼻で笑うくせにいざ現実でこういう事態になるとすぐこれだ。良く言えば純粋なのだと錦はため息をついた。


「とにかく何か…説明しづらい事が起きてるのは事実だ。そして奇しくも、このタイミングで伊東くんが帰ってきてる。隊内の勢力図をひっくり返したがっている彼の事だ、好機と見るや否や仕掛けてくるだろう。

気をつけろよ、十四郎。解決の糸口が見つかるまでなるべく側にいるから」


いいな。
どこか心ここに在らずといった風の土方の鎖骨下を、二本指で念を押すつもりで強めに触れる。眉間に皺を寄せたままの土方は、一言掠れた声で返事をしたのち、振り切るように缶を煽った。

突如現れた不確定要素がどう転ぶのか、今の錦には分からなかった。




翌日。
近藤と土方がどうやら意見の食い違いから仲違いを起こしたらしいと聞き、錦はこれ以上事態が悪化する前に食い止めねばと、近藤に直談判しに行った。このままでは伊東の思う壺だ。
伊東の望むまま真選組内の体制が変われば、排除されるのは土方だけではない。錦以下監察も掃討対象だ。

部屋にまだいた近藤を捕まえ事の次第を聞き出すと、近藤の口振りから察するにどうやら土方は妖刀については一切近藤に打ち明けなかったようだ。
それどころか伊東の処遇について、真っ向から意見が割れたらしい。


今の近藤の彼への扱いが余りあるものだと主張する土方と、
立場は関係無く皆平等の"仲間"であり横一線だと説く近藤。


浪士組時代と同じだった。
近藤は皆仲間だと、同じ志しを持って集まった同志だと主張したが、下の人間はそれでは納得しないのだ。あの時は出世欲のない錦が近藤の下にくだり、長を近藤1人に据えることで組織の体裁を守った。それには土方や沖田といった近藤一派も、最初は胡散臭い目で見ていたが後々きちんと納得した事だ。


今度は違う。

伊東は内に滾る炎を隠しもしない野心家だ。
分かる奴には分かる、それが自己顕示欲から来る驕りからだと。
真選組は、奴の欲求を満たすためだけの器に過ぎない。
奴は錦と同じように近藤にくだったりはしないだろう。

伊東は、野心家だ。


「伊東を追放しろとは言わないし、思ってもない。

ただ、何もかも捨て置いて君の事を第一に考えてきた十四郎の進言だ、もう少し考えてやってくれないか。己の好き嫌いだけでその人間の扱いを決めるような無能な冷血漢じゃないってことは、僕よりも君がよく知ってるはずだろ近藤くん」


話し終えた近藤が部屋を出て行こうとするのを引き止めた。しかし振り返った近藤の目には、取りつく島もなかった。


「錦、だとしても、俺には先生を、仲間を疑うことなんて出来ねぇんだ。それだけは出来ねぇ。

それは俺の刀に背くことだ。ワリィな」

「近藤くん!」


それ以上近藤は錦の言葉にも耳を貸さず、背中を向けた。
近藤の悪癖が出た。錦は瞬時にそう思った。
近藤は一警察組織の長にあって、病的なくらい"鼻が効かない"。危機感が薄いともいえる。それで己を、そして組織を危険に晒した事が一度や二度ではなかったのにも関わらず、まだ懲りてないらしい。沖田曰く、それが彼の良い所、らしいが。
こうなってしまえば錦が1人で説得したところで、馬鹿なくせに頑固な近藤が考えを曲げるなんてことはもはや無いと諦めた方がいい。


それからの土方は、常の彼からは考えられない常軌を逸した行動が目立ち、己が課した厳しい局中法度をいくつも破っていった。
その度に錦は同席した会議の後を引き継いだり、普段手出ししない取り調べという名の拷問を彼に代わり担当したり、土方が起こす不祥事のフォローに追われた。
それでも土方の妖刀については芳しい様子は見られず、それどころかどんどん悪化していった。

事態が伊東の望む方向へ転がり落ちていくのを、錦だけが最初から感じ取っていた。






「遅いな、トシの奴…」


幹部が集められた部屋で、上座の近藤がこぼす。
今は17時10分を少し過ぎたところ。土方は重要な会議に10分以上無断で遅れていた。近藤が耐えきれないように体を揺する。
伊東がちらりと錦を盗み見た。凪いだ水面のように一滴たりとも動揺の色が見えない。錦は正座した膝の上に軽く握った手を置き、綺麗な背筋で目を伏せていた。あいも変わらず鼻にかかる奴だ…。伊東は内心悪態をついた。


「近藤さん。いい機会だ。僕はちょうど彼のことを議題に出すつもりでいた」


そわそわする近藤を見かね、伊東が立ち上がった。切り出した伊東の言葉に、錦は伏せていた目を開け彼を上目に見た。


「最近の彼の行動については既に諸君も聞き及んでいるだろう。自ら隊士たちに局中法度という厳しい規律を課しながら、彼はこれを破ること十数度。現に今も重役会議に遅刻するという失態を犯している。

これを野放しにしていては隊士たちに示しがつかない」

「先生!待ってくれ!」


伊東の追従を許さぬような厳しい言及に、近藤が待ったをかける。


「トシのことだ、何か並々ならぬ事情があって…」

「僕は今回の件のことだけを言っているのではない。もちろん、彼がこれまで真選組でどれだけ功績を挙げてきたか、その事も重々承知している」


主張を続けながら、伊東は錦を再び盗み見た。ピンと伸びた背筋に変化はなく、すでに伊東に興味を失ったのかまた目を伏せている。


「だからこそ苦言を呈したい。
真選組の象徴ともいうべき彼が法度を軽んずれば、自然隊士たちもそれに倣う。規律を失った群狼は烏合の集となり果てる!

彼にこそ厳しい処罰が必要なのだ!
近藤さん、ここは英断を!」


押し切ろうとする伊東に対抗し近藤も焦って立ち上がる。伊東を説得しようとした近藤の言葉を遮って、襖がけたたましく薙ぎ倒された。
埃が落ち着きそこに現れたのは破れてボロボロになった襖と、渦中の人物である土方十四郎だった。


「ちィーーッス!!!焼きそばパン買ってきたッス沖田先輩!!

スイマッセンジャンプが無かったんでマガジ、ン……」


必死に言い募る口を止めて、部屋の様子に気付く。
敵襲かと立ち上がった隊長たちの向こう、伊東が冷たい眼差しで立っておりその手前には…………


「(し、しまったァァ!
は、は、

ハメられた………ッ!!!)」


そしてニタリと口角を上げる沖田と伊東を見てさとった。
敵は1人じゃなかった。


「(こいつら……組んでやがった…ッ!)」


この状況にはさすがの近藤も閉口するしかない。
錦もこれには片手で額を抑えるより他なかった。隣の原田だけが「あちゃー…」という錦の声を聞いていた。