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錦が率いる監察方には主に2つ大きな役割がある。

1つが浪士たちの動向を見張るために偵察等により情報収集をすること。こちらを主に請け負う隊士は諸士調役とも呼ばれ、多くの顔と名前を持つ。

もう1つは、隊内における隊士の動向を見張り、特筆すべきことがあれば上に報告を上げることだ。
それは善行も悪行も同じで、今回のような大捕物劇で武功を挙げた隊士がいればそれを報告し、そしてその隊士には勘定方から報償が与えられるのだ。
今回の一件では、見逃されるべきでない注意点ももちろんあったが、天廻屋逮捕に大きく貢献した者として、土方十四郎の名が1番に上がるだろう。始終一緒に仕事をしていた山崎に報告書を上げさせ、それを自分が精査し然るべき所へ提出する。そういう流れになっていた。
自分が直接勘定方に掛け合えば、土方にはたんまりと褒美がいくだろう。もちろん彼の望むところではない。分かっている。自分がそうしたと名乗り出るつもりは一切なかった。


東北から帰ってきた錦はいの一番に山崎と落ち合って報告書を受け取り、その足で霞ヶ関へと赴いた。堅苦しい対応と手続きをさっさとパスし無事書類を提出するやいなやもう用はないと表に転がり出た。息がつまるようなこの地区は、監獄にも似ていると、錦は錯覚のような認識があった。今日のところは松平には会えなかったが、今回の委細はじきに彼の耳に入るだろう。
本日はもうフリーの身である。部下を呼びつけるのも面倒臭くて、錦は桜田門の向こうに江戸城を見ながら、屯所へと歩いて帰ることにした。

気まぐれに小道に逸れたり露店をひやかしたりして時間を潰しながら新宿方面に向かい歩いていると、後ろからプアップアッとラッパのような音がした。振り返るとすぐ後ろに見覚えのあるスクーターがズザザザザと土煙を上げながら滑り込んできた。どうやら先ほどの間抜けな音はこのスクーターのホーンだったらしい。


「え、なにしてんの」


後輪が浮き上がってからドスンと地面に降りたのを見届けて気の抜けた声で問うと、綿毛頭のドライバーがハンドルの上に身を乗り出してわなわなと体を震わせていた。


「おっまえなぁ…!
なにしてんのォ?ッじゃねーーよ!」


顔を合わせて早々怒り出した幼馴染に、さしもの錦も頭の上にはてなが浮かんだ。


「なに急に怒ってんの」

「こっちはなァ、偶然会ったジミーにお前のこと迎えに行ってやってくれって頼まれて、なのにお前は全然見つかんねーしドラマの再放送の時間過ぎちまったし結局お前は全然ちげーとこにいるしで散々なんだよ!!!」

「?帰ればよかったじゃない。しょっちゅう歩いて帰るから慣れてるのに……なんで急に迎えなんか」


勢いの収まらない彼はア゛ァ!?とチンピラよろしくガンを垂れるが、一拍おいて改めて質問について考えたのか今度はバツが悪そうに口を引き結んだ。不貞腐れたように顔を逸らし奥歯に物が挟まったようにもごもごしている。


「……アレだ、その」

「……?」


口を開いてなお言い淀む銀時に、そういえば自分も聞きたいことがあったのだと思い出した。頭に浮かんだことそのままに、そういえば、と口に出す。


「あ?」

「銀時、なんであの子と一緒にいたの」


その質問になぜか驚いたような顔を一瞬見せて、そしてやはり銀時どこか居心地悪そうにしてア〜〜とかなんとか言いながらヘルメットの下の後頭部をガシガシかき混ぜた。
さっきからそんなに自分は答えに困ることを聞いているだろうか。錦は首を傾げる。


「だからアレだ。アレ」

「どれ」

「あ〜〜………………なりゆき」

「出た」


面倒臭くなったのか横着して"なりゆき"という便利な言葉に逃げた銀時を、錦は追及しなかった。迎えに来た理由をもう一度聞いてみたが、今度も「なりゆきだよ!」と強い語感で返されたので、もう聞かない事にした。


警察官の身で堂々と2ケツしておいてなんだが、せめてものということで錦が深くヘルメットを被せられた。銀時のポンコツスクーターでは2人乗りでそうスピードが出る訳もなく、小道や川沿いをゆっくり帰った。
だから誰にも聞けずにいた事を、素の古見錦として聞けることが出来た。
ねぇ銀時。錦の呼びかけに鼻に小指を突っ込んだままおざなりに返事をする銀時だったが、続く言葉にハンドルが揺れた。


「恋ってなに」


ちょうど砂利道に転がる大きめの石にタイヤを取られたのもあり、スクーターはガクガク揺れたがなんとか持ち堪えた。


「え゛!?!!なに!?!鯉!?!ハァ!?!?!こいィ!?!!??」

「は?なに、どういう驚き?」

「いやいろいろ仰天モンだわ!!!!!!」


くわっと吠える銀時のテンションにはついていけないが、たしかにこんな話題銀時とすることもあまりなく、というよりはある時期から避け始めたことだったので彼がびっくりするのも頷ける。


「お前……お前にもそういうことに興味あったんだな……。いったいどういう風の吹き回しよ?」

「お前は一体私をなんだと思ってる?

いや、私のってわけじゃなくて……」


流石の言い分に苦言を呈すが、さすが旧知の仲ともあり、的を得たことを言われて少し居心地が悪い。やはり自分は周りと比べて"共感"に劣っている。
錦は腹心に言われたことを思い出しながら、本題を切り出した。


「十四郎とミツバちゃんって、なんだったのかなって思ってさ」


魁は確かに「あの2人はそういうのではない」と言った。

2人の間にしばし沈黙がおりるが、銀時の「知るかよ」という言葉でそれは過ぎ去った。


「男と女は複雑なの!そーゆーのてんでからっきしな錦チャンにはわっかんね〜かもしんねーけどォ〜」

「そういうもん?」

「そういうもんです」


ふーんと、納得してるんだかしてないんだかよく分からない返事の錦は重ねて問いただす。
想い合ってるように見えたと。そして想い合う男女は"名前のある関係"なのではないのか。錦はかねてからの疑問をぽつりぽつり零した。

錦が真剣に考え込んでいると分かると銀時は茶化すのをやめ、スピードを緩めた。曲がり角をひとつ、ふたつ、曲がって進む。


「俺が知ったことかよ、アイツらの事なんて」

「……」

「ただ、そうさな、もし名前をつけるんなら…




"初恋" なんじゃねーか」


銀時により与えられたその言葉に、視界が開けたような感覚を覚えた。初恋、初恋か。自分の中にない言葉だったから、考えも及ばなかった。そうか、彼らは、初恋どうしだったのか……。


「はつこい…」

「男の初恋は厄介だって言うしなァ〜〜〜〜」

「ヘェ、銀時もそうなの?」


何の気なしに聞いてみると、またもスクーターが石に跳ねてガクガク揺れた。今度は先程よりも大きく揺れたので思わずブレーキがかかった。


「ちょっと!いい加減にしろよ!」

「うるッ、うるっせェェエエエ!!!!!オッメーー男のそーいうデリケートなとこにやすやす入ってくるんじゃねーよ!!いくら警察だからってガサ入れするとこは選べ!!んっとにお前はデリカシーっつーもんがなってねェな!!!」

「お前に1番言われたくない」


心臓がバクバクと鼓動を主張しているのを隠して怒り散らす銀時とは裏腹にひやりと冷たい反応でじとりと見返す錦を、通行人たちが横目で通り過ぎていく。
ハンドルをひねりぶつくさ聞こえない声で文句を言いながら再びアクセルを蒸した。


「そうなんだ、銀時にも、あったんだね」

「…………そりゃ銀さんも大人ですからー?恋の1つや2つはかるぅ〜くありましたけどぉ〜」


言われて納得する。当たり前だ。四半世紀以上生きた大人なのだ、無い方が変わっている。
昔の事を思い出す。そういえば銀時にも晋助にも、馴染みの遊女がいたようだし、思えば10代の頃自分が誰ともそういう関係にならなかったことが不思議なことなのかもしれない。いや、これからだって誰かとそういう風になる自分を想像は出来ないが――


「おら、着いたぞ」


気付けばスクーターは屯所前に止まっていて、銀時は肩越しにこちらを見下ろしていた。正門前は一通のため走っていた道からは侵入できなかったので裏口に回されてる。腰に回していた手を解いてスクーターを降りる。ん、とヘルメットを返すと、ん、と自分より大きな手が受け取った。


「ありがと」

「オメー次はもっと分かりやすいとこ通れよ、探すのも骨が折れんだからな」


お礼を言われた照れ隠しに悪態をつく彼の性分は、深く理解しているつもりだ。今更とやかく言うつもりはない。
それよりも、物言わず気遣われるその優しさに、今日は救われた。


「そうだね、次はそうするよ」


とろとろ走ってくれたことも、曲がらなくていいところを曲がって遠回りしてくれたのも、コイツは言わないけれど全て自分の心情を推し量ってのことだと気付かない程浅い仲じゃない。しかしそれにわざわざ礼を言うほど野暮でもなかった。

後ろ手にひらりと手を振り、冠木門の切戸を潜る錦を見送った銀時は扉がバタンとしまったあと深々と息を吸い、ため息と共にがくりとこうべを垂れた。



「旦那、今日頭が遠征から帰ってきて察庁に顔出しに行ってるんですが、あの人きっと歩いて帰ってくるおつもりだ…。いつもなら放っておくんですが、旦那、こんな事があった折です、あの人迎えに行ってもらえませんか」

「ホラ、あの人"見せない"人でしょ。
でもこういう時くらい、あの人の側に誰かがいてくれたらって、思うんです」



「…………ハァ」


薄い顔立ちの男の言葉を思い出し、またため息が口をついて出た。
山崎が言いたいことはよく分かる。とても。

ただ、一度切れた縁だ、糸だ。あの時自分が居た"場所"に、今は別の奴らがいる――。今更出しゃばるのは"違う"と思っていたので、自分が迎えに行っていいものか、思案していたのだ。その葛藤も探し回るうちにどこかに吹き飛んだが。


「……、ったくよ〜〜どいつもコイツもよ〜。
好き勝手言いやがって…」


身を引くつもりでいた。
傷ついた時側にいるのは、自分ではないと。
自分たちは切っても切れない関係だろうが、それでもあんな凄惨な過去に繋がれ続けるべきじゃない。し、自分は錦に顔向けできる人間じゃない。"あんな事"をしてしまった自分が、のうのうと隣に居座るべきでもない。
自分にも錦にも、もう別の"居場所"がある。

あるのに。





「気に食わねェ……気に食わねェんでさァ」



「ヘェ、銀時もそうなの?」



それなのに、もう、それだけでは満足出来ない。



「錦くんは、天使さまなの。まっくろくろすけの、天使さま」



「(わかるぜ、俺も、初めて会った時、おんなじこと思った)」


今日もあの子は、亡くした初めての女友達を想い、夜を明かすのだろう。
アクセルを蒸す手には、上手く力が入らない。


男の初恋は、厄介なものだ。