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コンテナ街で暴れ回った錦たちは、息つく間もなく再び車に乗り込んだ。その場の処理など部下たちに任せ、体面も気にせずサイレンを鳴らして一般車両を押し退けて病院にトンボ帰りした。
再び病院に着いた頃には、もう医師が治療室から出てきたあとだった。ご家族の方、どうぞ。そう促されて、総悟が中に入った。近藤が医師に詰め寄るが、医師は残念そうに、しかし毅然と最後のお別れをと言い残した。近藤の肩が震えていた。


こんな時に、錦は少し迷っていた。
どんな顔をするのが正解なのか、いよいよ分からなくなった。
自分を偽って生きてきて初めての感覚だった。
ただ、一歩引いて客観的にこの場を俯瞰しているのは、冷静さがさせていることではないと、気付いていた。


やがてガラスの向こうで、長い電子音が鳴った。
それを皮切りに、男たちの咽び泣く声が響き渡った。誰もが泣いていた。

錦は、自分がどんな顔をしているのかも分からなかった。
静かな隣人は、弟と手を繋いだまま遥かに去って逝った。








こうして錦は取り揃えていた粒揃いの手駒のうちのひとつを失った。もともと親類という弱味を用いて隊内を分断出来れば儲け物、くらいのつもりであったが、真選組解体の一手としては全くもって失敗でありそもそも本来の目的でさえも満足に遂行出来なかったのを見るに、当初の筋書きからは程遠い敗退だった。


「逝っちゃったね」


あっけらかんと言う錦の後ろには、無口な魁が立っている。
空は夜を押しのけて、朝が来ようとしていた。あの子の居ない朝。明日も、明後日も、やってくる朝。

目に痛い朝日だった。


錦にとって便利とは言い難いが、価値の高い駒だった。沖田ミツバという女性は。
そして、正しく、友人 でもあった。


錦は 友 と呼べる人物を、また1人失った。



武州で風に揺られながら2人語り合った。
爽やかな風の匂い。頬をかする木の葉。背中の木の幹。足の裏の草の感触。笑い方が似ていた君。
もう会えない君。



「さようなら ミツバちゃん」



さようなら。
来世なんて罪深い自分には許されていない代物だが、もし願うことが許されるなら、きっとまた君の友人になれるよう祈ったろう。
朝日と共に逝った君よ。清廉な朝日の中を歩いて逝った君よ。もう2度と会えないが、君の来世が素晴らしく満ちるものになることを、僕は確信してる。
初めての一人きりの遠出を、見守っててあげる。もう手はとってあげられないから、どうかしっかり。
君がしっかり目指す方に歩いていけるよう、目的地を見失わないよう、ずっと見てるから。
目に刺さるこの痛い朝日を、その中に映る君の行き先を、見失わないように。

おやすみ、ミツバちゃん。




真っ白な朝日の中にどこか、錦はあの日の黒点を見ていた。けして消えない、戒めの黒点を。







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沖田ミツバの葬儀は至って慎ましやかに行われた。
真黒の無機質なものに縁取られて控えめな微笑をたたえる彼女は、当人であるのにこの場に最も似合いでない人間だと、錦は思った。

ミツバの遺骨は、江戸の集合墓地と故郷の武州に分骨して墓に入れられた。
故郷の風に吹かれ、綺麗な空気の中で眠っている方が姉の幸せかと迷う総悟に、分骨を勧めたのは近藤と錦だ。あの日置いて行ったミツバの気持ちを、側にいたいと願ったミツバの気持ちを、今なら叶えてあげられるだろうと言うと、彼はこくりと頷いたのだった。
未成年とはいえ立派なお役人であるので、沖田総悟の名の下で建墓することに問題はなかった。ただ難しい世間の決まり事のあれそれにまだ見識がないこと、そしてたった1人の身寄りを亡くした内心を思い、細々したことは錦が進んで代わってやった。
後日休暇が出された2人は、ミツバの片割れを抱えて武州に向かった。
電車に揺られる2人はまったく無言で、だけどぴったり寄り添って離れなかった。腕の中に骨と灰になった姉を大事に大事に抱え込んだ弟は、まんじりともせずじっと床を見つめ続けて座っていた。
ミツバのお骨が墓に入れられる間、2人は手を合わせることもなく棒立ちだった。のどかな光が、2人をたまらなくさせた。

その夜、すっかり夜風が光を連れ去りあたりに静けさだけが残された頃、総悟は錦の肩で泣いた。
何も喋らず、込み上げる涙と嗚咽を抑えられずただただ震える少年の丸まった背中に手を添えた。

涙が枯れる事はなく、錦の腕の中で横になった総悟は、ぽつりぽつりと心中を語っては、また涙を流した。
自分が代わってあげたかった。
なんでもしてあげたかった。
だけど、どうにかしてあげたい時に限って、何も出来なかった。
無力だと、自分の愚弟具合を懺悔のように、自責する彼をやさしく撫で続けた。


やがて泣き疲れて眠りにつく頃、遠く山の間からうっすらと朝日が差し込んで、空が黄色くなっていた。


翌朝人もまばらな電車に乗り込み、昨日と逆に進む風景を流し見ながら帰る。
昨日と違い、骨壷を抱えていない総悟の左手は、錦の右手を丁寧に絡み取っていた。
朝方、錦にやさしく起こされた総悟の寝起きの顔といえば、ひどい有様だった。泣き寝入った上にほとんど眠れなかったのでひどく浮腫んでしまっていたのだ。朝日にしばたく腫れた瞼を親指で撫でてやると、もう一度錦の背中に腕を回して引き寄せ、しばらく経ったのち機敏さは無いものの起き上がりしっかりした足取りで井戸に向かったので、錦は意外なような安心したような、不思議な気持ちを抱いたのであった。
駅までの道のりの間に繋がれた手は、けして力は入れられておらず、ふとした拍子に外れてしまいそうなほどやさしいものだった。なお不思議なことに、総悟の顔付きは想像以上にしっかりとしていた。今日という新しい日に、悲観してはいない顔つきだった。

ガタンゴトンと揺れる座席の上に投げ出された2人の手は、しかししっかりと掌が合わさったままだ。たまに総悟の方が思い出したように力を入れてみたりする以外、2人の手は動く事はなかった。やがて都心に近づくにつれ乗客が増えると、どちらからともなく手は離れたが、そのかわり寄せ合う肩と頭が、心地よい重みを感じさせた。


屯所に戻ると、いつもより格段に静かな出迎え方だったが、皆腫れ物を扱うような気の使い方をしなかったのは一重に帰ってきた2人の顔が穏やかだったからだ。

総悟の部屋の前で錦がおやすみ、と自分の部屋へ行こうとするのを手首を掴んで止めた総悟が、これで幾度目だろうか、錦を引き寄せて抱きしめた。


「何度もは言いやせん」

「…」

「錦…、錦がいてくれて、よかった…。

アンタに、感謝してる」


肩甲骨の間にあった手が撫で下ろすように腰におりてきて、体が離される。
額を触れ合わせたまま、総悟は口を開いた。優しい目をしていた。


「ありがとうございやす」


錦に礼を言った彼の口元は、笑みをたたえていた。
それは、彼の姉によく似た微笑みだった。
まだ辛いだろうに、ずっと辛いだろうに、この子は姉のいなくなった世界で生きていく事をもう腹に決めたのだ。


手を解いた総悟は、部屋に入り静かに障子を閉めた。
自室に戻った錦はというとすぐさま朝の湯浴みをするために身の回りのものを用意した。総悟は連休が与えられているが、自分はそうではない。今日はかねてより交流のあった幕僚と顔を合わせなければいけないし、それが終わればすぐ東北に、現幕府に不満を持つ旧藩士の視察のために発たねばならない。
またしばらく屯所をあけることになる。
自室を出た錦は人の気配の無い隣室を通り過ぎ、風呂場へと急いだ。