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夜が明けて、ミツバが病棟に入った連絡を受けた。
江戸に1人出てきて、心細く時間を持て余しているだろう。つまらない仕事は暇そうな部下に預けて見舞いにでも行ってやろう。錦はジャケットを腕に引っ掛けて部屋を出た。

真選組関係者ということもあって護衛が必要になるだろうと手配したが、どうやら既に山崎が付いているらしかった。これが土方の命令によるものならば―十中八九そうであるが―、やはり土方のミツバへの想いは並々ならぬものであると思わざるを得ない。偽悪的な彼のことだ。本心を口に出すことはないだろう。
そうなると錦の思惑では、愛する女の最期だ、堅物の土方でも矢継ぎ早に蔵場捕縛までは猛進しないだろう。そう踏んでいる。

明日は予報では雨だそうだ。江戸にはまだ舗装されていない道が多い。そのために江戸は年がら年中空気が悪く、それで病を引き起こすケースが多い。雨が降れば空気の淀みも落ち着くだろう。ミツバには過ごしやすくていいかもしれない。

なんだか朝餉を食べる気分になれなくて、賑やかな食堂を避けてしまった。コーヒーで朝を済ます事にした錦は誰もいない給湯室でレギュラーコーヒーの蓋を開けた。
朝方チラリと覗いた土方の部屋には、既に彼の姿はなかった。

白殺しの陶器のマグカップに落ちたコーヒーを移し替える。余った分はそのままにしておいた。ここに来た誰かが飲むだろう。


「(そういえば昨日銀時がいたな…結局アイツなんでいたんだ…?)」


どうせまた面倒なことに頭を突っ込んでいるんだ。そうに違いない。苦味と酸味だけのコーヒーを胃に流し込むと、簡単に水で濯ぎ、ステンレスの水切りに置いた。椅子に掛けておいたジャケットを引っ掴む。
日中はどうしても公務を勤めなくてはならない。身体が空くのは夕方近くなるだろう。そしたら道すがらミツバへ土産を買って、嗚呼、だけど辛いものは滋養に良くないから避けなくては。でもああ見えて頑固だから、きっと食べたがる…。


「………」


なんでだろう、こんなにも、気分が優れないのは。



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味気ない造りの病室で、突然出来た友人…とも言い難い男との会話に、ミツバは病を忘れるひとときを過ごしていた。ユーモアがあって、皮肉屋で、そして自ら泥を被りに行く、掴み所のない人。それがミツバの坂田銀時への印象だった。


「え?じゃあ坂田さんと錦くんは幼馴染なの?」

「馴染みっちゃ馴染みだな」


そう返すと、ミツバは顔を輝かせて食いついてきた。曰く、錦は自分の話を、ことさら昔の事を話さないそうで。当たり前だ。奴は記憶喪失ということになっているのだから。こんな出来た友人にも記憶はおろか、性別のことについても明かしていないとは…。彼の徹底っぷりにはいささかやり過ぎの嫌いがある。銀時は内心眉をしかめた。


「ねぇ、錦くんの子供の頃のこと教えてくださらない?」

「なに、そんなの聞いてどうするつもり。アイツのこと脅すつもり」

「ふふ、錦くんの弱みを握れるなんて、とっても魅力的だけれど……それは坂田さん次第ね?」


いたずらな返答に笑みをこぼし、何が聞きてーのと聞き返した。質問に答えて行くほうがやりやすい。
錦の昔話に顔を綻ばせるミツバは、相当錦と親密に見えた。思ったことをそのまま言ってみると、それがそうでもないと言う。

お見舞いに来てくれるのだと。身体を気にかけてくれて、新しい薬まで工面してくれたと。ミツバはそう言った。なぜそうしてくれるのか聞いたことはあるが、いつもの軽口でのらりくらり逃げられた。それからは彼の内心などに踏み込むことはなく、彼の行動を受け入れた。
ただそれだけだった。連絡をマメに取り合うことはなかったし、再会まで数ヶ月あくこともあった。ただ見舞いに来てくれて、医者を紹介してくれて、薬をくれた。

だがそれが間違いなく支えの1つであったと、ミツバは語った。今回の縁談も、錦の計らいにより結ばれたものだと言う。


「錦くんに後押ししてもらったの。
最期だろうって。1人で寂しく逝ってしまうより、弟の近くにいて幸せな姿を見せてやるのも、いいんじゃないかって。

錦くんは、私の天使様よ。
まっくろくろすけの、ちょっと意地悪な天使様」


ミツバが思い出すように瞼を伏せた。色素の薄いまつ毛が影を作る。
唐突に、第三者による返事が銀時の後ろから返された。振り返ると、カゴを片手に入り口にもたれかかる彼がいた。


「よしてくれる?そしたら死んだ時に総悟に恨まれるのは僕になるじゃないか。
お迎えになんて行かないからね」


ハイこれ。言いながら見舞い品をベッドに置いて銀時の隣に座る錦は、なるほど、ミツバがちょっと意地悪と言ったのは的を射てるようだ。
カゴの中にはいくつかフルーツが盛り込まれており、それをどかすと激辛!と軽快なフォントで書かれたパッケージが覗いた。


「ふふ、さすが」

「死期が早まるって言っても聞かないから」

「おいおいお前もかよ。あんま食べすぎると痔に障るぜほんと」


銀時が汚い下ネタで茶化すと、ミツバはくすくす笑った。


「貴方、私が痔で昏倒したと思ってるんですか?」

「そうだったら手っ取り早く人口の取り付けて終わったんだけどなぁ」


錦が乗っかったのを受けて、ミツバがさらに笑う。そうねと笑いながらお菓子のパッケージを開けようとするミツバの代わりに袋を開けてやった。


「おい、オメーもどーだ。バナナとかもあるぞ」


勝手に見舞い品のバナナに手をつける銀時は、ミツバのベッド下に控える山崎に声をかけた。ベッド下からは、元気な返事が返ってくる。


「いえ結構です、隠密活動のときは常にソーセージを携帯しているので!」

「…………」

「あれ?山崎さん?なんでこんな所に」


覗き込む2人の後ろから眺めつつ、ベッド下からしまったァァァァァ!と叫ぶ声を聞く。
ベッドでしこたま頭をぶつけたのか酷い音がした。

銀時が足を差し込んで蹴りつけると、痛い痛いと悲鳴を上げて、涙ながらに頭助けてくださいと言うもんだから、錦は反省しろと言って突き放した。


「ううっ酷いですよ万事屋の旦那ァ……」

「な〜にが酷いだよ女の病室にゴキブリみてーにコソコソ這いつくばりやがって」

「アイタ!旦那勘弁してくださいよ〜!頭〜〜!」

「監察としての自覚が足りないというかなんというか…他の任務でも同じようなポカ犯してないだろうね」


眉間を指でほぐす錦に、山崎がもちろんです!!と返すが、今は信じる気になれない。
兎にも角にも、倒れたばかりの病人の部屋に長居するのはあまりに不躾だ。銀時と山崎がいることだし、自分は今日のところは退散しよう。

帰る旨を伝えると、三者三様の反応を得られたが、山崎の慇懃無礼なところを見るに今は自分と過ごしにくいのだろうと思った。土方から何を聞かされ命じられているか、聞き出されるのではとヒヤヒヤしてただろう山崎は、お疲れ様でしたァァァ!と90度腰を折って錦を見送ったのだった。

端末で近くをパトロールしている車両を捕まえて、迎えに来てもらう。屯所までの道は、夕日でオレンジに染まっていた。助手席から空を見上げると、雨の兆候であるカギ状の巻雲が遠くの空を覆っていた。