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土方はどうやら朝から屯所を外しているようだった。おそらく山崎と揃って天廻屋の偵察にでも行っているのだろう。明後日の晩が次の取引だが、この調子だとやはり待機のままがよさそうだ。

天廻屋の取り扱う武器は魅力的だ。いくら鬼兵隊が春雨との同盟に漕ぎ着けたといえ頼りにしてはいけない。いずれ足元を掬われ食い物にされる。鬼兵隊は危うい武力の均衡の上に今立っている。独自のルートを開拓するのも大事なことだ。
いざとなれば天廻屋は切り捨てる。獄中でベラベラ喋られては後が面倒だ…口封じが必要だろう。

庭先で烏に餌をやりながら思案する。もう日も落ちてしまったが、烏たちには今忙しく働いてもらっているので礼は欠かしてはならない。
こうして密かに錦の手助けを捨てくれる烏も、監察に紛れ込みサポートをしてくれる部下たちも、本船に残り留守にする自分の代わりに動いてくれている部下たちも、錦にとっては可愛い暁鴉-ぎょうあ-たちである。
奈落を切り裂き闇を払う、夜明けを告げて暁に鳴くからす――暁鴉。
錦は部下たちを好んでこう呼び、可愛がっていた。

烏の嘴の付け根を撫でてやっていると、上空からもう一羽烏が舞い降りて来た。その烏は錦のそばに降りて来たので腕を差し伸べてやると、慌ただしく止まった。翼をバタつかせている。どうやら急いで帰って来たらしい。いったい何が――


「頭ぁ〜〜!!」


縁側を大きな体でバタバタ走って来るのは原田だ。烏たちはいっせいに飛び立ち、黒い影が薄暗い空に消えた。


「今ッ、ザキから電話があって…!!」

「……どうしたの」

「け、今朝方来られた沖田隊長の姉君が倒れられたと……!!!」


一瞬開かれた目が目線を切り、彷徨いながら「麻ツ本は?」と問う。烏が騒いでいたのはこういう事かと納得した。


「今連絡しました…!!すぐに向かうと…!」

「そう、僕も行くよ。
原田、運転頼める」

「ハイ!!!」


詰所に車両の鍵を取りに行くのを任せ、自分も車両に向かう。

思っていたよりもずっと早い。命の終わりへの速度を見極められなかった。自分の不覚である。こうなればもはや自分が立てた計画など全て無いようなものだ。ミツバが抑止力にならないなら、土方はこのまま天廻屋を逮捕するかもしれない。檻の中に入ってからでも十分殺すには易いが、口を割られてからでは困る。死線と隣り合わせの人間ならともかく奴は商人だ。取り調べに耐えられるわけもない。早めに殺すが吉か。

倒れたミツバが眠っている蔵場の屋敷に向かう間、錦の眉間からはシワがとれなかった。



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到着すると蔵場家の女中に迎えられた。錦は出迎えてくれた女中に挨拶をし、今回のことについての詫びと主人の所在を尋ねた。
ご主人はどちらに…と言いかけたところで、後ろ側から名前で呼びかけられた。廊下の奥からだ。


「古見さん!
この度は足をお運び頂いて申し訳ありません」

「とんでもない。こちらこそこの度はミツバさんのお身体に無理をさせたみたいで、申し訳ないです。
あの、ミツバさんは…?」

「今は麻ツ本先生に診てもらい、落ち着いたところです。奥に他の方々もいらっしゃってるんですよ」


自分も挨拶がこれからなんですが…。苦笑する蔵場に、はぁと気の無い返事を返す。方々とはいったい誰のことだろうか。総悟の他に今日一緒だった人間がいたのだろうか。

襖の前に膝を折り、襖を開けてくれた蔵場は、錦に入室を促した。
中に入ると、見慣れた顔ぶれが並んでいた。


「あれ、十四郎、退……に、銀時??
お前なんでいるんだ?」

「成り行き」

「退頭どうしたの」

「成り行きです」

「どんな成り行き」


会話の切れ目で、「皆さん」蔵場の声で場の空気が切り替わる。


「なんのお構いもせず、申し訳ございません。
ミツバを屋敷まで運んでくださったそうで、お礼申し上げます。

わたくし、貿易業を営んでおります天廻屋、蔵場当馬と申します。」


刀を振り上げていた十四郎が、鞘に納める。


「体に触るゆえ、あまりあちこち出歩くなと申していたのですが、今回はうちのミツバがとんだご迷惑を……。

そちらの方々も真選組のお方たちですね、ではミツバの弟さんのご友人――」

「友達なんかじゃねェですよ」


今までミツバについていたのか、姿が見えなかった総悟が縁側から現れた。
姉の嫁ぎ先に上がり込んでいるというのに両手をポケットに突っ込んで、いつも通り不遜な態度である。
蔵場が喋りかけるのを尻目に、総悟は土方に歩み寄る。真横にぴったりつき、まっすぐに見上げるその顔はすっとぼけた表情だ。


「土方さんじゃありやせんか。
こんなとこでお会いするたァ奇遇だなァ。

どのツラ下げて姉上に会いに来れたんでィ」


思いっきり喧嘩を売る総悟に、小さくため息をつく錦と止めに入る山崎。山崎はここに来た理由が他にあると言いかけ、それを土方が蹴りで制した。
やっぱりか。錦は内心納得する。
もうそこまで分かっていたか。捜査の一環で近くに来たところ、ミツバが倒れたところに運良く遭遇したのかもしれない。

血反吐を吐いて倒れ込む山崎の首根っこを掴み引きずって行く土方は、背中越しに「邪魔したな」と不遜に言って歩き始める前に錦を見た。


「錦、お前も来い」


先に行ってる。そう言って障子の後ろに姿を消した土方に、また溜息が出る。


「すみません、蔵場さん…こんな時に…。うちの連中育ちが悪くて…。
自分も仕事があってどうしても行かなくてはならなくて、ミツバさんにお声だけ掛けてから行ってもよろしいですか?長居はしませんので」

「もちろんです、会って行ってやってください。ミツバも喜びます」


銀時と総悟を残して部屋を出た。なぜ銀時がいたのかてんで分からないが、またアイツが変な事に頭を突っ込んでるんじゃないかと思うと頭が痛い。
それからパトカーで待ってるだろう土方のことを思い出して、頭痛は増したように感じた。


うっすら目を開けるミツバに一言二言声を掛けて、部屋を出て蔵場と別れた。
外に出ると辺り一面真っ暗な中、パッと車のライトがついた。そちらに向かうと、警察車両に乗り込む2人の姿があった。
助手席をあけて、山崎が後部座席に座っている。意図するところを汲んで助手席に乗り込むと、ベルトに手を伸ばすよりも早く土方はアクセルを踏んだ。

屋敷から幾分か離れたところで土方が口火を切って話し始める。


「お前、天廻屋のこと気づいてやがったな」


単刀直入な物言いに、一応しらばっくれてみる。


「…なんのこと?」

「しらばっくれんな。密輸の事だ」

「……なんで僕が?」

「江戸中に密偵を放ってるお前が知らねえはずねえ。どうして報告しなかった」

「……機を見てた」


錦の答えに、「機だァ?」土方は眉を釣り上げた。加えていた煙草を備え付けられていた灰皿に乱雑に捻り込む。灰皿の中は吸い殻でいっぱいだ。


「奴は黒、見りゃハッキリわかんじゃねえか。何を腑抜けたことをぬかしてやがる」


土方のキツい物言いに顔色を変えたのは後ろでやり取りを聞く山崎だけだ。錦は手を伸ばして、土方が消し損ねた煙草の火を消している。


「…ミツバちゃんから縁談の話を聞かされたとき、知らなかったとはいえ縁談の後押しをしたのは僕だ」


あくまで知ったのは"ミツバの縁談が決まった後"という体は崩さないまま言動を貫く。
こぼれ落ちてしまった灰を手で払うように集め、灰皿に戻す。出来るだけ揺らさないよう気を付けながら灰皿を取り出して頭の横に持ち上げると、何も言われずとも察した山崎がサッと灰皿を受け取った。後ろでビニールのガサゴソという音がしたあと、またサッと空になった灰皿が土方と錦の間に差し出される。錦が受け取るとまたサッと手が引っ込められた。なるべく気配をたつように息を殺す。


「自分の失態を煙に巻きてえが為に黙ってたってのか?」


土方の穿った見方と言い草に、山崎はまたひえっと小さく息を吸い込んだ。先程からずっとろくに呼吸をしていない。
そんな、保身のための姑息な手段、頭がとるわけない――山崎は耳に入った言葉に信じられないといった風に土方を見る。副長だってそんなこと思ってもないのに…。


「別にどう捉えてもらっても構わないよ。
ミツバちゃんの容体は僕が1番よく分かってる。

終わる命が最後に望んだ幸せを、どうして僕達が壊せる?」

護るための刀で、愛する人の幸せを奪うなんて矛盾してると思わないか。


完全に意見が別れてしまった2人に、後ろに座る山崎は身体を丸めて縮こまりながら視線を往復させている。
発足当時から真選組のブレインとして二枚看板を背負って来た2人が、こんなに険悪なのは初めて見た。
逃げたい。ここからいなくなりたい。どうして今ここにいるのが俺なんだ―――!
山崎が心の中で叫ぶと、車がブレーキ音を立てて止まった。
屯所前だ。

乱れのない動きで降りる錦のいつも通りさがまた山崎の心をひやりとさせる。
扉を開けた錦の背中に、土方は正面を見据えたまま言葉をかけた。


「下らねェ。
不届き者は斬る。俺たちにはそれだけだ。
余計なことに気ィ回すんじゃねェ」


それに振り向くことはせず、錦は静かにドアを閉めた。閉めた瞬間発車するので、山崎はこの最悪な空気の満ちる車内に取り残されてしまった。
裏手に回り込み車両専用の出入り口から入り、駐車スペースに車両を停めた。
イライラしたため息を鼻から吐き、ポケットを探る土方はどうやらもう一本吸っていくようだ。
新しい煙草を唇に挟み、ライターを添える。チッ、チッ、とライターを回す音が何度か聞こえたが、どうやら点火しなかったらしい。音が乱雑に繰り返されたのちその手がハンドルを殴りつけたので、今度こそ山崎は文字通り飛び上がった。


「クソ……ッ!!」


ハンドルにもたれる土方の表情は見えないし、山崎には土方の気持ちを推し量ることは出来なかった。直属の上司である錦の肩を持ちたい気持ちも強かったし、何より錦の言い分もよく理解できた。

シートに深く座り直しながら、長いため息をつく土方は、山崎には寂しげに見えた。山崎の勝手な想像かもしれないが…。なんせこの2人はいつも一緒のイメージが強いのだ。もちろん任務で錦の方はしょっちゅう屯所を外すが、大きな仕事の際は2人が指揮をとったし、仕事外でもよく2人で連れ立って食事をとりに行ったり酒を酌み交わしていた。


山崎の頭の奥で、今朝近藤が言っていた言葉が蘇る。

鎧の紐解く場所――山崎には、土方の"それ"が、自分の上司の隣なのだと、真に心得ていた。
錦の前では、土方はよく物を無くしたし、険の無い表情をしている。錦が書類整理に勤しむ傍で、爆睡していることも珍しくない。それはまさしく、土方が鎧を脱いでいた証拠だった。

歯がゆく、そして複雑な気持ちだった。どちらの肩も持ちたい、しかし事はそう簡単ではない。


それからしばらく、煙草を吸うことも何かを喋るわけでもなく、土方は山崎が声をかけるまで肩を落として座っていたままだった。