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部下からの報告に眉尻が上がる。


「ほんと?」

「はい」

「…そう……」


見台に乗せた書物をおもむろに閉じる。
表紙に手を乗せたままに対抗策を講じ始めた。


直属の部下でもある山崎退が、どうやら独自の捜査網により天廻屋をたどり着いたらしい。今迄にも何度も思ったことだが、山崎は本当に有能な人材だ。惜しいと思う。監察隊が皆錦の独断で動く事は組織の分裂を招くという観点から、彼は土方や近藤の方と密にさせている。蛇足だが、他にも今屯所不在の幹部と強く繋がる監察隊士もいる。公平性を保つための配慮ではあったが、今更になってやはり欲しかったと思う。今回のことも自分には報告が来ていない。本来真っ先に上がって来るはずの自分に来ないということは、確実性を上げてから報告を上げるつもりでいるのか、あるいは先に別の幹部に報告をしていてそちらの命で動いているということか、どちらかだ。監察方は錦の私設部隊ではないのでそこは別に構わないのだが、このタイミングでまさか天廻屋に目を付けられるとは。いささか手痛い番狂わせだった。


「誰の命令?」

「副長だと思われます」


ふぅんと相槌を打つ錦の頭の中はたった今相関図に加筆が行われている最中だ。
少なからず想っていた女の、婚約者を嗅ぎ回っている。ミツバは肺を患っていてあと余命幾ばく。
土方は、果たしてミツバを捨てられるだろうか。


ミツバには当たり障りない範囲で蔵場当真の事を明かし、嫁がせた。死に逝く人間だ、懇切丁寧な説明など無駄とも思えたが、協力を仰ぐ形にした方がスムーズに行くと踏んだ。隠し事は少ない方が動きやすい。
ミツバには、天廻屋の周りに隊士がうろついても怪しまれないようにするためだと言ったが、嘘だ。ただ、彼女には真選組における抑制剤の役目を果たして欲しかっただけである。当の蔵場も保身の為に幕僚との繋がりを欲していたし、彼女はまさに打って付けの逸材だった。浪士側からミツバの情報を流し、まんまとそれに乗ってきた蔵場はミツバを無事手中に収め、順風満帆な未来図を描いた事だろう。蔵場は今まで通り務めを果たすし、それを嗅ぎつけたところで真選組はおいそれとミツバの嫁ぎ先に手は出せない。姉が攘夷関係者に嫁いだと知れれば沖田の立場も揺らいでしまう。幹部たちの性格からは考えにくいだろうが、癒着の可能性もなくは無い、というのが錦の見立てであった。

その恐慌状態を終えるまで、天廻屋からはいろいろ貰えるものを全て貰うつもりだった。
扱う武器だけではなく、商人だからこそ持っているパイプごと、鬼兵隊で貰い受けるつもりだ。真選組が御用改めで乗り込んで来た時には既にもぬけの殻。というのが錦の思い描いていた筋書きだ…が、危ない橋を渡るべきか、考えあぐねる。部下たちは手を引かせるべきだろうか。様子見が必要だ。
今日明日で狙っていた獲物を取り上げられるのは少し惜しい。ミツバには悪いがもう少しそのかすかに揺れる命の灯火を燃えカスになるまで燃やしてもらおう。借りは返してもらわねば。

今尚想うのであれば、土方も彼女のために辛酸を舐めることにも耐えるだろう。何も見逃せという訳ではない。都合のいいことにミツバは制限時間付きだ。彼女という楔が無くなってから捕まえればいい。


「まぁ遅かれ早かれバレることはバレると思ってたし、それが今日になっただけだよ。
向こうは?」

「既に身を隠し錦様の命を待っている状況です」

「じゃあそのまま待機させて。随時あっちには烏を飛ばしな」


返事をして音もなく部下が立ち去って、残された錦は土方とミツバのことを考える。
想い合う2人。
魁は「複雑な関係のようで」と言っていたが、どう複雑なのだ。好き合っていて、毎日顔を合わせていたなら、恋仲だったのではないのか。そもそも屯所を開けることがある錦だが、亀裂が入ったり裏切りの容疑をかけられるのを避けるため幹部とは定期連絡をとっているし、付き合いもプライベートにまで及ぶほど密だ。それなのに土方に想う女がいるなど……まったく気付かなかった。

うんうんと考えていると、誰かが訪ねてきた。


「錦様……錦様?」


考え込む錦が珍しくノックに返事をし忘れると、障子がスッと開いて隙間から魁の顔がひょっこり覗いた。
志摩田魁は賎民の生まれで、攘夷時代に錦に拾われてからの仲だ。非人と呼ばれる被差別民の親の元に生まれた魁には人権など無く、いつ殺されるも分からぬ子供時を送っていた。字も書けず言葉もろくに教わらなかった自分に手を差し伸べた錦について、今まで生きてきた。
自分にとって神にも等しい錦が持ち得ないものを、補うことが自分の使命だとも思っている魁は、土方とミツバのことに関しても自分の所感と推測を噛み下しやすく説明した。
完璧に見える錦が、恋愛感情に関しては疎いというよりももともと備わってすらいない、そんな風にもにもとれる不完全さが、魁には人間らしいというよりもむしろ人間離れしているように映った。


「十四郎とミツバちゃんは?会ってた?」

「……いいえ、お会いになってませんよ」

「あれ〜、そっかぁ」


ここでもふぅんと相槌を打った錦は、当てが外れたとでも言うように曖昧に頷いた。


「好きな子って、普通会いたいもんじゃないの?」


幕僚、それも対テロ組織の重役という立場で女に会うために遠方に行くなど危険極まりないが、近くに、会える距離にいるのだから会えばいいのに。錦の言わんとする所を汲んで、魁も答える。


「そうではない人々も、世にはいます。そばにいるだけが気持ちの表れとは限らないのです」


こんな、子供相手に話すように君主に説教するなど不思議なことだ。説かれた錦は「あ〜…うーん、なるほど…?」と、首を傾げながらも納得している。全く分からない感覚でもなかったからだ。


しかしそれでも錦にはとんと分からない。

そもそも人を好きになるとは、なんなのだ。

家族を想うことといったいどう違うのだ。

家族しか愛したことのない自分には、繊細な恋心など分かるはずもない。

この答えを、晋助や銀時、小太郎は知っているのだろうか。知らないのは、自分だけなのか。


「……うーん…」


つい唸るように零してしまった錦を見つめる魁の視線は、複雑そうだった。
気付くはずもない。
この人は今までずっと気付かず生きてきたのだ。それでも許される場所で生きてきた。そんな暇など無かったし、それどころでは無かったので。
この人は今も昔も気付かないのだ。自分もまた想われていることに。

土方がミツバに会わないのは、もちろんミツバのことを大事に思うあまりだ。存外男というものは初恋に対して過保護になるきらいが否めない。そこはかの鬼の副長もただの男だったというわけだ。

土方は初恋の人を護りたいのだ。遠くにあっても尚。
そして今。
その初恋が続いているとは、限らないのである。