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錦が沖田ミツバと最初に出会ったのは、真選組が創設されてしばらく後のことである。
大仰な捕り物劇があり、その最中欠員が出てしまった真選組は、近藤・土方・沖田を始めとする隊士の出身地である武州で募兵を行った。
武州に赴いて数日滞在した際に世話役として来てくれたのが、総悟の姉であるミツバだった。
総悟は普段の様子からは想像できないほど折り目正しくミツバを厚く出迎え、再会を喜んだ。全幅の信頼と敬愛と姉に寄せているようで、その様に少し驚いたのを覚えている。そして、それとは裏腹に土方がミツバの近くに寄り付きもしなかったことが意外であった。女性において禁欲的であり、どこか苦手としているようなところもあるが、常識はある彼なので挨拶も礼も無かったことが、錦に疑問を抱かせた。
ミツバに会うまで存在さえ知らなかったので、2人の関係も露ほども知らない錦だったが、ミツバが土方を見つめる表情から彼女が土方に想いを寄せていることは分かった。そして当の土方もそれには気付いていて、彼女を疎ましく思っているのだろうと考えた。昔からあまり女性が得意じゃないんだなぁと魁に零したら、「あれはそういうんではありませんよ」怪訝そうに否定された。魁が言うにはどうやら2人は相思相愛の仲らしいというが、ついぞ錦にはそれを真に理解することはできなかった。錦は恋愛感情において、不思議なくらいに理解も共感も出来ない人間だった。

しかし沖田総悟の実姉で、土方十四郎のいい仲の女性であるということは理解した。近藤とも仲がいいらしかった。
この時点ですでに錦のミツバに目をつけていた。
内側に楔を穿つのにこれほどいい人材があるだろうか。いやいない。
彼女こそ真選組の"弱み"だった。だから近くには置かず、廃れた田舎の武州で1人ひっそりと暮らしているのだ。錦にさえも教えなかったのだから、彼らがミツバの安全をいかほどに気にかけていたか、推して知るべしである。


だから錦はずっと、他の馬鹿な攘夷志士どもが下らない思惑でこの人材に目を付けないよう目をかけていた。女の身体にも気を遣ったし、少しでも生き長らえるよう施しをした。見舞いと称して顔を見に行ったし、自分が行けないときは部下に行かせた。そうして信頼を得てきた。



そして今、ミツバの命の灯火は消えかかっている。
どんな優秀な人材も、生きていなければ価値など無いに等しい。錦は考える。
機が熟すのを待っていたが、このまま大事にとっておいても、使いそびれてしまうだろう。出し惜しみしている余裕はなさそうだった。
最後の頼りだった治験薬がミツバの命を繋ぎとめている今、余談は許されなかった。


1つ1つパズルのピースがはまっていくように、錦の脳内では計画の道筋が組み立てられる。この時錦には、たしかにこの計画が完璧なものに思えた。

失敗要素を上げるならば、前述のように錦には他人の恋愛感情のことなど露ほども理解出来ないことだった。甘い気持ちも、切ない気持ちも、錦にはとんと分からない。それがミツバと土方の両者の複雑な想いなど、理解できるはずもなかったのである。
そして、思いのほかミツバに残された時間が少なかったのも、歯車を狂わせた要因であることは間違いない。

先にネタ明かしをしてしまえば、この錦の計画は珍しく失敗したのである。




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「頭〜!」


ドタドタと自室まで走ってきた退が、開け放っていた障子に捕まるように手を掛けた。
まっすぐな日の光が差し込む、気持ちの良い午前だった。


「騒がしいな、何?」


書類仕事のための筆を止めることなく、退に問う。


「お客様ですよ!珍しいお方です!」


嬉々として話す退は、客間にいらっしゃいますから早く早く〜!と急かしてきた。
とりあえず今書いている書類だけは仕上げてしまおうとすると、そんなのいいから〜!と横槍を入れてくる。ささっと書き上げた書類を隣の山に重ねて、ガラスで出来たペーパーウェイトを置いて立ち上がった。廊下に控えて待っていた退はにこにこしながら立っている。


「頭きっとびっくりしますよぉ〜!」

「桂がいたらびっくりするかもね」

「滅多なこと言わんでくださいよ!!!」


縁側を使って客間へ向かい、ひょいと中を覗きこむと、そこで錦は嗚呼と納得がいった。客間には、テーブルを挟んで向かい合う近藤とミツバの姿があったのだ。


「おお錦来たか!」

「ミツバちゃんじゃない。どうしたの」


お邪魔してますと柔らかく返してくれるミツバに返事をしながら近藤の隣に腰を下ろす。
近藤から、実はなと単刀直入に事の次第を伝えられた。ミツバが江戸の貿易商に嫁ぐという。
ミツバと密かにアイコンタクトを交わす。
もちろん婚姻は錦の知るところだった。錦の謀により、ミツバは天廻屋に嫁入りするのだ。ことはうまく言っていた。狙い通り縁談の話はうまく進み、こうしてミツバは江戸に来ている。


「そうなんだ。じゃああんまり僕が外に連れ出すのもよくないね、相手のいる女の子をさ」

「ふふ、錦くんと浮気を疑われるなんて役得よね」

「嫁入り前の子がなんてこと言うの」


おかしそうに笑うミツバは、どうやら以前見た時より安定しているように見える。一応真選組の診療役である麻ツ本の診察を受けるよう釘を刺しておく。心配せずともミツバには監察をつけているので何かあっても心配はないだろうが。

近藤がミツバを褒めそやしていると、そこに突然爆音を立てて閉まっていた襖が吹っ飛んだ。


「まぁ相変わらず賑やかですね」

「オウ総悟!やっと来たか」


庭と目の前のテーブルに潰れている隊士をガン無視で、襖の無くなった方に近藤が手をあげる。そこには片手で退の首を鷲掴み、宙ぶらりんの状態で喉元に刀を突きつける総悟がいた。


「すんませーん、コイツ片付けたら行きやすんで」

「総ちゃんダメよ、お友達に乱暴しちゃ。メッ」


ズレにズレているミツバのお叱りによって、出来ればコレも片付けて欲しいんだけどなぁとテーブルに突っぷす隊士を見て言った錦の言葉は流されてしまった。

姉に咎められた総悟は、叱る姉の顔を見るや否や、ガバっと土下座した。


「ごめんなさい!お姉ちゃん!」


見事な変わり身に、一瞬前まで今際の際を見させられていた退はええええええと大口を開けて驚いている。


「はっはっはっはっは!相変わらずミツバ殿には頭が上がらんようだなァ総悟!」

「お久しぶりでござんす姉上。遠路はるばる江戸まで御足労、ご苦労様でした」

「ううん、平気よ。錦くんの部下の方が迎えに来てくださったの。荷物まで持っていただいてしまって」

「錦 …ありがとうごぜぇやす。」

「ううん、気にしないで」


始終真摯な態度を崩さない変わり果てた総悟を見て、退は口元を引きつらせている。


「だ、誰……????」

「まぁまぁ、兄弟水入らず。邪魔立ては野暮だぜ」


退の肩に腕回して出て行こうとする近藤に、錦もそれに倣って立ち上がった。


「総悟、お前今日休んでいいぞ。
せっかくいらっしゃったんだ、ミツバ殿に江戸の街でも案内してやれ」


近藤の裁量に、総悟の顔をぱあっと明るくした。立ち上がってびしっと90度のお辞儀をした総悟を横目に、部屋を出る。
最後に目があったミツバに、口元に人差し指を立ててサインを送ると、ミツバは小さく笑って頷いた。


総悟がミツバの腕を引いて廊下を駆けて行った。笑い声が遠くなる。