1 錦には、潜入任務以外にも屯所を空ける理由があった。 ときに残党兵殲滅のため。 ときに地方の役人や、他惑星との会合のため。 ときに幕臣の出張などの付き添いのため。 荒くれ者の真選組の中にあって、頭が良く話術に秀でており、その上出世欲の無い錦はとかくいろいろな事に駆り出された。 「こんにちはー、ごめんくださーい」 そよぐ風が木々を揺らし、花の匂いがうすらと漂う中、錦は木の戸口を叩いた。 整えられた家とその周りを見るに、屋敷の住人の性格が伺える。 戸の向こうをパタパタと足音が寄ってきて、はいと女性の声で返事がある。名前を名乗ると、すぐに戸が空いて華やいだ笑顔が隙間から覗いた。 「まぁ、錦くん!」 「こんにちは、ミツバちゃん。調子よさそうだね」 この間まで土気色だった顔が嘘みたいだね。なんて揶揄うと「ふふ」笑みを零して、そうでしょう?と彼女はおどけてみせた。 錦は今、武州に来ている。 ---------------- 「そんなに来てくれなくても大丈夫よ。 この間頂いたお薬、とっても良くて落ち着いてるの」 「そりゃよかった。いや僕は治験薬の効果を麻ツ本に言われて見に来ただけだよ。 残念だけどミツバちゃんはそのついで」 「もう、ひどいんだから」 縁側で出されたお茶に口をつける。お茶を運ぶ足取りも軽やかで、どうやら本当に薬は効いているようだ。 お互い錦の部下を通じてお互いの様子くらいは知っていたので、なんだか久しぶりな気がしない。 「総ちゃんはどうかしら。皆さんに迷惑をかけてない?」 「さぁ〜。ミツバちゃんが自分の目で確かめに来ればいいんじゃない」 のんびりしたところがそうさせるのか、どことなく馬の合う2人は長い付き合いでも頻繁に会えるわけでもないが、軽口を叩きあえる仲だ。 「私は……、無理よ」 「なんで?薬は身体にあってるんでしょ?」 もう少ししたら遠出も可能なくらいは落ち着くはずだ。そうなれば江戸にいる錦が抱える医者の検診にかかることができる。屯所の皆とも会えてミツバにとって一石二鳥のはずだ。 道すがら気まぐれに購入したシャボン玉セットに息を吹きこむと、危うげながら泡が膨れ上がる。 「………」 「あんまり田舎に篭って家の中にばっかりいると、身体錆びちゃうよ」 吹き口から離れて上空に舞い上がるシャボン玉を見送る錦とは反対に、ミツバは俯いている。 美しいかんばせは、今日の天気のように曇っている。 「…あのね、錦くん」 薄い唇を震わせ、ミツバは誰にも、実弟にもまだ言えていないことを打ち明けた。 「………」 黙り込んだミツバを横目に見やり、もう一度シャボン玉を膨らませる。 分かっていたことだった。 ミツバがもう長くない命であることは。 ミツバ自身も、そして部下にミツバの様子を“監視”させていた錦も、互いに承知していた。 昔から身体が弱かったらしいミツバなので、もう何度も自分が死に行くところを想像しただろう。そして受け入れてもいたはずだ。それを今こうして改めて打ち明けた彼女の顔は、もはや自分には猶予がないことを再確認させられ、誰にも見せたことのない本音の色を滲ませている。 分かっていたことだった。 治験薬は症状を緩和させるだけの代物だ。治してくれるわけじゃない。この世に万能の薬があったとしても、それは地球にはない。 分かっていたことだった。 ミツバがこうして自分だけに打ち明けることを、錦は見通していた。 錦が治験薬を用意し、ここまでミツバの快復をはかったのには思惑があった。 目的のためならば、いくらであっても冷酷になれる。手段の是非など、古見錦にはどうでもいい事だった。 「最期くらい江戸に来ないの?」 「え?」 「こんな寂れた土地で1人で死ぬつもり?なんのために? それよりもやりたい事とかあるんじゃないの? 最後くらい、総悟に幸せな姿を見せてあげたいとかさ」 こんな弟から離れた寂しい土地で、独りで逝きたいわけじゃないだろう? 錦の柔らかいがさっくりと刺すような問いに、ミツバの胸は痛んだ。 そうだ、自分は独りだ。置いていかれて、ここに、武州に、独りぼっちだ。 最後に弟に、病気で心配ばかりかけた弟に、私は十分幸せだったと身をもって伝えたい。 そして、…最後に一目だけでいい、あの人に会いたい……。 黙り込んだミツバの翳った目を錦はちらりと見やった。 錦には、屯所を開ける理由があった。 ときに潜入のため。 ときに協力者をつくるため。 「ねえミツバちゃん。 江戸の貿易商の人なんだけど、財も安定してて人柄も良さそうな人がいるんだ。 ミツバちゃんに、頼みがある」 ときに野望のため。 |