1度目の心中 「ねぇ晋助、何怒ってるの?」 「怒ってなんかねェ。あっち行け」 「いや絶対怒ってるじゃん。今日の私の分のヤクルコ飲んだのお前だろ」 「知るか俺じゃねェ。俺が飲んだのは昨日の分だ」 「飲んでるじゃん」 ぶすくれた顔でズンズン歩く晋助の後ろを、適度な距離をあけて追う。 8月も中旬に差し掛かり、太陽の光はまるで槍のように私たちを貫いている。小指の先程にもなる汗が米神を伝っていく。 このうだるような暑さの中にあって、目の前の男はそんなことにも目をくれず今日も元気に不機嫌だ。一体私が何をしたと言うのか…まったく辺りがつかない。なんかしたっけ。 昨日もこんなやり取りをしたが、ついてくんじゃねェと言われたから立ち止まったら何止まってんだと啖呵を切られた。ええ…お前は一体私をどうしたいんだ…。謎が謎を呼びその上この暑さで頭が茹で上がるようだもう勘弁してくれほんと。 「そろそろ機嫌なおしてくれよ晋助、私が悪かったから」 「テメェ訳も分からず謝ってんじゃねェよ」 「じゃぁ教えてよ〜何が嫌だったの〜?」 ちょっと怠くなってきてしまった。強めの押しで問うと、晋助は口をつぐんだ。 お?もうちょっと押せばいけそうな感じ。 明けた未来に光が見えた気がしてつい調子に乗ってしまった。だからだ。 「私に償えることだったらなんでもするからさ、ね」 そう言ってしまったのは。 ピタリと足を止めた晋助の横顔が髪にかかって見えない。照りつける太陽で濡れた皮膚が光っている。 「テメェ…」 「ん?」 「なんでもっつったな」 「え、うん。まぁ私の…」 出来る範囲でだけど。 そう繋げるつもりだった言葉は口から出ることなく飲み込まれた。掴まれた手をぐんと引っ張られたからだ。 先程までの比じゃないくらいの猪突さで歩く晋助に引き摺られるように歩く。引っ張られながら、さっき軽率に放った言葉は正解だったのか否か、考えていた。焼け木杭には触れるべきではなかったかもしれない。 男所帯の陣営ではほとんど誰も立ち寄らない納戸に乱雑に押し込まれる。掴まれた手首がそのままなせいで痛い。間を空けず入ってきた晋助がすばやく扉を閉める。えっなに…なんでこんな狭いとこに閉じ込め、えっこれホントに始末されるの?そういう流れ? 日のほとんど入らない作りのせいで、戸の上部から入る僅かな光を背負って晋助の顔が見えない。夕暮れに近づく時間帯ということもあって影が強く落ちる。 「随分と余裕そうだなァ」 「えいやなになになに狭いんだけど」 ただでさえ狭く、物が散らばっていて足の踏み場が無いのに、そんなこともお構いなく距離を詰めてくる。いつもと醸す雰囲気が違う気がして、距離を保つように後ろ足を引くが、何かに躓いてしまう。ぐらりと傾いた身体にすばやく反応した晋助が二の腕を掴み、そのまま壁に押し付けられた。中途半端な体勢を保っていられず、腰を床に落とした。 衝撃で揺れた棚の壺や箱たちがカタカタ音を鳴らす。埃の匂いが増す。小さな窓から差し込む光が、覆い被さる晋助の後ろ側で塵を照らしている。悠長なことにまだ晋助の意図を掴みあぐねていた私は、どこか冷静に晋助を見つめ返していた。ここ最近身長が伸びたなと思っていたが、近くで見てみると顔つきや体つきもぐんと大人びてきたかもしれないと気付く。いつも側に居すぎて気付かなかった。 「テメェいつまでアホ面してやがる」 「いや、晋助…」 「あ?」 「男っぽくなったね」 こんなに身体おっきかったっけ。 頭のすぐ横に肘をつけていた晋助が目を見開いたあと、力が抜けたように頭を垂れた。なにやら震える手で顔をおさえた。そういえば手もゴツゴツしてきたなぁ。銀時たちに比べて成長期が遅いのを口には出さないけど気にしていたようだったし、すこし安心した。 顔を抑えるその手を取る。自分の手の中におさめて改めて見るとよく分かる。もう道場破りの少年の小さな手ではない。関節が出っ張ってきて、うっすらと血管が浮いている。手のひらや指には豆や潰れた後のそれがある。毎日刀を振るっているからだ。毎日それを横で見てきた。 親指で、手の甲に薄く浮き出た血管のでこぼこを優しく撫でる。 あんまり傷付かないでくれたらと、そう思う。刀をとったのは私たち全員の総意だけど、後悔はないけど、でもそう思う。願ってる。ずっと。 手の甲を見て、きちんと歳を重ねているんだと思って、思い出した。 「あ、そうだ晋助、誕生日おめでとう」 そう笑いながら言うと、いつのまにか顔を上げていた晋助が息を飲んだ。まるで信じられないものを見たような顔をしている。離そうとした両手の指先を、片手で纏めて掴まれた。その手から再び視線を上げると、さっきよりも晋助の顔が近いところにある気がする。 胸の前で掴まれた手を、なぜだか振りほどけない。 「ホント、お前って…」 ふっと力が抜けたように笑う。 伏せたまつ毛の先が光を受けていて綺麗だ。 動けないまま、ぼんやり思った。 「錦……」 聞いたことのない声で、響きで、晋助は私の名前を呼んで、目を伏せた。 額がくっついて、鼻の先が触れ合う。薄く口を開けて晋助が顔を傾けて――― 「おーーーーーーい錦ーーーー!飯ィ〜〜〜〜!!!!」 ピタリと止まった。 先程まで自分たち以外どこか止まっていたように思えた世界が動き出したように感じた。立ち込めていた不思議な空気も霧散したようだ。 お勝手の方からだろうか。銀時が5歳児のように自分を呼んでいるのを、小太郎がたしなめている。ああもう夕餉の時間か。いけないお米炊いただけだった。 返事をしようと息を吸った、その口をぱしりと塞がれる。 晋助に目線で訴えると、流し目で睨まれる。廊下の様子を伺う晋助にちょっとでも仕返ししてやろうと抑えられた手に歯を立てた。が、まったく気にする様子もなく、最近露わになってきた輪郭のラインを晒している。 銀時たちの気配が遠ざかっていき、手が外される。離れていく手を見てみると、小指に噛み跡が付いていた。いい気味である。 同じものを見て、晋助はフッと笑いを零した。 「なんでもするっつったよな」 「…? 私に出来る範囲でだよ」 「じゃあ問題ねェだろうよ」 愉快そうに笑いながら、晋助は私の手を取り、 小指を噛んだ。 今更指を噛まれたくらいではなんともないが、噛みちぎられるのではないかというくらいの強さで歯を立てられたら流石に痛い。 口に含まれた小指を動かすと、挑発するように指の根元から舐め上げられた。 満足したのかゆっくり離す唇から、僅かに小指が糸を引く。 「おい」 「ククッ、誕生日祝いに貰っていくぜ」 お咎めからさっさと逃げていく晋助は、上機嫌そうに戸を開け放って出て行った。 締め切られて鬱々とした納戸が、長いこと息を止めていたあとのように外の空気を吸い込む。 誰もいなくなった納戸に1人取り残されて、小指の噛み跡を見返す。 自分の小指に刻まれた歯型と、晋助の小指に残っているだろう歯型。晋助の意図するところに考え至って、呆れてしまう。 「誕生日祝いに心中立てなんて…」 割に合わないっての。 笑みと一緒に小さな文句がこぼれ落ちた。 ちなみにそのあと紫に変色した噛み跡を見つけた銀時が凄まじい顔をしたあと不機嫌になったので、今度は銀時のご機嫌取りをするハメになったのだった。以下略。 勘弁してくれ…。 2018.08.10. Takasugi HBD |