夏、君の声







私が強く思い返す夏の欠片といえば、

冷やした麦茶と、

遠く叫ぶ蝉と、

小太郎と打つ将棋の音だった。










ーーパチッ


「お、珍しいね」


置かれた駒が小太郎にしては珍しい切り口の攻め方だった。


「たまにはな」

「またまた」


ーーパチッ


煩いのが出払った家では、私と小太郎は本来の静かな気質に戻れる。

こうして暇を持て余すとどちらからともなく盤を持ってきて将棋を打ったり碁を指すのが、私と小太郎の約束事のようになっていた。
銀時や晋助がいると年寄り臭いだの俺とも一局やれだの、いらん茶々を入れてきて煩いので、自然と2人きりの時によく対戦するようになった。
この時間の間は輪をかけて喋らなくなる私たちだが、盤上では雄弁だ。

周りが思うよりもずっと、私と小太郎は対話していた。

そういえば最近は晋助から「もうすぐ俺の誕生日だぞ」という無言の圧力を感じていた。今年はどうしようか。
8月はもうすぐそこまで迫っている。


どたどたどたと廊下を駆けてくる音が聞こえた。
どうやら手のかかる奴が帰ってきたらしい。

戦局も佳境だ。あと一歩で刺せる。


「おっ、ま〜た打ってやがる。よくやるねぇ」


こんな暑いのに脳みそ湯立たねえの。


真剣なこちらを気遣うわけもなく畳に寝転がる銀時が、まるで私たちの分まで喋ってるのかというほど話しかけてくる。
普段構い過ぎると嫌がるくせに、こうして手放しにしてるとちょっかいを出してくるのだから勝手だ。


「今どっちが勝ってんの??」

「さぁてね」


匍匐前進して私の横から覗き込んでくる。彼がバタバタ仰ぐうちわが腕に当たって煩わしい。


「あんだよそんくらい教えてくれてもいいだろー」

「銀時、晋助はどうしたの」


たしか一緒に出て行ったので、てっきり2人でふらふらしているものだと思ったが、もしかして別行動だったのかな。
あまりそりが合わない2人が喧嘩別れした可能性もある。その場合は夕飯の席がめんどくさいことになるのでどうか違っていてほしい。


「あ〜それが途中で坂本のヤローとばったり会ってよォ、なんか…まぁめんどくせーから置いてきた」


辰馬が加わって俄然うるさくなる一行が容易に思い浮かぶ。
自分の口角が上がったのと、目の前から笑い声が漏れたのは同時だった。


ーーパチリ
ーーパチリ


「今頃辰馬が誕生日プレゼント何がいいかーって聞いてるかな」

「いや、そもそも覚えていないんじゃないか?」

「ああ、そっちの方が濃いな」


どっちにしろ晋助のことだ、別に辰馬に厚く祝われたところで暑苦しそうに顔をしかめるだろうな。
といって祝わなければ後々言葉の端々に棘を織り交ぜてくるのでないがしろにも出来ない。


「今年はどうしようかなぁ」

「毎年毎年大変だな、お前も」

「なんで私だけこんな悩んでるのか解せないな。お前たちどうやって免除されたわけ」


晋助は昔からやたらと私にだけ物をせびってきたりわがままを言ってきたりする。
もう祝われて喜ぶ歳でもなかろうと「おめでとう」とだけ言った年には、機嫌を直すのに骨が折れた。


「アイツはお前にだけは甘いからな」

「そうかなぁ…」


厳しいの間違いだと思うけど…。
いちいち私のすることに目を光らせる晋助にはもう慣れてしまった。


「あ〜〜イテテテ、腕痺れちまったよ銀さん」

「わ、ちょっと」


ぐでっと体重を掛けてきたと思ったらそのまま頭を膝に乗せてきた。
下敷きになった左手を抜いた拍子に頭が落ちそうになっても、めげずにまた乗せてくる。


「暑いってば」

「いーの」

「何が……?」


手で退けるのも邪険にするようで忍びなくて出来ないでいると、小太郎が笑う。


「大人気ないぞ、銀時」

「うっせ」


何故かそこはかとなく不機嫌だ。
やっぱり退かすのはやめておこう。
銀時も晋助も一度ヘソを曲げると長いところまでおんなじだ。


ーーパチリ
ーーパチリ


やがて表の方から騒がしいい問答が聞こえてくる。2人のお帰りらしい。

このままだと勝敗のつかないまま今日もお開きになってしまう。
盤上では、追う私の駒と、それをやり過ごして逃げる小太郎の駒があった。

玄関の方から呼び声がかかる。


「おい、帰ったぞ」

「アッハッハッハおんしはほんに錦が好きじゃの〜わざわざ呼ばんでも〜」

「テメェいい加減うるせェんだよ俺はもう疲れた」


玄関口の方で自分を呼ぶ声が聞こえる。
おかえりと声を張ったので、そのうち来るだろう。


「銀時、かたきが帰ってきたようだぞ」

「うっせー」

「こわやこわや、さて終いにするか」

「くそ、今日も逃げられた」


からかいを含んだその悪態に、小太郎は愉快そうに笑った。
彼は盤の上でも、「逃げの小太郎」だった。

そうしてさっさと別の部屋に行ってしまった小太郎を見送る。入れ違うようにして入ってきた晋助と辰馬が、私に膝枕させている銀時を見て一悶着起こしてから、小太郎が逃げたのは碁盤の上だけじゃなかったのだとようやく考え至った。
なんともまぁ、「逃げ」の名に恥じないものだ。