6 「えっ、いないんですか?」 手持ちの品を抱えたまま、思案する。てっきりこの家に帰ってきてるもんだと思ったけど…どういうことだろうか。あまりに身体に傷が入ってるんで入院……それかこの家での看病が難しくて志村家にでも引き取られたのだろうか。 「ソウ、坂田サン、イマ不在デス」 「そうですか…どちらに行かれたかはご存知ですか?差し支えなければ教えてください」 公的な役職である身なので、この女性が自分の顔を覚えてくれているなら滞りなく教えてくれるだろうが…この人異星人みたいだし私が警察だと知らないかもしれない。それに昨今では警察官が女性をストーカーする事案まである。世も末だ。個人情報は教えてくれないかもなぁ。 目の前の女性……下の階に店を構える“スナックお登勢”の店員、キャサリンさんが再び口を開こうとした時、階段から声がした。 「銀時なら新八ンとこの道場さ」 「お登勢サン」 キャサリンの向こうから歩み寄ってくる壮年の女性は、寺田綾乃――源氏名ではお登勢さんだ。歌舞伎町の四天王の1人である。 新宿地区と密接に関わりのあるのが真選組である。血気盛んな他の隊員はその限りではないかもしれないが、私と近藤くんは手を取り合っていけば捜査によりよい結果をもたらすと考えている。 私生活において関わるのは初めてだ。 「どうも、お邪魔しています。 真選組局長助勤の古見錦です。いつもお世話になってます」 「あの荒くれどもの集まりの中で珍しく行儀がいいじゃないかい。 アタシの自己紹介はいらないね」 「恐縮です。はは、もちろん」 夜の職業だというのに、昼間には着物をきっちり着込んでお天道様の下を歩いている。彼女たちのような職業の女性を夜の蝶とは言うが、降り注ぐ日光を受けて尚シャンと伸びる背中には、一種の尊敬を抱くほどだ。 「アンタが錦だね。あのバカから話は聞いてるよ。なんでも記憶がトんじまってるんだって?」 「ええ、……ですがこの時分において、昔の自分のことを知っていてくれている友人がいるということは、幸せなことです。僕は恵まれています、…いやあ、自分は忘れてしまってるのに」 思わず自虐的になってしまったので笑って誤魔化そうとすると、お登勢さんは煙草をふかしながらふっと笑った。 「多かれ少なかれ、人間っつーのは忘れていくもんさ。 銀時は酔っ払うとよくアンタの話をしてたよ。いつのまにか私までアンタを知ってた気になっちまうよあれだけ聞かされちゃ」 「再会してからは、よく一緒に呑みに行きますから…」 「前からさ」 「えっ?」 短く返された言葉をすぐに理解できず、素っ頓狂な聞き返しをしてしまう。 前、とは、いつの……どういうことだろう? 「アンタと再会する前から、アイツはアンタの話をよくしてたよ」 「…………。それは…… 個人情報の流出として罰金とりますかね」 それを聞いたお登勢さんは高らかに笑うと、そうしてやんな!と言った。 気持ちのいい人だ。銀時は、この人に拾われてここに来たのだな。 腐りかけた国ではあるが、住む人々は暖かい。旧友がその暖かさに囲まれて生きていることが嬉しい。 「あ、良かったらコレお2人で召し上がってください」 手に持っていたお土産を2人に差し出す。 昼も夜も美しくあろうとする女性には慰労と称賛があって然るべきだ。 きっと銀時が不在の間、留守を預かっているのだろう。玄関先まで掃除が行き届いているのがわかる。 「こんな僕がこう言うのは厚かましいとは思ってますが…… いつも銀時がお世話になってます。と、ずっと挨拶に来たかったんです。 アイツを拾ってくださって、 ありがとうございました」 言葉と共に、自然と頭が下がった。 この人と会った日の銀時の状況を事細かには知らないが、自分たちが駆け抜けた時代を思い出す。きっとボロボロだったろう。ボロボロのくたびれた雑巾のように道端に座り込むアイツを容易く想像できた。昔も、1人で戦場にいた。 深く下げた頭を、どうにも戻し難い。目の前のこの人を本当にありがたく思うあまりだ。 切り替えよう。 折った腰を戻し、再び顔を戻す。真選組の古見錦に戻る。 「アンタと育ったってのに、アイツはアンタと似ても似つかないねェ」 含み笑いで言ったお登勢さんの言葉に、キャサリンさんが腕を組みながら大きく何度も頷いていた。意図せず笑ってしまったのは、その明け透けな言葉に銀時がありのままで愛されているのが分かってしまったからだ。 頂くよ、ありがとうねェと手土産の菓子が受け取られる。中身は老舗の和菓子屋の人気商品詰め合わせだ。喜んでくれるといいのだが。 お礼を言って頭を下げた時に、「よしとくれよ」なんて、言われなくてよかった。 深いお礼の気持ちを軽くいなされなくて、どこかホッとした。 そろそろ行こう。銀時の満身創痍を笑ってやらなくちゃ。 頭に思い浮かんだ白いもじゃもじゃを茶化すべく、志村家へ向かおう。 「じゃあそろそろ僕は行きます」 このまま新八くんの家に向かいますと、2人の横を軽快に早足で通り抜ける。 階段を降りて路地に出ると、上から声が追いかけて来た。 「御役人さん! またいつでも来なよ。男前にはサービスしてやるからサ」 飾らない言葉に、思わず笑いがこぼした。銀時が聞いたらブスッとしそうな言葉だ。 こちらも笑顔で手を降る。「銀時の快気祝いには必ず来ます!」大きく手を振って、歩き出した。志村家に行く前にどこかで手土産を買おう。怪我人も口に入れやすいように、やっぱり和菓子がいいよな。意地でも食べるだろうから。 ◇◇◇◇◇ ごめんくださいと門を叩くと、中から女性が顔を出した。 「あら?錦さん!」 「どうもこんにちは、お妙ちゃん。いつもうちの馬鹿どもがお世話になってます」 頭を下げると、ぺこりと会釈し返してくれたこの女性が、この志村家の現在を支える志村妙さんだ。いつぞや馬鹿を迎えにお店にお邪魔したこともある。 「今日はどうなさったんです?お休みですか?まだあの人は見掛けてませんけど…」 「ははは、見掛けてないだけでたぶんいるんじゃないですかね。 今日は近藤くんじゃなくて、もう1人の馬鹿の様子を見に参りました」 もしかして、まだ面会謝絶ですか? 片手に持ったものを掲げて見せると合点がいったのか、笑いながらどうぞと通してくれた。近藤くんに呼び出されてお店に行った時以来、彼女は自分にとても良くしてくれている。年頃の娘さんらしく、慎ましく細やかで、とても可愛らしいと思う。 「錦さんが来るならもうちょっと良いお着物着てるんだった」 はにかみながら笑う彼女はまるで道端でスミレの花が咲いたようだ。 染まった頬が可愛らしい。 「そんなことないですよ、お妙ちゃんはいつも綺麗だ。まるで菫の花が咲いたようだ。 銀時はお妙ちゃんに看病してもらえて幸せだな」 本心から褒めるとお妙ちゃんはより一層肩をすくませて照れていた。 銀時がまるで大人しくしておらずあれでは傷が治らない、自分からも何か言ってやってくれとお妙ちゃんから訴えられるが、アレは昔からの癖なので放っておいた方がいいと内心で返答する。構うと逃げて、放っておくとちょっかいを出してくる厄介な性癖を持っているのだ。もちろん昔の話など口に出せるわけもないので、僕が言って聞いてくれるかなあと笑っておいた。 庭に面する縁側を通り、銀時が伏している部屋に案内してもらう。風通しがいいように開け放たれた障子のわきにお妙ちゃんが膝をついて声をかけた。 「銀さーん、お客さんですよ」 「あ?客ゥ??ヅラなら医療費ふんだくって追い返しとけ」 「残念ながら医療費はないけど…………手土産ならあるよ天パ」 肘をついてガバッと起き上がった銀時に、手のひらを上げる。 「錦!」 「よっ。 派手に暴れたらしいじゃん。ま、思ったより元気そうだね」 上体を浮かす銀時を片手で制しながら後ろのお妙ちゃんにアイコンタクトを送る。銀時はみておくから、休んでて大丈夫だよという意図だったのだが、気遣い上手の彼女にはきっちり伝わったらしい。会釈をしてささっと奥に引っ込んで行った。出来た子だ、ほんと。 「…………」 「今回も小太郎と暴れて来たんですかお兄さん?」 「さ〜〜なんのことか知らねーな」 「密偵から報告があがって来てるぞモジャ毛。とある過激派と穏健派の抗争に子供2人を連れた白いモジャモジャがいたってな」 「……………………」 嘘の上手いコイツが黙り込むときはだいたい2パターンあると相場が決まっている。 それ以上嘘をつき続けられなくなって逃げ道がなくなってしまったときか、わざと誤解をとかずに汚れ役を買うときだ。今回は前者のようだけど。 お妙ちゃんを追いかけ回す近藤くんも、銀時の周りを常日頃張っている元御庭番衆もいないようである。この都合のいいタイミングを逃す手はない。 「そのうち真選組(うち)からも探りが入るだろうが、まぁ、適当にやり過ごせ」 「おいおいおいおいテキトーってなんだテキトーって!お前偉いんだろーが!高給取りだろーーが!仕事しろ!!」 「仕事の一環がお前を探ることになるっつってるんですけど」 ケッと悪態ついて布団に寝転がった銀時は、ヘソを曲げてしまったらしい。背中をこちらに向けて身体を丸めてしまった。 「…………なんで行ったんだ?」 「あ?何がだよ。つーか俺は知らねぇ。依頼があったからこなしただけだ」 「…………高杉一派を討てという依頼か?」 切り込んだ問いかけに、銀時は口を塞いだ。 “古見錦”は深い事情を知らない。銀時の口から聞く事と部下からの報告が全てだ。 「…ハア。 ……もうやめろ、銀時。全てのことから手を引け。 アイツが度々江戸に来ていることは知っていた。私を恨み憎んでることも分かってる。 いつか私とアイツは相見えるだろう。今までとは違った身で、掲げた刀で、いずれ交わる。この道を選んだ時からそのつもりだった。そうするためにここにいる。 アイツを止めるために、私は今立っている。斬り合うなら本望だ。 だからお前はもう休め。お前が護るべきものは、そこにはないだろう」 丸めた背中から目は離さない。ふわふわの頭の下に畳まれた腕は、痣だらけだ。相当な死闘を繰り広げたに違いない。私自身は見ていないが、昔戦場を駆け抜けたコイツの姿が脳裏によぎる。 「私は昔となんら変わってない。 着るものが変わっても、字名を得ても、味方が変わっても。 あの時からなんにも変わってない。 私が護りたいものは、あの時から、何一つ変わってない」 暗に自分は昔と同じ戦場に立っていて、お前はもう戦線を離脱した者で住むところが別なのだから平和な場所で生きろと諭したつもりだった。その通り伝わっていなくてもいい。好きなように受け取ってほしい。1番伝えたかったことは、「こちらから手を引け」という一種の拒絶の意思だ。それだけは明確に伝わったろう。ことさらそういうのに敏感な性分だしな。 …天邪鬼なコイツがその通りにするわけないと、分かりきっているけど。 2人で沈黙を分け合っていると、縁側からドタドタドタと元気に走る音がしてきた。音は爆速で近づいてきて来て、そのまま部屋の前に滑り出てきた。 「錦ーーーーーー!!!!」 「お、神楽おはよう」 「おはようじゃないネなんで言わなかったアルか!お前来るならメールしろヨな私迎え行ったのに!」 元気な神楽はお世話をしたがるというか、なんでもやりたがりな年頃だ。大変微笑ましくて、ごめんごめんと手招きしながら謝る。 飛ぶように部屋の中に入ってきた神楽は、勢いそのままに隣に座った。 「あ、そうそうお土産あるから食べておいでな」 「土産!??!何アルか!?!」 「和菓子とね〜、みんな疲れたろうからお肉買ってきたよ。夜はそれ食べよう」 「ヒャッホーーーウ!!肉〜〜!!今夜はすき焼きネ〜!!」 お妙ちゃんがいるであろう台所に両手を上げて走って行ってしまった神楽を見送った。背中から差し込む西日は、もうだいぶ傾いてきている。そろそろ勝手に早上がりした近藤くんが来る頃じゃないかな。どうせだしご飯食べたら連れて帰ろう。 「オメーちょっと甘やかしすぎじゃねーの?神楽もそうだけどお妙にも」 「そうかな?年下ってどうにも接し方が分からなくて……道場に入るとちゃんと出来るんだけどなぁ」 そう言うと銀時は昔を思い出したのだろう、ああ…と遠い目で相槌を打つ口元がヒクついていた。何か嫌なことでも思い出している顔だった。 それから日が暮れてひと騒動あり、みんなでご飯を食べて僕と近藤くんが帰るときになっても、銀時は僕の目をまっすぐ見なかった。 今夜コイツは昔の僕や晋助、自分たちを思い出して床につくのだろう。 すっかりご馳走になっちまったなぁ!と言う近藤くんにあのお肉僕が差し入れたんだけどねと釘を刺しながら、僕はそれらを意識の遥か彼方へ追いやった。 真選組に、帰らねば。 − 紅桜篇 完 − |