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小さい頃はといえば、錦は全然喋らねーガキだった。



無口で無表情で、冷たいのにいたく優秀だったのが更に憎らしかった。
ただ大人になって振り返ってみると、あの頃錦の態度や出来が気に入らなかったのは、自分が錦に近付きたいと思っていたからだと素直に認められる。


初めて会った時に引かれた手が、
不器用で言葉少なかった口数が、

どうしようもなく暖かかった。



死体を漁る俺を嘲笑うばかりだと思ってた烏が、錦を連れて来てくれたのかと、そう思った。
一縷の恐れもなく、姦計なく、自然な力加減で引いてくれる手を見て、その綺麗な横顔を見て…………真っ黒な天使様が迎えに来てくれたのだと、思ったものだ。


それが蓋を開けりゃ無口で無愛想でとっつきにくくて、ぴくりとも笑いやがらねえ。
なんでこんな奴に夢なんて抱いてしまったのか、イライラしては脳内であの日の自分にドロップキックをかます毎日だった。

錦は懐かない猫のように、自分から近づいて来なかった。


近付きたいと思っていた。だけど俺が思った以上に錦は冷たい態度で、そしてべらぼうに強かった。

俺なんかでは足元にも及ばないくらい、錦の剣術は洗練されていて、敵いようがなかった。それがさらに錦を憎らしく思わせて、ますます俺は錦への当たりが強くなって言った。

だがそれも時間を経て変わって行った。
気安く喋れるようになってから、もうちょっと愛想振り撒けねえのか!と言ったことがある。
それに錦は

「…なぜ愛想を振り撒くの?」

と答えやがったから、俺はまたイラッと来てあーだこーだガミガミ言ったのだ。



そして流れ流れて辿り着いたある場所で高杉やヅラと出会った時も、錦はそんな感じだった。気心知れた松陽や俺、ほかの門下生の中にいる時は穏やかにけらけら笑うことはあっても、初めて会った2人の前では、なかなかそうはいかなかった。最初はそんな錦に俺以上に噛み付いてばかりだった高杉を、ヅラがよくたしなめてたものだ。

やがてわだかまりが解けると、2人はまるで最初からそうであったかのように一緒にいることが自然になった。
お互いに言葉数が多いようには見えなかった2人が、どうやってそこまで仲が良くなったのか、今でも分からない。


ただ、ひとつ言えるのは、
ガキの頃も、毛が生えてからも、戦争に参加してからも、
高杉は錦にたいして異様に独占欲が強かったという事だ。


プライドクソエベレストなアイツが、わかりやすくそれを表に出すことはなかった。
どこにでも錦が行きたいところへ行かせたし、やりたいことをやらせてた。しかし結局自分のところに帰ってこない状態が続くと、錦の首根っこ掴んで掻っ攫っていったもんだ。
自分のそばに四六時中置かせたいというよりも、錦の中に自分という存在が大きく場所を占めていないと気が済まないといった風だった。
あまりにも身勝手で自分本位なそういうところが俺のムカッ腹が立つところで、さらに錦がそれを受け入れてるもんだから昔はそういうとこでもしょっちゅう高杉といがみ合っていた。


だから錦が真選組にいると分かって、生きていると分かって安堵した次に頭によぎったのは、アイツのことだった。

アイツが自分の手元から錦がいなくなるのを黙って見てるわけねえ。

しかし、アイツが、高杉は本当に変わっちまったんなら、
幕府側についた錦は最も消したい人間の1人に違いねぇ。
俺すらも驚いて、まさかと思ったくらいだ。

今のアイツなら裏切りととって、何もかも無かったように錦ごと消してしまうだろう。

高杉は錦が真選組にいることを間違いなく知ってやがる。…と思う。
真選組が警備にあたってた夏祭りでも襲撃を……いやアレ偶然かな…やべー自信無くなってきた。


兎にも角にも俺が言いてーのは、
幕府だの江戸だのなんだの、そういうのはどうでもよくて、
かつての同志が……仲間が、ああなっちまった以上、俺が止めなくちゃならねぇ。

出来ることなら、錦と高杉が対峙する前に。
錦が変わっちまった高杉と顔を合わせる前に、奴をぶっ飛ばしたい。


昔っからどーにも馬があわねーでやりあってきた奴だ。
本気で殴り合ったことも1度や2度じゃねえ。

気に入らねえ野郎だったが、それでも仲間に慕われていたし信念があった。
何より、奴は錦のことに関しちゃ人並み以上に気を割いていた。そこだけは、自分も認められるところだ。


その高杉が江戸を火の海に変えようとしている。

あれほどまでに錦に執着してきたアイツが、その錦がいる江戸を……いや、だからこそっつー考え方も出来るか。知ってたらだけど。

錦を泣かせるようなことだけはしなかった野郎が、錦に害をなす者は影でぶん殴ってきたアイツが、今度は錦を泣かせるようなことしやがる。いや錦が泣いたとこ見たことねーんだけど。


今の錦には昔とは違う、別の“護りたいもの”がある。


アイツがそれを気に入らねーって言うのは勝手だが、ぶっ壊すってんなら俺は殴りに行かなくちゃ気が済まねえ。



今までだって見たことねーけど、これからだって叶うなら見たくはない。

錦が泣いたとこなんざ、夢見が悪くていけねえよ、ンなもん。





◇◇◇◇◇


「用意周到なこって。ルパンかお前」

「ルパンじゃないヅラだ!
あっ間違えた、桂だ。

伊達に今まで真選組の追跡を躱してきたわけではない」



砲台から放たれた弾が、あっちで爆発しこっちで爆発する。ドカンドカンと身体ごと揺さぶるような音の間を、パラシュートで降下していく。
空は相変わらず綺麗だ。



「真選組か…錦は今のアイツをどう捉えるか…。


しかしまさか奴もコイツを持っていたとはな…」



懐から取り出した教本は、高杉とは別の位置に切り傷を負っている。岡田に急襲をかけられたあの日、自分の盾となってくれた恩師の忘れ形見。



「……始まりは皆同じだった。

なのに……随分と遠くに離れてしまったものだな」



見上げる戦艦2隻は、上空へと昇っていく。
ゆっくり水面に向かい落ちていく自分たちと、轟音を立てて大気圏外へと逃げのびるだろう上空の船。
久々に会い見えた仲間の姿を思い返す。



「銀時、お前も覚えているか。コイツを」



風がバタバタと髪を叩く。耳を切るようにすぎる風の音にかまけて、聞こえないふりでもしたかった。



「ああ…






ラーメン溢して捨てた」



水平線が、優雅な曲線を描いて輝いている。


銀時はただただ、
笑う錦の姿を海に透かして見ていた。
耳の奥であの頃の錦が自分たちの名前を遠くから呼んでいる。
穏やかで、優しくて、そう呼ばれるのが…………好きだった。

こればっかりは、風音では誤魔化されてはくれそうにない。



振り返りながらけらけら笑う錦の残像が、水平線の光に消えそうだった。