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岡田仁蔵は高杉晋助に心酔していた。

盲目の仁蔵には人が発する光が『見えた』。
光さえも遮られた全盲の彼が、唯一知覚できる光だった。

今まで多くの人間に出会ってきた。その中で生きながらにして欄然と輝いている人物に会ったのは初めてだった。
その光に吸い込まれるように、飛び込んで行った。


岡田仁蔵は高杉晋助に心酔していた。
彼の側でその光を瞳に焼き付けながら生きられるのなら、その光に焼き殺されても構わなかった。

だから邪魔だった。
高杉の光のそばにちらつく、別の“光”が。




「目障りなんだ、邪魔なんだよ奴ら。

そろそろ古い伝説には朽ちてもらって、その上に新しい伝説を打ち立てるときじゃないかい?


あの人の隣にいるのはもう奴らじゃない。


俺たちなんだ」



落ちた右腕の代わりに、自身の左腕を使い来島を絞め上げる紅桜。
もがく成人女性を、なんなく持ち上げることのできる力。仁蔵は笑いがこみ上げて来るのが分かった。
自分自身の力でないことくらい分かっている。
しかし今では紅桜が自分に取って代わろうとしている。いずれは俺は紅桜に取り込まれ、紅桜が、俺になる―――



「だから古びたモノには早々に立ち退いてもらおうじゃないか…」



次に船を出たら、今度は『奴』のところへ行く。
最も邪魔で、最も疎ましい“光”―――



「お、やってるねぇ」

「ッ…!」



突然場にそぐわない呑気な声が来島の後ろ、部屋の入り口から聞こえた。
武市がバッと入り口に目をやると、扉枠に寄りかかってこちらを見物する烏面の人物がいた。

岡田の腹の内がずくりと疼く。
口角が引き上がる。
無意識にその人物の匂いを深く吸い込んだ。



「これはこれは、珍しいお人が来たねェ」



来島に興味をなくした紅桜が、ずるりと彼女を離した。床に崩れ落ちた来島が背中を丸めて咳き込む。



「まあね。やっぱり一目見ておかなくちゃと思ってさ。ソレ」



ゆっくりと柱から体を離し部屋に入ってくる。
忍びの技と才を持つその人物は、ほとんど体臭がしない。体臭を消すために特殊な施しをする、忍び特有の技だ。
だからこそ異様であるその空虚な匂いに、岡田の背中は粟立った。



「来てもらわなくてもこっちから出向くつもりだったよ。御足労かけたようで悪いねェ、古見サン」

「え、なにそれ、真選組屯所まで来てくれたってこと?いいよいいよそんな検挙にまで協力してくれなくても〜」



律儀だなぁ〜君もと、へらへら笑って自分を皮肉ったその人が、岡田の殺したくて堪らない人物だった。


高杉の1番近くで、チカチカ光る目障りな“光”。
あの眩い危険なまでの光のそばで、暗闇の中を差す“黒い光”。
暗闇の中で黒い光など矛盾甚だしいが、そうとしか言いようがない。
その光が、姿なくとも高杉の側から消えない。

鬱陶しくて、煩わしくてしょうがない人物。

対テロ組織 武装警察 真選組、局長助勤の古見錦――
"伝説"の1人だ。自分と同じ、居合の達人でもある。


予期せず合間見えた大物に、自分も紅桜も浮き足立つのがわかる。
心地よい殺気が自分から流れて行く。

反して、古見錦はまったくペースを崩していなかった。
武市と来島に久々に会った挨拶をしている。



「……このタイミングで来たってことは、アンタも気になってんじゃないのかい?」

「ん?」

「アンタたちが昔、共に渡り合った同志――桂小太郎の今際の際の様子をサ」



そう挑発を込めて言うと、古見錦は「あっそうそう!」とポンと手を叩いた。



「そういえば小太郎を斬ったらしいね」

「ああ…呆気ないもんだったよ。
遺品として、あの見紛うほどのキレイな髪を切っといたんだけどねェ、ついさっき坂田銀時っていう男に手向けとして渡して来ちまったよ。」



ああ…そういえばあの男もアンタらの同志だったっけか。

岡田の言ったことに、錦は目を丸めている。
頭の中で岡田が言ったことをもう一度繰り返し、来島が岡田に吠えているのを気にせず聞き返した。
間違いでないならば今岡田は信じられないことを言った。



「ちょっと待って…………


小太郎の髪の毛を切ったの??」

「ン? ああ、肩あたりからバッサリ」

「それを……銀時に…坂田銀時にあげた…?」

「ああ。まァ奴も今頃危ない状態だと思うがねェ」



もしかしたらもう逝っちまってるかもねという言葉が錦に聞こえたかは定かではない。
頭をうつむかせ、肩が震えている。

錦の後ろの来島と武市は、と固唾を飲んで見守っている。
まさかあの錦が激昂…?
いや、桂も坂田も幼少期から兄弟同然に育ったと聞いている。ポッと出の岡田なぞにこんな風に侮辱されたら、さしもの錦と言えどもそりゃ……



「フッ」

「………?」

「フフッ、」

「…に、錦様…?」

「フッ…!
アッハッハッハッハッハ!!ダメだ…!やっぱり笑っ…あはははは!」



急に笑い出した錦に、ほか3人はポカンとする。予期せぬことについていけない。
当の錦はというと何がそんなに面白いのか、身体を折り曲げてひーこら言っている。
笑ってるうちに邪魔になったのか、少々乱雑に烏面をずりさげて首の後ろに回していた。



「いや、ダメだ……小太郎の髪の毛銀時にあげたの…?ダメだ普通に面白い……くくっ」

「……」

「ちょっと待ってコレ晋助に言った?」



答えない岡田に勝手に答えを推察した錦が、「あとで教えてやろ」と震えた声で言った。
岡田には何が面白いのか全くこれっぽっちも一雫も分からないが、どうやら目の前の人間が自分の力を未だ侮っているらしいことだけは分かった。桂と坂田が死んでいないとも思っているらしい。



「死んだとは思ってないのかい?桂が」

「まあ、そうだね。明確な根拠を君に話すつもりはないけど、そういうこと。
ああ1つ言っておくと、討ち取りの証拠に髪じゃ詰めが甘すぎるよ。

首の1つくらいは取ってこないと。
その刀なら難しくないんだろう?人1人の首を刎ねることくらい」



呑気にアドバイスなんざ寄越してくる錦に、今度こそ確かな苛立ちが沸き起こってくるのを感じる。

この人間が憎らしくてしょうがない。
殺したいと切に思う。
それを聡いこの人は分かってるはず。感じ取っているはずだ。

だがしかし、こちらの憎悪も敵意も殺意も、この人はどうでもいいとばかりにどこ吹く風だ。


殺したい人間の眼中に自分が入っていない。
男として、剣豪として狂おしいほど屈辱的だった。



「ありがたいねェ。あの古見錦にアドバイスを貰えるなんて。

肝に命じておこうね。
次は間違えないさ。



アンタの首はね」



似蔵の言葉を受けて、来島の怒りが沸点を超えた。



「似蔵ォォォォ!!!テメーそれだけは許せねェッス!!!!」

「似蔵さん、それは見逃せません。謀叛だと受け取りますよ」



来島だけでなく武市も口を挟み岡田を制する。
当人の錦とあっては、口元に笑みをたたえたままだ。緩やかな笑みのまま、口を開く。



「アララ、まさかもう紅桜に乗っ取られてる?」

「あっちへこっちへ……あの人の周りを漂うアンタが目障りでねェ……。


あの人の隣にはもうアンタはいらねぇ。
これからは俺が、俺たちがいるさね…。


アンタの神速と呼ばれた抜刀術…。
それさえも俺は超えていける……この紅桜となら……」



「そうかい」



――――ガキィンッ!!



錦の黒衣が翻り、似蔵が反応したときにはすでに刀と刀がぶつかり合っていた。

せめぎ合う刀を受け止めながら、似蔵は歯を食いしばった。

速い……速すぎる。
神速という渾名は伊達ではない。紅桜が動いてくれていなければ、受け止められていたか分からない。
よく気の抜けた雰囲気のままこれほどまでの居合を繰り出せるものだ……。
似蔵の米神を汗が伝った。



「やっぱり受けるか。
さすが、村田鉄矢が最高の一振り。兵器だなんだとは聞いていたが、その力は信頼に足るね、安心した」



そう言いながら、錦は鍔迫り合う刀を引き、鞘に戻した。これ以上やり合う気は無いというのだろうか。
左腕の紅桜は錦の出方を伺い、蠢いている。



「今回はね、"花見"の続きに来たのさ。
思っていたよりも見事な桜で感心したよ。


桂のことはついでだよ。そのあたりのことは晋助に任せてあるから。追い追いアイツから話があるだろうさ」



うなじに回した烏の面を顔に戻し、錦は踵を返す。
面の長い嘴が、蛍光灯の光を返した。



「それよりも、もう今日は身体を休めなよ。
君には今まで以上の大仕事が残ってるんだ。

その本仕事を終えるまで、君とその『お友達』には、元気でいてもらわないとね。
いくら紅桜といえども、幕府を相手取るのは骨が折れるだろう」



じゃあまた、作戦決行の折に会おう。


黒衣で床まで覆い隠した背中を揺らしながら錦が部屋を出て行くと、入り口で待っていた烏面たちが低い姿勢のまま滑るように錦に追従していった。
揺らめくことのない錦の静かな黒衣姿は、先程鋭い一撃を繰り出したとは思えぬほどだ。まるで波紋のない静謐な水面のようである。


錦を追いかけていった来島と、岡田を一瞥して出ていった武市を見送ったところで、やっと紅桜は闘志を鎮めたようだった。



窓の外を見つめているしばらくすると、船から黒い影がひとつ、屋根を渡っていく姿が見えた。
影は見送らせることも許さぬとばかりに、すぐに宵闇に消えてしまった。