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「錦様、無事あの方が江戸に入られました」


「…そう、ご苦労だったね。
仕事に戻ってくれていいよ」



短く返事を返した魁が、サッといなくなる。

ここしばらくの錦は多忙を極めていた。自分の時間という時間が1秒さえも無かった。
都市を上げた大きな夏祭りを控えた江戸には、夏特有の浮ついた空気が漂っている。
その夏祭りにときの将軍、茂茂公が参列するということで、特別警察真選組はいつも以上に警戒して危険因子の排除に努めているというわけである。

そんな忙しい時にアイツはーー
人知れず深いため息をついた錦だったが、それを見ている者はいない。


「(こっちも暇じゃないんだから…京土産の一つも貰わないと割りに合わないや)」


本当はもらっても足りないところだと思ってることは、“彼”には言わない方がいいだろう。













「いいか、祭りの当日は真選組総出で将軍の護衛につくことになる。
将軍にかすり傷一つでもつこうものなら俺たち全員の首が飛ぶぜ!
そのへん心してかかれ」



祭りを控えた真選組屯所では、逐一報告会や集会が行われていた。

角筈の屯所に集まった荒くれ者たちのせいで、より一層暑く感じる。
首筋に汗を滲ませながら瞳孔開いた目で話す土方とは裏腹に、隣に座る錦は不思議なほど涼しげな表情だ。


「間違いなく攘夷派の浪士どもも動く」

「江戸だけじゃない…地方で世をひっくり返すのを虎視眈々と狙う者たちも噂を聞きつけて江戸に集まって来るだろう」

「ああ…とにかくキナくせー野郎を見つけたら迷わずブった斬れ。
俺が責任をとる」






「マジですかイ土方さん……俺ァどーにも鼻が効かねーんで。
侍見つけたら片っ端から叩き斬りまさァ。頼みますぜ」


神妙な顔で刀を掲げる沖田が言う。
先ほどの発言を失言と見なし「おーいみんな、さっき言ったことはナシの方向で」と瞬時に撤回した土方に、すこし残念そうな顔をして刀をおろした。



「それから、コイツは未確認の情報なんだが、
江戸にとんでもねェ野郎が来てるって情報があんだ」

「とんでもねー奴?
一体誰でェ。桂の野郎は最近大人しくしてるし」



首をかしげる沖田の頭には、世を頻繁に賑わせていた桂がよぎる。
いつの頃からかぴたりと静かになった桂一派は嵐の前の静けさをも感じさせるほどだ。変わらず警戒対象であることには変わりないが、今回土方が目をつけているのは奴らではない。

以前料亭で会合中の幕吏数十人を、その場にいた水商売の女たちごと皆殺しにした事件の首謀者とされる人物。




「攘夷浪士の中でも最も過激で最も危険な男………



高杉晋助のな」




河原ーー

夏の夕方、川のすぐそばは風が出ていて汗の滲む米神に涼しい。
カラクリの最終調整に勤しむ平賀源外は、数時間後に迫った見世物のため休まず作業に没頭していたところだった。

砂利を踏みしめる音が聞こえる。
平賀はそれが牙の生えた獣の足音であることには気づけなかった。



ーー「晋助、昔うちに三郎って技術屋がいたのを覚えてる?」



「よォ、じーさん。


アンタに美味ェ話を持って来たんだが………なに、三郎って男を知っていたら、悪い話じゃねェだろうさ」


悪魔の囁きを聞いてしまうことも。














遠く空を一羽の烏がヒュルリと旋回して飛んで行った。


「(お膳立てはしたぜ、晋助……)」



煙幕で隠される視界。
ドンドンと響く爆撃音。

夏祭りも佳境というところで、とうとう爆撃テロが起こった。

混乱に見舞われた一般人がひしめき合って逃げて行く。

錦は煙を吸い込まないよう身を低くして鞘に手を掛けた。
烟る世界を得意の居合で振り払う。




土方の怒号を左に聞きながら、構えをとり、カラクリ軍団に向かって斬り込んだ。

繊細な日本刀の刃がやられないように、機体の面に当てず沈めていく。
ときに関節部分を斬り落とし、ときに機体に飛びつき爆薬を取り付けた小刀を刺し、危なげなく処理する。
さすがに将軍に見せるために作られたものだ。幕府から製作費と言う名の助成金もあったろうカラクリは日本刀で相手取るには骨が折れる敵であった。

息も上げずに無心で刀を振るうしろで、近藤が悲鳴をあげた。


「ギャアアァァァ!!!
ウソォォ名刀虎徹ちゃんが!!!
ウソォォォォォォ!!!!」


根元の方からポッキリ見事に折れてしまった虎徹を手に、困惑に揺れる近藤が助けを求めるように自分たちを見てくる。


「トシ、これ、虎徹ちゃんが……ウソォォォ!!!」

「うるせーな言ってる場合か!!」

「だってお前コレまだローンが……ウソォォォ!!!」


折れた刀片手に狼狽えあわあわする近藤には悪いがどうしようも出来ない2人は、とりあえず彼を守るために挟んで構える。
無残な姿の虎徹を見て錦がこれはまた持ってかれたね〜と呑気に言った。


「だから高い買い物はローンなんか組まないで一括で買えって言ったのに〜」

「いやそこじゃねェだろ!

チッ、斬っても斬っても湧いてでやがる…キリがねーぜ。

うおっ!?」


急にカラクリの一体が大きな爆炎とともに崩れ落ちた。
パラパラと宙から落ちる粉塵を避けるために手で笠をつくって見やると、煙幕から現れたのは怒りに突き動かされる2人の姿だった。



「祭りを邪魔する悪い子は……」

「だ〜〜れ〜〜だ〜〜〜〜〜〜」




「あっ…あれは妖怪祭り囃子!!」

「そうなの?」

「そう…祭りを妨害する暴走族などをこらしめる古の妖怪だ!」

「いや違うと思う」


幼い古の妖怪さん達がカラクリに飛びかかって行くのを見て、勢いを取り戻した近藤が号を飛ばした。



「祭りの神が降臨なされたぞォ!!

勝利は我らの手にあり!いけェェェ!!」



それに乗って飛び出した錦は、脇目も振らずにカラクリをばたばた切り捨てて行く。
こんなにいたんじゃ、土方も言っていたがキリがない。それに周りに刀を振り回す隊士たちを引き連れているよりも、別方向から奇襲をかける方がーーそう考えた錦は韋駄天のごとく激戦地を後にした。

カラクリたちの後ろを取ろうと櫓脇の木々の間を駆け抜ける。
林を抜けようとした錦がつい踏みとどまったのは、見世物のために誂えられた舞台の前で、平賀と銀時が対峙していたからだ。



「将軍の首なんざホントはどーでもいいんだ。
死んだ奴のためにしてやれることなんざ何もねェのも百も承知…。


俺ァただテメーの筋通して死にてーだけさ」


戦いの喧騒をどこか遠くで聞きながら、意識だけは目の前の2人にーーいや、銀時に向いている。
今すぐ自分は駆け出さなきゃいけない立場なのに……。そうは思っても地面に張り付いた足が、動きそうになかった。



「だからどけ。

邪魔するならお前でも容赦しねェ」



「どかねェ。


俺にも通さなきゃならねー筋ってモンがある」


それは、もしかしたら昔と変わらず生きている彼が、今なんのために刀を振るうのかーー彼の言うところの”筋“が、気になったからなのかもしれなかった。

銀時の木刀によって肩を砕かれたカラクリが、地面に倒れて行く。
駆け寄った平賀が叫ぶ。
二度目の息子の死を看取る男の悲痛な姿だった。



「なんだってんだよ………どいつもこいつも……」



小さな声が、錦にはよく聞こえた。
それは錦の優れた聴覚によるものだけではなく、カラクリ軍団が動きを止めたことにより喧騒が一時去ったことにもよっただろう。



「どうしろってんだ!?
一体俺にどーやって生きてけっていうんだよ!!!」



平賀が叫ぶ。息子に置いていかれた老いた男が。
1人置いていかれてしまった、生き残ってしまった男が叫ぶ。
その姿は決して他人事には錦には見えなかった。きっと、あの運命を共にした銀時にも。



「さーな。




長生きすりゃいいんじゃねーのか……」



いつか錦も共に見上げた夜空を見上げながら、銀時はそう言った。
その言葉に心が締め付けられるのを無視したくて、その場を静かに離れた。


少なくとも、錦は銀時にそうあってほしいと、思っている。
兄弟同然に育った彼に、その”長生き“とやらを、してほしいとーーー


いや、考えてる暇などない。
自分にはこれから山のように仕事がある。
そんなことを考えている暇があるならお上への言い訳の一つや二つでも考えておくべきだ。それに、感傷など自分に似合うはずもない。

真っ赤に血濡れた、地獄へ道を選んだーーーこの自分が。















「(ほんっと……たまには外の空気吸わないと身体がコンクリートになりそう)」


事務仕事の合間、外に休憩に出がてら監察方の部下から報告を聞いてくると告げて屯所を出てきた。
先日の騒動が嘘のように、江戸は今日も賑やかだ。


路地へ入った錦が手をかけたのは一見ただの壁の隠し戸だ。物件と物件の間に作られた、どこの間取り図にも乗らないここは、監察が江戸にいくつか所有するうちの一室だった。

日光が遮断され薄暗い部屋はひんやりとしている。畳がつめたくて気持ちがいい。
隠し部屋に控えていた部下に迎えられ中に入る。狭い階段をのぼり、上の部屋にあがる。申し訳程度に作られた小さな窓の外に、狭い路地に江戸の街並みが見える。

木の匂いを吸い込み、部下が淹れてくれた茶とともに束の間の休息を楽しむこととしよう。
一息ついたところで、部屋の外から声がかかった。


「錦様」

「ああ魁、来てくれたか。入って。


今回はいろいろ頼んで悪かったね、落ち着いたら休みを申請しとくから」

「いえ、滅相もありません…が、休日は有難く頂きたく。

それから、これを……」


あの方からの預かり物です。
そう言って魁が後ろから取り出したのは、見るにどうやら着物のようだ。
引き寄せて紐をほどき、包みを開けると、中からはいつぞや仕立ててもらった夏物の友禅と、夏帯があった。一緒に仕立てた長襦袢なども一式揃っている。マメなことだ。



「そういえば仕立ててたっけ…ありがとう、手間を掛けさせたね。
魁もすこし休むといいよ、お疲れ」

「錦様も、ここしばらく根を詰めすぎです。どうぞ御身を労って差し上げてくださいませ……」



こうべを垂れた魁は、襖を静かに閉めて音静かに出ていった。
残された着物を見やる。
彼の好みが顔を覗かせる染めに、くすりと笑みが零れた。
むさ苦しい男衆の中で育った錦は、荒々しさはないもののいたく中性的な性格、立ち居振る舞いである。それを普段から「宝の持ち腐れだ」と言う”彼“は、ことあるごとにこうして自分を着飾らせようとする。
前回は金で出来た豪奢な櫛だったっけ。派手好きな彼らしい。

今回も自分の好みをよこしておいて、これで許せとそういうことらしい。彼らしくて恨み言を言う気にもならない。



贈り物を改める手をとめて、夏の湿った空気を吸い込んだ。
壁にもたれて深呼吸を繰り返していくうちに、身体から力が抜けていく。
数少ない休息時間だ。顔を横に向けて路地の隙間から通りを見やる。


路地には光が差さない。
吹き抜ける風が、頬、耳と撫でて通り過ぎて消えて行く。
向かいの屋根に目をやると、チョンチョンと烏が数羽首を可愛らしく動かしながら河原の縁に寄ってきた。

ふわりと笑っておいでと言うと、待ってましたと言わんばかりにこぞって窓際に移り飛んで来る。



「お前たちも今回はよく働いてくれたね、暗い中飛ぶのは骨が折れたろうに」



手を伸ばして開けた引き出しから包みを出すと、烏たちが首を伸ばしてソワソワし始めた。

この黒衣を纏った小さき者たちは、よく働いてくれた影の功労者だった。錦や、魁や錦の部下しか知らないが。
常日頃から錦の目となり耳となり情報を集めてくれる、頼れる小さな懐刀である。

“彼”が江戸に入る際には、巡回中の警察組織や張り込み現場を避けて道案内をしてくれる心強い道先案内人でもある。



「まったく…アイツのワガママに付き合うのも大変だ…。

たまには帰って灸を据えてやらないとな…」



贈り物と一緒に包まれた香り袋に、“彼”の意図を読み取れて思わず口角が上がる。独占欲の強いことだ。マーキングをせずとも、きちんと帰るのに。



「夏の間に、一度京に行けたらいいなぁ……」



睡魔に夢の淵へ誘われる錦のかすれた声を聞くのは、この場では烏たちだけだった。
烏たちが賢そうに錦の顔をジッと見つめる。


彼好みに調香された香りが、ますます錦を深い眠りへと誘う。
いないと分かっていながらも、すぐそばに”彼“がいるようで参る。
もしかしてこれを意図して贈ってきているのだとしたら、なんと小賢しいことか。




彼の好む匂いが眠る錦のまつ毛を撫でて、空に駆けていった。