9 「…………お」 「…………あ」 街中でたまたま出くわした2人は、お互いの顔を見つめあったまましばし固まった。重なった間抜けな声など聞こえてすらいない。 「(……しくじった)」 錦は視線を外しながらそう思った。 顔を合わせないように歌舞伎町付近には極力近寄らないよう今まで過ごして来たのに、こんな所で鉢合わせするなんて。 しかし相手も人間であるので生活圏はある程度決まっていても、そこを出てこない保証などあるわけもなく。 こうして歌舞伎町から離れた土地で、錦は避けていた人物ーー坂田銀時と再び相見えたのだった。 「………よォ」 しかし銀時の方もバツの悪いというか、奥歯に物が挟まったような顔をしている。 錦はもう腹を決めていた。 「池田屋ではどうも」 当たり障りない身近な共通の話題を先に出した錦にも、銀時は返しにくそうにあやふやな相槌を打った。 そして、うなじ辺りをポリポリかいて、息を吸い一拍してから錦を見たら、ごまかしの一切ないまっすぐな目だったから、銀時もやっと正面から向き合う決心がついたのだった。 錦がこれほどまでに銀時を避けていたのには、当然“ワケ”があった。 「…記憶喪失って、ホントなのかよ」 なぜならこう聞かれるのはハナから分かっていたし、嘘が通用する相手でないことも分かっていた。 真実を打ち明けざるを得なくなるのが分かっていたから、錦は銀時を避けていたのだ。 つまり、記憶喪失というのが錦のついている「嘘」だということを。 -------------------- 「は〜、それで真選組に」 「そう、行くところのない僕に大義名分と住所を下さったよ松平様は」 彼には足を向けて寝られないよ。笑って言う錦を銀時は不思議な面持ちで見る。 場所を移して話したいということになり、人がまばらなファミレスに入った。 とりあえず移動しない?とあっけらかんと誘った錦は、銀時の問いに答えたも同然だった。 真選組にも松平にも、バレる訳にはいかない。 自分が攘夷志士、それも名のある者たちと戦場を駆け抜けてきたとあっては、幕府内での立場も信用も危うい。 天人だけでなく、多くの幕府の人間も屠ってきた。 もしかしたら謹慎では済まないかもしれないし、何より素性調査されることは避けたかった。 今までバレる要素も、バレそうになったことも一つだって無かった。 完璧な錦の完璧な采配により、何もかもが上手くいっていた。 しかし銀時や“昔馴染み”にはそうはいかない。 江戸中に目となり耳となり鼻となるものたちを散りばめた錦には、桂や銀時が江戸にいることも、ずっと前から分かっていたことだったのだ。 今まで苦労に苦労を重ねてすんでのところで再会を免れてきたのが、このあいだの池田屋の一件から少しずつ歯車が狂ってきていた。 こうなった時の想定は何度もしてきた。 記憶喪失と言い張ってバレるかバレないかの危ない橋を渡るより、打ち明けて“共犯者”になってもらう方が、ずっと効率的になる。 「めんどくせーことしてんなァ…」 「めんどくさいことなんか1つも無いさ。僕にとっては簡単なことだ。 それに銀時、お前もバレたら危ないんだよ。 小太郎との繋がりも疑われてるしね」 コーヒーを飲みながら言う錦に、銀時はウゲェと顔を歪めた。そうだった。こないだハメられたんだった。 「オメー!っつーことはやっぱあの時見捨てやがったな!」 「隊士の前で手助け出来るわけないでしょ。 一応手は裏から回したけど、次に容疑掛けられる事があっても助けてあげられないよ」 「えっお前なんか口添えしてくれてたのアレ」 「当たり前でしょう。じゃなきゃ“桂一派”への足掛かりになるかも知れない容疑者を数日で釈放するわけないんだから」 奉行所の方に自分が「一般人の線が強い」と言ったら、大した証拠も上がってこないし銀時たちは潔白そうだしあとすげーウザいしで錦を身元引受け人とすることを条件に解放されたのだった。 錦サマァァァと拝む銀時を丸無視してメニューを開く。コーヒーゼリーが食べたい。アイスが乗ったやつ。 「えっなに、じゃあズラの奴」 「知ってるよ」 「あのヤロォォォォオオ!!!」 こないだ会った時もそんなこと言ってなかったじゃねーかァァと憤怒の表情の銀時は、春雨事件のときのことを言っているのだろうか。 言葉にはしないがやはりと心で合点してコーヒーゼリーを頼む錦だった。 -------------------- カランコロンとファミレスのドアベルが転がる音を背に、2人は歩き出した。 「真選組の屯所ってアレか、でっかい道の向こうか」 「そう、街道渡ったとこ」 ほ〜、と腑抜けた声。歩き方も腑抜けている。 昔よりも猫背になったなと肩甲骨辺りを見て思った。 「しっかしよォ、気ィ揉んで損したぜ〜〜ったくよォ〜」 「ごめんてば。事情があったんだからしょうがないだろ。今度奢るから許してよ」 「えっマジ!?さすが錦サマァァ!」 ウハウハな銀時の頭には甘い物か酒が踊っているのだろうことは顔を見なくても分かった。 喜び舞う銀時だったがふと、アレ、とこぼした。 「真選組って男だけで女人禁制とかじゃなかったか?」 「そうだけど」 「えっ家政婦のオバさんとかは?」 「女中さんね。 昼間は来てくれるけど定時で上がるよ」 「エッじゃあオメー女1人………エッ!もしかしてそれもアイツら知ら」 「ないワケないでしょ。 世間体とかのために僕の性別偽ってるだけで、隊士はみんな知ってるよ」 時たま頭から抜けてるみたいだけど。 と付け足した錦にそりゃ知ってるかと納得する銀時。自分のことを僕、と呼ぶのもそういうことだったのか。 「あのむさ苦しいとこでよく暮らせるなお前」 「お言葉を返すようだけれどね、自分昔から慣れてますから。よくご存知だと思いますけど」 「アッハイ」 分かれ道の交差点に差し掛かってじゃあ、と言おうとすると待て待て待て待て!と肩を掴まれる。 「なに」 「オメー逃げようたってそーーは行かねェよ! 詫びになんでも好きなだけ奢りますっつたろ!」 「そこまでは言ってないけど」 「今日のとこは許してやっけど番号よこせ!」 「強盗かお前は」 ていうかさっきも奢ったけどと言う錦の手から携帯をひったくる銀時。 勝手にいじり始めた銀時にプライバシーも何もないなとため息をついた。 「よし、お前次呼んだら絶対来いよ!絶対だかんな!」 「必死すぎでしょ」 「うるせーこちとら死活問題なんだよ今日その日生きるか死ぬかなんだよ。明日の朝日を見てえんだよ」 「ハイハイ、じゃあね」 踵を返して後ろ手に手を振りながら歩き出した。 夕暮れに染まった道を見てふとそういえば、と思い出した。 帰り道が別々なの、はじめてだ。 昔は帰る家が一緒だったから。 1日の別れの言葉すら、初めてかもしれない。 あの頃の自分たちの笑い声が、聞こえた気がした。 「錦」 呼びかけに振りかえった錦に、銀時がつっけんどんに言う。 「早く寝ろよ」 ーーー「早く寝ろよ」 全く同じそっけない表情の幼い銀時がだぶって見えて、口端が上がる。 いつもそう言ってたっけ。 「お前もね、銀時」 ーー「銀時こそ」 「おやすみ」 ーー「おやすみ」 大きくない家の縁側で最後にそう交わして自分たちの部屋に引っ込んだあの日々。 それと今まったく同じ表情で交わし合ったことに意味などなかったと思うが、合わせた目線がお互いそれでいいと言っているような気がした。 銀時の目にも幼い錦が霞んで見えたことなど錦は知りようもなかったが、不思議と満たされた気持ちで帰路につくのだった。 それは先ほどまでの別の場所に帰る感覚とは違い、昔と同じ、「自分たちの部屋に戻る」感覚に似ていた。 夕日が縦に長く影を伸ばしていた。 |