風待ち人





その日は、なんだかずっと身体が重かった。







7月に入って、気温がぐんと上がった。ここ何日か30度を超える日が続いている。


いつも通り朝起きて、顔洗って食堂に行ったら顔を合わせた隊士たちにおめでとうございます!!と言われた。そこで初めてはたと思い出した。そうか今日は自分の誕生日だった。

街中で笹と短冊を見て、七夕か〜とぼんやり思ったが、続いてすぐ自分の誕生日が来ることを失念していた。


別段いつもと何も変わらなかった。


飯を食い、
見廻りに行き、
サボりがてら甘味屋に入り、
縁側でぼーっとしてた。


ただ、なんとなく、今日はずっと身体が重かった。


すれ違う隊士たちが代わる代わるおめでとうと言ってくるもんだから、あんまりうるさくて屯所の静かなところへ逃げてきた。
ああいう風に、皆に囲まれて誕生日を祝われるなんてまっぴらごめんだ。子供じゃないんだから。

でもひっそりとした縁側で涼んでいると、錦のことを思い出した。市井に紛れて攘夷志士が引っかかるのを待つ錦は、駐在隊士と違い所を開けることが多い。
最後に声を聞いたのは、土方が部屋で電話しているのを通りがかりに聞いたときだ。


とても静かな縁側で、想像する。



錦が、 ーーーーーと、

言ってくれるのを。




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表門に近いところに配置してる詰所で待機してると、外で車が停まる音がした。急いで帰ってきたらしくブレーキの音も慌ただしい。

車のドアが閉まる音が聞こえてからしばらくして、詰所のドアがガラッと開いた。


「ただいま!」

「おかえりなさい、頭」


自分の直属の上司、古見錦さんだ。
珍しく急いで帰ってきたのが見て取れる。
運転させた隊士は車に置いて自分だけ走ってきたらしい。
総悟は?と聞かれて、今日は早めに自室に戻って行ったと伝えた。


「そっか」

「きっと錦さんのこと待ってますよ、昼間だってずーっと錦さんの部屋の前でぼんやりしてたんだから」


その姿がまるで忠犬のように見えて仕方なかった、とはこの山崎退、誰にも言わずに自分の胸の中だけにしまっておこうと思う。
あの誰にも尻尾を振らない気難しい青年が、目に見えて錦さんには懐いているのが、なんだかとても微笑ましいのだ。局長に抱くのとはまた違う尊敬の気持ちを抱いているようだ。


「そう……拗ねてないといいけど」

「まだ間に合いますよ、行ってあげてください」


時計は23時を過ぎていた。
暗闇が屯所を包み、昼間ジリジリ燃えるくらいに熱かった空気もなりを潜める。

うんと言って早歩きで部屋を出て行く上司の背中を見送って、改めてあの人はすごいなと思った。


「(こんな時も足音全然しないんだなぁ)」




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木々の葉っぱをすり抜ける光が自分を照らしてた。
その木々が揺れ、風が来たのを知る。
風が自分の頬を撫でて、そしたらなんだか身体が軽くなったのが、とても心地よかった。


「、………」


ふと目を開けたら、青暗い天井が見えた。


「あ、総悟、起きた?」


急に飛び込んで来たその人に、夢かと一瞬思う。
さっきまでのが夢だったのか、これが夢なのか、瞼が重くて見極められない。


「ちょっと熱っぽかったから起こさなかったんだ」


さては夏風邪ひいたな?
いたずらっぽく笑う錦の仕草が、ちゃんと熱を持ってるように感じられて、やっとこれは夢じゃないのだと納得できた。

そして不意に現実的な考えが頭によぎる。


「…今なんじ、」

「夜中の3時半」


聞いて、目をつぶった。


嗚呼、終わってしまった。
言ってもらえなかった。

想像の中だけで、終わってしまった。


「…遅いでさ、」


ぽつりと吐いた言葉は思いの外かすれてて、感傷的に聞こえたに違いない。
今日が、いや、昨日がなんの日かさえ、もしかして覚えてないかもしれないーー


「ごめん」

「……」

「急いで帰って来たんだけど間に合わなかった」

「………」

「ごめんな、いっぱい祝いたかったんだけど」


そう言ってさらりと髪を細い指ですいていく。

なんだ、そうか、覚えてたのか。
たぶん、車飛ばして、走って帰って来たんだろうな。
俺がもう寝てて、少しがっかりしたりしたのだろうか。
そう思ったら、なんだか悲しさにも似た気持ちが、すうっと消えていった。


「おせェよ、ばか」

「うん、ごめん」


拗ねたように重ねて言っても下手に出て謝ってくれる。それだけでもういい気がした。十分だ。


「総悟、明日近藤くんに非番にしてもらってるんだ」

「……」

「総悟も、そうしてもらったから、」


明日は2人で出掛けよう。


その言葉に、頷くても首振るでもなくゆっくりな瞬きで返す。錦は笑って自分の布団の隣に横になった。
どうやらここで寝ていくらしい。
寝転がって少し崩れた浴衣の首元から、鎖骨が見えた。
木桶と手ぬぐいがある。自分が寝てる間ずっと起きて看病してくれてたらしい。

微妙な距離がもどかしくて、つい口を開いた。



「…きちんと布団掛けて寝なせェよ。
腹出して寝てると風邪ひきやすぜ」


そう言って横を少しあけると、錦が吹き出して、なに、お腹出して寝てたの?と笑いながら布団に入ってきた。
不意に伸びて来た手が額を覆って、その気持ちの良さに目を瞑る。うん、と声をもらしてそのまま前髪をすく錦が、熱は下がったねと教えてくれた。


「まったく、総悟が風邪だなんて珍しいこともあるもんだな。ほんとにお腹出して寝てたんじゃないの?」


その言葉で、思い当たる節が頭をよぎる。
夕方涼しくなっていく時間帯。あの縁側ーー錦の部屋の前の縁側でいつも通り涼んでいたらいつのまにか寝入ってしまったことを思い出した。起きたら夜は更けきっていて、さすがにバツが悪くなりそそくさと自分の部屋に戻ったのだ。土方に見つからなくて良かったと思う。


「……うるせェ」


そんなこと、口が裂けたって言えるはずもなかった。





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「おはようございます、頭!」

「おはよう」

「ああー!頭帰って来てたんスかァ!?」


食堂で朝ごはんを頂き、食後のお茶を飲んでると遅れて起きて来た隊士たちがわらわらと集まってくる。
どいつも高血圧みたいな奴らだから朝から元気だ。


「あれ、頭今日非番ですかァ?」

「うん、そう。もらったんだ」

「へエェ〜いいなぁ〜」


そういや今日沖田体調も休みになったって聞いたけど、と隊士の言葉尻に被せるように、食堂の外からけたたましく自転車のベルが聞こえた。


「お〜〜〜〜〜〜い錦〜〜自転車かっぱらって来やした〜。
はやく行きやしょう〜」


あんまりチリンチリンチリンチリンチリンチリンうるさいから縁側を覗くと、庭先に自転車をつけた総悟がいた。どこの自転車か知らないが市民のじゃないよなまさか。


「アッ!もしかして隊長と頭一緒に出掛けるんスかァ〜!?!いいなーー!」

「うるせェ。お前らはあくせく働いてもっと市民の皆様に貢献しなせェ」

「1番アンタに言われたくねェよ」


どうやら私の下駄も持って来てくれたようで、縁側から直接おりれるが、今日だって30度を超えるのにどうして自転車なんだろう。昨日の今日で病み上がりのくせに。アクセルとブレーキが両極端で、0か10みたいな振り幅で生きてるのが総悟だ。聞いたって気分だと言って聞かないだろう。

自転車のカゴにつっこまれた下駄の鼻緒に指をかける。


「ほれ早くしてくだせェよ」


もう2人乗りする気満々らしい。
袴を後輪に巻き込まれないようにサドルに跨る総悟。

ここまだ敷地内だけど。
ていうか警察だけど。

はいはいと言いながら後ろの車両に跨って立つと、総悟は軽くペダルを漕ぎ出した。
屯所内で2人乗りなんて、さぞ滑稽に見えるだろうな。

途中十四郎に見つかって縁側の上から怒鳴られたが、「これは2人乗り用車両でさァ、心配ねェや」と一切止まることも顔を見ることもなく通り過ぎて屯所を出て来た。




「ね〜〜どこまで行くの?」

「さァ、考えてねェでさァ」

「ノープランっていうのもたまにはいいか。
あ、久々に寄席行こう!」


お、いいねェと言った総悟が、急に土手の坂道をスピードつけて駆け下りるから、驚いた声をあげて、2人でけたけた笑う。






猛スピードで、自転車が2人の笑い声を置き去りにしていく。






空の入道雲が、夏の訪れを告げていた。






2017.07.08. Okita HBD