椿と





布団にくるまっても冷えたままの足先。ふう、とを吐きながら、のそりと布団から這い出て障子を開いた。
深々と雪が降る庭は、すでに一面白銀だ。花をつけていた椿の木にも雪はきちんと積もっており、重さに耐えかねた花がそのまま雪の上に落ちている。血痕みたいだな。なんて縁起もないことを思う。
そのままにしておくのは少しばかりもったいない。雪の上なのだから、そこまで汚れもしないはず。すでに起きている千寿郎さんに声をかければ、もしかしたら温い湯と手ぬぐいを持って来るかもしれない。甘えた思考のまま雪の上に足を滑らせた。ひどく冷たい雪に晒され、足の裏の感覚が麻痺していくのがわかる。

ああ、冷たい。

素足のせいで足音一つ立たない雪の上を歩いて、落ちた椿を拾い上げた。せっかくだから飾ってみよう。美しい赤色は非常にあでやかだ。玄関先にでも置いておけば、風情もあって「いなせ」でしょう。
拾い上げた椿の使い道に「ふふふ」と笑みがこぼれる背景には、小さな足音が近づくにつれだんだんと足早になっていくのが聞こえていた。軽く、けれど少しずつ焦りの色が見える足音。

「なまえさん!何をしているのですか!」

椿をどうしようかなんて考えている思考の中に、千寿郎さんの張り詰めた声が脳に響く。まるで、今から死ぬ人を見ているようなそんな声音。そんな切羽詰まった声をされれば、いやでも思考が椿から千寿郎さんへと移ってしまう。
声のほうを向けば、これまた驚きを隠しもしない表情が目に映る。真っ青な表情は、冷え切った自分よりも、青いのではないだろうかと思わせた。

「椿を……拾っていたんです。玄関先に飾りましょう。きっと、華やかになると思いますよ」
「だからといって、こんな雪の中素足で、しかも襦袢のまま出歩く人がどこにいるんですか」

足袋が濡れるというのに、千寿郎も履物を履かずに庭へ降りる。ずんずんと積もった雪の中距離を詰め、冷えた手をとった。反動で、手のひらから椿がぽとりと落ちた。

「こんなに冷えて……。まったく、あなたという人は……」

冷たい指を絡み合わせ、家の中へと足を向かわせた。引く力はやや強く、急ぎ足である。
ほんの数年前まではできなかったであろう、優しさや心配の心からくる強引さ。年を追うごとに、こういった面が杏寿郎さんと似てきている気がする。垂れた眉や、やや控えめな性格を除き、生き写しのように煉獄家の兄弟は父親似。最も、千寿郎さんは兄である杏寿郎さんよりも、幼さが際立つのだから不思議なものだと思う。
思い出の中にある杏寿郎さんの面影を感じながら、されるがままに手を引かれていく。
雪が溶けたことで濡れた足が、廊下と畳に足跡を作る。畳が傷むというのに、青い顔で置き火鉢を出した部屋まで連れてこられたのだから、自身から言葉を発するというのは少しばかり億劫に感じるもの。同時に、それだけ大事にされているという事実に、どこか照れくささを覚えた。

「温かいものをお持ちしますね。くれぐれも、この部屋から出ないように」
「部屋くらい……」
「部屋くらいではありません!この部屋にしか火鉢はないのですから、おとなしくしていてください」

火鉢を焚きながら、部屋から出るなと念を押される。やや釣りあがった眉と、への字になった唇から、怒っていますよという雰囲気を醸し出している。けれど、柔らかな口調やあどけなさの残る顔の作りのせいで、どうしてもかわいらしいなと思ってしまう。もっとも、私自身が、彼のことを幼いころから知っているからなのかもしれない。出会った当初は一緒に杏寿郎さんの羽織を共に肩に掛け合ったというのに、今では身長は追い抜かされ、羽織を共有するなんてできなくなってしまった。時がたつのは、こんな時ばかり早い。
自分がなぜこの部屋に連れてこられたかなんてこともすっかり忘れ、「相変わらずお可愛い人」と先ほどの千寿郎さんを思い浮かべる。自然と緩む頬に手のひらを当てれば、その冷たさに少しだけ肩を揺らす。思っていた以上に冷えていたらしい。
もともと冷え性な体だ。火鉢へ軽く手を出していれば、指先だけはじんわりと熱を帯びていくだろう。
しかしただ待つという行為は思っていた以上に暇でしかない。畳に上半身だけ倒しぼんやりと火鉢を眺めたところで、時間が早々に経つということもない。ため息をこぼしながら、だらしがなくあおむけに態勢を変えた。火鉢に充てていたこともあり、指先はすっかり温まったけれどつま先はどうだろう。
今度は行儀悪く、膝を立てる。距離の縮まった両足を重ね合わせれば、つま先の冷たさに体が一瞬こわばったのを感じる。ああ、これはしもやけになりそうだなぁ。いやだなぁ。しもやけになると、入浴の際かゆみを感じることがある。なにより腫れあがるせいで、歩くだけで痛みを感じることもある。鬼殺隊だったとは思えないほど、痛みに弱くなったなと、改めて自覚し無意識にため息がこぼれた。
ごろり、ごろり。行儀悪く、畳の上で過去に浸る。過ぎたことを考えていれば、ゆっくりと足音が響くのを感じた。

「なっ……。なまえさん、だらしがないですよ!」
「あ、千寿郎さん」

襖が開けば、部屋の様子に千寿郎さんが驚きを隠さず声を上げた。畳の上で寝転がるなんて、童ではないのだからと小言をこぼしている。

「ほら、体を起こしてください。お味噌汁とお握りをお持ちしましたから……」
「お味噌汁!ふふ、千寿郎さんのお味噌汁、私好きです」
「存じてます。なまえさんのために作ったのだから、早く起きてください」

言われた通り身体を起こし、きちんと正座をする。そんな様子に、彼がくふくふと抑えた笑い声を出すものだから、少し子供っぽかっただろうかと恥ずかしさを感じた。
恥ずかしさに身を縮めていれば、お膳が目の前に置かれる。お椀が二つに、小皿には二つのおにぎり。そして見覚えある椿が、やはりこれまた二つのお絞りとともに置かれていた。
はて、と小首をかしげた。箸もきちんと二膳あることから、この部屋で食べることくらいは容易に想像がつく。けれど、普段からきちんとした朝食を用意している彼が、軽食のような形をとることと一つのお膳に二人分の椀を乗せてきたことに、少しだけ驚いた。

「あまりこのような形は好きではありませんが、たまには良いと思いませんか?」

一膳の箸を右手。お椀は左手に持ちながらお味噌汁をすすっている。その横顔を一瞥しながら、私も習うようにお味噌汁に口をつけた。
一口体内に入れてしまえば、内側からじんわりとあたたまるのがわかる。ちょうどよい味噌の濃さと、ほんのり混ざる具材の味。
箸で掻き出し、今日の具材は何だろうかと摘み上げてみれば季節外れなさつまいも。さつまいものお味噌汁なんて、だいぶ久しぶりだ。こんな時期に珍しいなんて考える前に、それは私の口の中に吸い込まれていく。うん。おいしい。程よい塩味が甘いさつまいもに絡まってくる。
杏寿郎さんが亡くなってからというもの、煉獄家でのさつまいも消費量は一気に減ったうえに、作るものも槇寿郎さんのお酒のつまみになるものが中心になっていた。

「さつまいものお味噌汁なんて久しぶり。でも、時期でもないさつまいもなんて、どうしたのですか?」
「秋の終りに購入したものを保存しておきました。さつまいもはひと月からふた月寝かせると、甘味が増しておいしいのですよ」

くしゃりと、千寿郎さんが破顔した。浮かべている笑みに思わず見とれてしまう。この人はどうしていつも、こんなにきれいに笑うのだろう。食事中……ましてや本人を前にしながらも、顔に熱が集まるのがわかる。火鉢を焚いているとはいえ、こんなに暑くなることなんてありえないのだからこれは千寿郎さんのせいに違いない。
平静を装いながら、会話をつなげるための言葉を探す。何と返そう。会話が途切れてしまうのは、できれば避けたいところです。食事中の会話はあまり好きではないけれど、彼との会話は別。長く話していたい、その声を聞いていたい。湧き出る泉のように出てくる言葉を、どうにか掬い上げながらつなげていく。

「だ、だからこのお味噌汁のさつまいもは、とっても甘いんですね!味噌の塩味が甘さを引き立てて、より美味に感じます!」

必死すぎてしまった。
子供らしさの残る笑みを浮かべていた千寿郎さんの顔が、一瞬であっけにとられたといわんばかりのものになる。ああ、恥ずかしい。穴があったら入りたいとは、まさにこのようなことだろう。よもやよもやと、すっかり移ってしまったまま抜けきれない、言葉を心のうちでつぶやく。
ああ、本当に、「よもや」である。今この様子を見られていたならば、「元気がいいな!よし、今日の鍛錬はいつも以上に張り切っていくとしよう!まずは素振りだ!はっはっはっ!!」なんて笑われていたかもしれない。杏寿郎さん――いや、我が師よ、なまえはまだまだ未熟のようです。どうか天の向こうで笑うのはおやめください。
顔をそらしながら、お味噌汁の入ったお椀を置いてお握りを手に取り噛みついた。二口ほど食べたところで、いまだ脳裏で響く杏寿郎さんの笑い声が、ゆっくりと千寿郎さんの笑い声へと変わっていく。そらしたはずの顔を千寿郎さんに向ければ、それは幻聴ではなく実際に彼が笑っていたものらしい。

「兄上も、昔そのようなことを仰られました」
「杏寿郎さんが?」
「はい。母上も早くに亡くなり、父上も一時期はひどい有様でしたからね。僕なりに美味しいものを食べてほしいと知識を蓄え、それを兄に披露するのは一つの楽しみでした」

うむ!今日のみそ汁はいつもに増してうまい!さつまいもが実に甘い!

「わっしょい!と口に出された後、その様に言うのですから驚いてしまい……」
「ふふふ、好物なこともあり、とても嬉しかったのでしょう。私も、時々口に出したくなりますよ。杏寿郎さんみたいに、うまい!とそれはもう大きな声で」
「えぇ……そんな、揶揄わないでください」
「いえいえ、揶揄ってなどおりません。それほどおいしいのです」

そう、彼の作るものはどれもおいしい。気持ちがこもっているのがよくわかるからか、口に入れる度幸せになれる。おいしいものというのは、きっとただ味がいいだけではない。相手に対する気持ちがより大きな、調味料になるのだろうと思う。
素直な気持ちは、こぼれるように落ちていく。心のうちでとどめておこうとしたそれは、あっけなく私の声に乗って、千寿郎さんの耳に届いたらしい。照れくさそうに笑うその姿を見て、口角が自然と上がるのがよくわかる。
恥ずかしいと、言葉を噤んでしまった姿に、愛おしさを感じながら残りのお握りを残さず食べる。乾いた口内に、まだあたたかなお味噌汁を流しこみつつ具材もきちんと咀嚼した。やっぱり、さつまいものお味噌汁はおいしい。杏寿郎さんの好物になるのもわかる。千寿郎さんの作るこれは、毎日食べても飽きないと思うほど。
全て食べ終わるころ、すでに彼はお味噌汁もお握りもきれいに食べ終えていた。お椀は、手ぬぐいで拭かれている。

「今日もおいしかったです。ありがとう」

流れるように出されたお絞りを受け取り、空になったお椀を渡した。丁寧にぬぐいながら、ゆっくりと彼が口を開く。

「先ほど兄に披露するのが一つの楽しみだったといいましたが、今はそうではないのですよ」

徐に紡がれた言葉。黙っているべきか、それともでは今はと問うべきか迷ってしまう。同じようにお茶を飲んでいる姿を観察しながら、千寿郎さんがどう出るかをじっくりと待てば、視線に気づいたのかその意図をくみ取ったのか大きな瞳に自分が映り込んだのがわかった。
含みのあるような笑みを浮かべながら、千寿郎さんは距離を詰めてくる。見据えられているからだろうか、その場から動こうという意思は働かない。向き合う形になり、じっとその瞳を見つめる。そんな私の行動すらおかしかったのだろうか。今日は千寿郎さんはよく笑う。杏寿郎さんと違い、抑えたように笑うその姿は、やはりまだ幼さを感じさせた。

「あなたが、僕が作ったものを食し、おいしいと口にし笑みをこぼすのをこの目できちんと見ることが楽しみです」

両手が、ゆっくりと包み込まれた。思っていたよりも大きな手は、少しだけ荒れているのがわかる。

「だからどうか、今朝みたいなことはくれぐれも控えてくださいね。椿が気になるというのなら、僕がとってきます。何より今は、おなかの中に赤子がいるのですからなおさらですよ」

左手が離れ、お膳に置かれていた椿をちょん、と触れた。そのまま手に取ったと思えば、まだ膨らんですらいないおなかに椿を触れさせるのだ。「女の子なら、椿と名付けてもいいかもしれませんね」と、揶揄われていることに言葉が出なくなる。

「なにより、孫の顔が見れなくなった暁には、父上がまた酒に逃げてしまうかもしれませんし――」
「そ、そろそろ片付けてきますね!あと、お昼の支度は私がするので、千寿郎さんはゆっくりなさっていてください」

このままお話ししていれば、彼の調子に持ち込まれてしまう。お話は楽しいしできれば言葉を交わしていたいけれど、今はそれどころではないかもしれない。急いで立ち上がり、襖を開けお膳を持ったまま小走りで厨へと向かった。
後ろから、「冷えるので僕がやります。しばらくはなまえが安静にしてください」と声が聞こえる。その声を無視しながら、お昼の献立に考えを巡らせることに集中した。もちろん、いまだ襦袢姿でうろついているせいで、また部屋に戻されることになったのは言うまでもない。

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