※変な話※後編


朝起きると確かに雪が積もっていた。神奈川で雪が降ることは数える程しか無いし、ましてやここまで積もるのは何年ぶりだとかお天気お姉さんがきゃっきゃと騒いでいる。雪に慣れない神奈川生まれな神奈川育ちな私はいつもより早めに家を出た。学校に着くと昇降口の所でよく目立つ赤髪を発見し声をかける。丸井だ。


「おはよ丸井」
「おう、おはよう」
「昨日誕生会どうだった?」


仁王の誕生会のこと聞いてみよう。上履きを靴箱から床に投げて丸井の返事を待つ。どうせ丸井のことだから「カルビ最高!」とか「90分は短くね?」とかそういう類のことばっかりかもしれなくて仁王の様子はこれっぽっちも出ないかもしれない。


「はあ?誕生会って誰のだよ?」
「え?何言ってんの仁王のだよ」
「におう?誰だよそれ」


きょとんみたいな顔した丸井は冗談を言っているんだろう。普段なら乗っかる所だけど、不慣れな雪でめっちゃ寒いし疲れたしノるの面倒くさい。


「おい、ブン太!!」
「やべっジャッカル!おい後は頼んだぜ名字!」
「あの野郎…後で真田に言いつけてやる」
「桑原くん?」
「おう、なんだ?」
「昨日仁王の誕生会どうだった?」


桑原くんは良い人だ。良い人過ぎて後輩にも使われてるって言ってたのは丸井だったか仁王だったか。桑原くんならちゃんと答えてくれるはず。なのに桑原くんは怪訝な顔つきで私を見ている。なんで?


「におうの誕生会…?」



おかしなことが起きている。仁王がいない。学校中どこを探してもいない。いないだけならサボったとか、お腹痛くて休んだとか色々考えられるけどそうじゃないんだ。仁王が皆の記憶から消えた。初めから存在していなかったかのように。そんなはずはない。私は確かに仁王と話した、触れられた。なんで、仁王。最後の望みを託して屋上への階段をかけ上がる。ドアを開けると屋上は白い絨毯を敷いたみたいに真っ白で目が痛い。ゆっくり歩いてフェンスの側で埋もれる何かが足にあたる。静かに掘り出すと、ピンクのシャボン玉のボトルだった。


「仁王どこいっちゃったの…?」


途端に溢れ出した涙が雪の上に斑点を作る。12月4日、仁王は姿を消した。


仁王がいないまま時間は流れた。冬休みになって年が明けて、もうすぐ卒業式だ。卒業式とは言っても、立海はエスカレーターだからほぼ皆そのまま立海の高校に進学するので形式上するだけ。けれどこの中等部の校舎とはお別れだ。居眠りばかりだった教室も友達とふざけ合ったトイレも。それから仁王といた屋上も。


「そんな顔しなさんな」


え、うそだ。なんで。ふわっと私を抱きしめるのは他でもない、私がずっと待ち望んでいた仁王だった。春の気配を引き連れて揺れる風は屋上の空気をかき混ぜる。私は目を見開いて近くなった仁王のネクタイを見ていた。仁王はぎゅうっと力を込めて「すまん」と空気を振動させた。


「ばか、仁王のばーか」
「すまん」
「私本当に…」


あやすようにぽんぽんと撫でられる手は優しくて脆い。仁王の心音は確かに聞こえてきて、私を安堵させる。


「おまんにだけは、」
「…」
「おまんにだけはオレのこと忘れて欲しくなかったんじゃ」
「…うん」
「そんでリミット伸ばしてもらったけんが…それももう限界じゃ」


冷たい仁王の手が私の頬に触れて、唇には温かい仁王のそれが遠慮がちに乗せられる。名残惜しそうに彼は寂しく微笑むとまるでどこかの映画のように彼の体はすうーっと空気に同化し始めた。待って、待って。私はずっとカバンの奥底で眠っていた包みを引きちぎって取り出して仁王に押し付ける。


「あの、仁王寒がりだし、手冷たかったから…これ」
「唇は温かかったじゃろ?」
「うっさいばか!」
「はは、手袋とマフラーありがとうな。嬉しいぜよ」
「…誕生日おめでとう」
「やっぱりおまえさんは最高じゃ」


その3秒後、私は仁王を忘れた。








「オレらもついに大学生かー」
「早いよな、なんかついこの間中学入学したかと思ってたのにな」
「うんうん、あ、2人ともテニス部入るの?」
「当然だろい、立海大テニス部がこんな天才のさばらせとくワケねーだろい。だよな、ジャッカル?」
「はいはいそうだな」


今日から私も大学生だ。真新しいスーツに包まれた肌を春の生ぬるい空気が通り抜ける。キャンパスに植えられた桜がいい感じに舞い散って、視界はピンクに染め上げられる。そんなピンクに、キラリと光る銀色が割って入る。雪のような銀色の髪をした人。ひょろりと高い背をした彼もまた、私たちと同じように新入生なのだろう。


「おい、お前何固まってんだよ?」
「え、いや銀髪って珍しいと思って」
「ていうかあいつ寒がりなのか?4月なのにマフラーとか手袋してるぜ」


ぎゃあぎゃあと騒ぐ私たちに気づいたのか彼はくるりと振り返り歩み寄ってくる。彼が一歩一歩と近づく度にどくどくと速くなる心臓。微笑む彼が口を開くのと私が全てを思い出すまであと3秒。



雪解けの季節です


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