※倉持番外編アウトランねたばれ、中学三年生設定 夕暮れ、公園でブランコを地面に足をつけたままゆらゆら揺らしていた。幼い頃からお世話になっていたブランコの錆び付いた鎖を私は手に、洋ちゃんは腕に。そこだけはげたように真っ白な砂をスニーカーの底でさらに擦りながら、ぼんやりと遊ぶ子供達を見ていた。沈黙を破ったのは洋ちゃんの吐息で、私は音に反応するぬいぐるみみたいにゆっくりそっちを見る。 「お前には言っとくけどよ」 「んー」 「俺、もう野球できなくなるかもしれねー」 「えっ」 「この間の喧嘩、高校にバレてたから推薦取り消しだってよ」 なにを言ってるんだろう。耳を疑った。洋ちゃんが野球できなくなる?グラウンドを颯爽と風のように駆け抜ける洋ちゃんが。いつもグローブを握りしめている洋ちゃんが。楽しそうに野球の話をする洋ちゃんが。私の語彙力じゃ返す言葉がみつからない。代返だとでも言うように乗っていたブランコがギイッと情けない音を立てるばかりだ。 「ヒャハハ、そんな神妙な顔すんなって!」 「…だって」 「またレスリングでもはじめっかなあー」 嘘でしょう。なんでもないようにそんな顔して笑わないで。洋ちゃんは強い人だけど、強い人だから心配だよ。私ができることはなんだろう。私がしたいことはなんだろう。自分の気持ちに正直になって、ひとつ決心をする。 「洋ちゃん!じゃあ私が高校探すから!」 「はっ?」 「洋ちゃんが野球できる高校探すから!」 「つーか、そういう噂って広まって県内は無理らしいぜ」 「でも探すから!」 「お前だって受験生だろーが…ばかかよ」 唇を尖らせてまるで子供のように拗ねたような洋ちゃんを横目に、ぴょんとブランコから飛び降りる。送るって言われてめちゃくちゃ嬉しかったけど、さよならも疎らに自転車に跨って漕ぐ足は前へ前へと急ぐ。私が洋ちゃんを助けたい。助けなくちゃ。 ・ ・ ・ たくさんのパンフレットと、付せんだらけの高校受験ガイドブックを抱えて彼を探していた。少し丈を短くした学ランと、ふっさふさの金髪を頭に浮かべながら部室じゃなければ、あの場所しかないなと足を進める。階段を一個飛ばしに上がって固く重い扉を開ければ、予想通り屋上に寝っ転がる洋ちゃんとカロリーメイトの姿があった。私はすっかり嬉しくなってしまって駆け寄ってそばにしゃがんで、上から彼を覗き込む。 「お前か」 「やっぱりここにいた」 「学校の中の行動範囲なんて限られてるだろ」 「でも、みつかって嬉しいよ」 「……そうかよ」 うんうん。にこにこ頷いてたら、よっと起き上がった洋ちゃんがなんだよ気持ちわりーと笑った。その言葉にすらときめく私は変態なんだろうか。なんとなく恥ずかしくなって、すぽんと頭から抜け落ちてた当初の目的を思い出した。抱えていた資料の数々をフリーマーケットみたいに広げると洋ちゃんの目はお月様みたいに丸くなった。 「A高校は全寮制でね、スポーツテストに合格したら学費全免除だって!」 「……」 「B高校はね遠いけど県内だからだいじょ…」 「もういい、やめろよそういうの」 冷えた声だった。洋ちゃんは私から目を逸らして、カロリーメイトをポケットに突っ込んで立ち上がった。遠ざかる上履きの音を聞き流しながら、さっきまで気にならなかった屋上の床の冷たさに気づく。ぼーっとする私をチャイムが包んで、帰らなきゃと急かされるように資料を片付け始める。がさごそ。あ、あれこういうのなんて言うんだっけ。がさごそ。おせっかいだ。親切とお節介を履き違えていたと今更気づく。無神経な自己満足に申し訳なさと情けなさがせり上がる。教室のゴミ箱にパンフレットを捨てて行こうと思ったけど、やっぱり虚しくて辞めた。なんだかそのまま帰るのもはばかられて寂しい教室にひとり席について突っ伏した。木の感触をおでこに感じながら洋ちゃんのことばかり考えた。本当に野球辞めちゃうのかな。辞めて欲しくないな。あんなに好きなのに。これもエゴかな。こんなに好きなのに。現実から逃げるように眠気が襲って来るのは防衛本能だろうか。瞼を伏せた。 ・ ・ ・ ふっと目が覚めた。なんの夢もみなかった。けだるさを振り払うように机と癒着したおでこを浮かして頭をぶんぶん振る。そこでようやく前の席の気配を感じてそうっと目線をずらせば洋ちゃんがいた。 「いつからそこに?」 「さっき」 机の横にぶら下げておいたあの高校受験ガイドブックを手にして。その様子に罪悪感みたいなのが私を包む。洋ちゃんは優しすぎる。優しすぎて哀しい。だから私みたいなのが調子に乗っちゃうんだよ。 「東京の青道高校の人がうちにスカウトに来てよ」 「スカウト?ってことは野球…」 「ああ、続けられる」 「ほんとに!よかった!」 洋ちゃんが野球続けられる。また洋ちゃんがベースを駆け抜ける姿が。洋ちゃんが打席に立つ姿が。洋ちゃんが野球する姿が、これからも存在する、それだけで嬉しくてこの世のものとは思えない喜びが私を満たしていく。気づいたら思わず私は彼の手を握っていた。ただの幼馴染のくせにまたひとりで暴走するなんて、全然私反省してない。気づいて名残惜しくもごめんと手を離したら、洋ちゃんは首を振ってちょっと笑うとガイドを開いた。青道高校のページ。 「お前はちゃんとみつけてくれてたんだな」 私が貼った付せんをすっと撫でて洋ちゃんはつぶやく。薄い記憶を手繰り寄せて私はハッとする。真っ白じゃない紙の上に並ぶ国分寺の文字。遠い。東京の端っこからこの千葉までは遠すぎる。県内の都会に出るのも大変なのに、西東京なんて。疼く胸を悟られないように笑顔を作ると、洋ちゃんの眉が少し下がった。 「さっきごめんな」 「そんなのどうだっていいよ。私は洋ちゃんが野球出来るって、それだけでとっても嬉しいから」 「お前、そればっかだな」 笑い声に更に胸の奥を掻き毟られたかのような感覚がした。嘘じゃないほんと。嘘じゃないけど、なんで。目が熱くなって、ああ泣いちゃうなって思ったときには頬が冷たく濡れた。 「おい…!」 「うれし泣きだよ」 「俺のために泣いてんじゃねえよ…ばか」 泣いて困らせたいんじゃない。いなくなってさみしいとかそういうのは思っちゃいけない。私はただ応援したいだけなのに。 「うれしいのか?」 「うん」 「ほんとにそれだけかよ?」 「う…ん」 「なあ、ナマエ」 「嬉しくてたまらないよ、なのに」 「うん」 「さみしすぎるよ」 「そっか…」 「洋ちゃんがこの町からいなくなるなんて」 「ずっとじゃねえ、帰れる日は帰ってくる」 「うん」 「それと…好きだ」 「私も好きだよ」 「知ってるっつーの…」 震えた声とともに、洋ちゃんのおっきな手が私の頭をくしゃくしゃと撫でる。不器用に撫でるその手は野球をするために生まれた手だ。優しい温度を含んだ手。そっと瞼を伏せて思う。ああ、この手がどうか、この先も彼が望むままに野球を続けられますように。 あんなに、こんなに 140328/倉持洋一 |