※暗い いろいろネタバレ



正しいこととはなんだろう。なにが間違いで、なにがそれを決めるのだろう。事実を知ったときから、答えのみつからない疑問。それでもようやく一度、みつけたはずの答えが私はまた分からなくなっていた。ことり、と皿を置く音とともに温かい湯気が私の肌を掠める。ふうと洩れたため息にヴィクトルはなんてことはないように口を開いた。

「ため息はよくないな」
「ごめんなさい、こんなに美味しそうなのにね」

見ただけで高級品とわかるスプーン。手にとれば値段分の重さが神経に伝わった。その様子を確認するとヴィクトルは私の対面に優雅に腰を下ろした。いただきますの一言に笑みを返される。ゆっくりと口に運べば、じわりと全身に広がる温かさ。巡る血液が熱を運ぶ。美味しいと思う。ああ私は生きている。それは、確かで覆しようのない事実なのに。

「ヴィクトルのスープは…本当にすごく美味しくて」
「……」
「ウプサーラ湖の夕陽もこんなに綺麗で…なのに」
「……」
「どうして私たちは、この世界は…」

その先の一言は空気に触れることなく、ただゆっくりと私ののどを冷やしていく。言ってしまえば子供のように、むせび泣いてしまいそうだったから。もう泣かないと決めたのだ。10年前、あのエルが私たちみんなの前で消えていった時、それからウプサーラ湖での事件を最後に私は泣くことをやめた。泣くということは私が、この世界が、大切な人たちが偽りであること、分史世界であることを認めてしまうような気がした。

「……昔はあんなに泣いてたのに、もう泣かないんだな」
「当たり前でしょ、既婚者の前で泣くとか奥さんに怒られちゃう」

ヴィクトルは、漆黒の下で僅かに翠を細めて写真立てをみつめた。つられるように目を向ければ、エルとヴィクトルとラルさん。実らなかった、とうに終わった恋だった。エルが別の世界の彼の娘だと知ったときにもう私は諦めるしかなかった。想いは伝えなかったけれど、後悔はない。私はこの世界のエルに会えて幸せだったのだから。と、突然、ヴィクトルが目を押さえ小さく呻きだした。駆け寄って、ハンカチを渡そうとするも、大丈夫だと制された。

「心配するな、エルが帰ってきたらすべてがうまくいく」

ヴィクトルは、ヴィクトルと名乗るようになってから度々するようになった目をして、苦しそうに息を吐いた。エルが帰ってきたら、正史世界の自分と代わるのだと。人生をやり直すのだと。エルも正史世界の人間として生まれ変わるのだと。そこに私はいないのだろうか。

「エルは…無事よね?」
「当たり前だ、私の娘だからね」

誇らしげに、愛おしそうに。それを認識した脳が胸を鳴らせる。左胸に手を当てて思う。正しいか、正しくないかなんてそれだけで充分だ。それなのにもう一度、口に運んだスープはすでに冷めていて、涙が一粒頬を伝っていったのを私は知らない。


誰も救えない嘘
title by 弾丸
131103
tox2クリア記念に。
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