※後味悪い
※幸村もヒロインもいろいろひどい

「精市!」

ふんわり、精市はそんな言葉が世界一似合う男の子だと思う。そんな笑みを携えて精市は振り返る。ああかっこいいな。午前八時、私の最寄り駅まで迎えに来てくれた精市の手を取って歩き出す。朝練がないから一緒に学校行こう、そう告げられたのは昨日の夜の電話でのことだった。私はうれしくてうれしくて、いつもよりとっても早くアラームをセットして眠りについたのである。なんてのは秘密なのだ。おはよう、口を開く間もなく、念入りにブローした髪の毛を精市の長い指がすくいあげた。

「いつにも増してきれいだね」
「楽しみすぎて早起きしちゃって」
「ふふ、俺もだよ」

ふんわり、私の手を加えて人工的に造った髪よりも精市の雰囲気のがずーっと自然で美しかった。こんな感じで始まった今日も、私は精市にベタぼれです。





あの、幸村精市と一緒に歩いていれば、浴びる視線は尋常じゃなかった。羨望や嫉妬。いろんなものが矢のように突き刺さる。

「気にしてる?」
「えっ?」

ひょいと精市が私の顔を覗き込んだ。顔を上げれば心配そうな眼差しが私を包み込む。

「周りの視線」
「気にならないこともな…」

言い終わる前にふさがれる言葉。ギャラリーの息を飲む音。精市はゆっくりまぶたを開くと柔らかに微笑んだ。

「ごめんね、確認とらないでキスしちゃって」
「ううん、あのね精市」
「気にしないで、ナマエは俺の彼女でしょう?」

彼女、ああなんていい響きなんだろう。握る手に一層力が入って、ふんわりと空気が踊った。





お昼休み、並んで屋上でお弁当を食べる。風がさわさわと吹いて私たちの頬を撫でる。精市に視線をとばせば、白い肌に光が当たってとても美しい、アートだなあって思った。私は爽やかさを感じながら腕をぐぅーっと伸ばす。

「気持ちいい」
「いい風だね」

精市は、ふふと笑いながら私を真似る。なんだか無性におかしくなって二人で笑いあう。屋上には二人っきり。じゃまするものなんてなにひとつない。精市は、目元を緩ませ、おかずを摘んだ。

「はい、あーん」

精市にもらうものは世界で一番おいしい。





「ナマエ起きて」

精市の部活が終わるまで、待っていた私はいつの間にか眠っていたようだ。教室はがらんとして、誰もいなかった。窓の外では、お日様がすっかりオレンジに変わってしまっていて、よく寝たなあって思う。寝ぼけまなこながら立ち上がった私の頬を精市のすらりとした指が往復する。

「跡になっちゃってる」
「ええ!やっちゃった」
「それはそれでかわいいよ」

西日に照らされた透明な肌は橙色に染まっていた。壁に掛けられた丸い時計を見上げれば六時を差していた。もうすぐ夜が来る。冷たく、暗く、音のない夜が。不安が私を突き動かす。

「精市、キスして」
 
くっついてでもいないとどうにかなってしまいそうなの。返事の代わりに上からキスが降ってくる。酸素を分け合うようなそれ。ああ二酸化炭素かなあとぼやける頭で思考する。そんな余裕もないくせに。そのうちそれもままならなくなって、精市は私を机に座らせた。精市の空気を程よく含んだ髪に手を差し入れればすんなりと私の手を飲み込んで、男の子なのにいいなあって思う。

「…誰かくる」
「えっ!」

ぴょんと精市が私の前の机に飛び乗ったのと、見回りの先生がドアを引いたのは同時だった。

「おう、お前らなにやってんだ?もう帰れよー」
「すいません」
「戸締まりしっかりな」
「はあい」

間一髪、という感じ?危機を回避し安堵したことからなんだかおかしくなって私たちはくすくすと笑いあった。

「さあ帰ろう」
「うん…あの…何時まで?」
「今日は八時までかな」

気の進まない指で携帯をなぞりながら時間がゆっくり進めばいいのにと私は心底思う。そんなわけないのに。





つないだ手から伝わる熱が私に向けられたものだということに急かされるように嬉しさが私を満たす。全部を私は欲していて、それには時間がいくらあっても足りない気さえする。私が歩みにほんの僅かな遅れをみせたのに精市はすぐに気づいて、どうしたのと私を覗き込んだ。既視感、デジャヴ。

「抱きしめてほしいの」
「ああ」

テニスをする精市の締まった腕が私を包んで、応えるように首に手を回した。狂おしいほどに愛おしい、その言葉がよぎって、どこかの昼ドラのタイトルみたいだと思った。事実、精市が好き。

「精市、愛してるよ」
「ああ、俺も」

腕を解かれて、精市の顔がゆっくりと近づいてくる。まぶたをゆっくり落としていく。私は…

「時間だね」

ピピピピとけたたましく鳴りながらブレザーのポケットが振動を始めた。彼は腕を離すと口を開いた。

「今日は朝八時から夜八時まで。登下校セットだね」
「お昼も一緒に。あと、昨日の夜の電話も」
「それもあったね、じゃあそれで計算して」

私が携帯の電卓アプリを弾く横で、さして興味はないというように彼は放つ。出された数字にも、私がお金を数えるのにも、ただ携帯をいじるだけだった。

「じゃあこれで…」
「はい、確かに。それじゃあ気をつけて」
「あの…!」
「なに?」

その音に宿された温度がひどく冷たくて、思わず震え上がる。注ぐ月光が逆光となって顔が見えないけれど、きっと彼は。

「お、おやすみなさい!せ…、幸村くん」
「おやすみなさい名字さん」

後ろを振り返ることもせず、幸村くんは去っていく。私が渡したお金を無造作にブレザーに突っ込む影が黒く伸びるのをぼんやりとみつめる。もう魔法はとけてしまった。彼氏と彼女の時間は終わり。今日一日の二人の時間が眼前に蜃気楼のように浮かび上がるけれど名残惜しむことさえ許してはもらえない。また明日になれば私は幸村くんの彼女を幸村くんは私の彼氏を演じるのだ。幸村くんをこんなに好きなのに。こうでもしなければ、私は幸村くんの彼女になれない。惨めで、虚しく、悲しい。涙がぬるく頬を伝う。まだ残る熱にすがる私を月だけが温めていた。


演者/ 130405
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