ヴァンがレプリカに翻弄されている姿が面白いのか、単純に人を嘲笑うのが趣味なのか。

どちらにしても、悪趣味だが。


それからイオンは非常に機嫌がよかった。ソファーから急に立ち上がったと思ったら、おもむろに山積みになっている書類をひっくり返して束を探す。何やら目的のものを見つけると、執務用の椅子に座り直し、上質なペンを片手ににやにやと笑いながらこちらを見ている。

「手始めに、戸籍作っておかないとね」
「おーい、導師様は何でもありですか」
「僕のことはイオンでいいよ。敬語もいらない」
「なんでだよ」
「そっちの方が、ヴァンの慌て具合が見れて面白いだろ?」

知らぬ間に、自分の作ったレプリカと導師が仲良くなってるだなんて、焦るに決まってる。楽しそうにそう言い放つイオンに…まぁ分からないでもないが、と同意したくなったがその言葉は飲み込んだ。


なんだか強力な後ろ盾を得た気がしたが、同時になんだか先がとても不安になった。ヴァンの元にいるよりは…幾分、いや、かなりマシだが。

「名前どうしようか。そうだな、うーん」

俺の意向など完全に無視して、終始楽しそうに喋り続けてイオン。そんなイオンに、ため息一つと次の言葉を吐く以外は諦めて言葉にしなかった。

「…何でもいいけど、燃え滓とかあからさまなのはやめてくれよ」
「そんなネーミングセンス悪い名前つけるわけないでしょ」

ヴァンのやつ、ネーミングセンス悪いって言われてやんの。なんて少しだけ笑っちゃったが。少なくともこれで俺がアッシュと名乗ることはなくなったわけだ。

俺のとってアッシュの名前を持つのは<アッシュ>だけだし、またルークという名前も…今ではバチカルにいる被験者の名前だ。この導師がよほど変な名前をつけないことを祈ろう。初めて貰う、“俺だけの名前”がまさか被験者イオンにつけてもらうことになるとは。


結構真剣に悩んでくれているようで、暫く沈黙が続いた。戸籍登録を勝手にしておくつもりなのだろう。名前以外の部分を適当に埋めているイオンを見て、小さくため息を吐いた。

「フレイ」
「え?」

物凄く、小さな呟きにも似た言葉だった。正確に聞きとれなくて、思わず聞き返してしまった。しかしイオンはそれに気を悪くすることはなく、むしり上機嫌に戸籍票を俺に見せながらニコニコと笑顔を向けてきた。

「あんたの名前。フレイにしたから」

その意味は教えてもらえなかったが。その名前の意味を俺は知らなかったし、被験者イオンがどういう思惑でそう名付けたのかすら、その時の俺には全く分からなくて。
(その意味も、思惑も、本人から聞けたのはあの戦いが終わって…暫くしてからになるが)

その時の俺は、単純に。

「フレイ…、俺の名前?」

特に、なにも思わないと思っていたけれど。自分だけの名前があることに感動して、少しだけ泣きそうになっていた。そんな俺にイオンが気付いたのかは分からないが、少しだけ怪訝そうにこちらを見ていたのだけは分かった。


そうして、急に不安になった。

【戻って】来ていると気付いた時には、そんな風には思えなかった。あの時に失ってしまった命を、守ることが出来るかもしれないと。それだけしか考えていなくて。

けれどもあのときと違う状況、自分だけしかその【事実】を知らない事実。

あの時はなかった、自分だけの名前を手に入れてそれが余計に明確になった気がして、そして目の前が明るく喜びに包まれると同時に、目の前は真っ暗になって不安に覆われた。

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