路地裏アジール
約束の日、
夜明けの少し前の、まだ殆ど機能していない教会の中を走る。表から出れば、確実に誰かに、正確に言えば大詠師派に見つかってしまうからだ。だからこそ、迷路のように入り組んでいる此処を裏口から出ようとしているんだけれど。一つの角の前で止まる。一緒についてきている足音も、止まった。しんと静まった教会に、走ってきた息を整える。いつも感じている“違和感”がやけに強かった気がするけど、今はそんなことを言ってる暇はない。振り返れば、イオン様が同じように上がった息を整えていた。
「イオン様、此処から先でマルクト兵が待っています。先に行っていて下さい」 「え?アニスはどうするんですか」 「後ろから誰か来るみたいなんで、あとから行きます。大丈夫ですよ〜アニスちゃんなら!」
イオン様に旅券と簡単な荷物だけ預けて、さっさと行かせた。正直言って、大丈夫じゃないような気がする。イオン様が躊躇うように先に歩き出したのを見送ってから、深いため息を付いた。
こんなところでトクナガを使うわけにはいかない。学校で人形士の術以外も履修しておいてよかった…。そう思いながら、仕方ないとそっとため息をついて腰のベルトにいくつかある小型ナイフを一つ取り出した。はっきり言えば、成績は良くない。
聞こえていた足音が消えた。まずいよなーなんて、小さく心の中で呟く。先に動く気配はない。小さく息を吐き出して、足を踏み出した。それと同時にそこにいるはずの人に向かってナイフを投げる。が、それを思いの外ひょいっと簡単に避けたその人は、あたしのナイフを握っていた右手を簡単に掴んだ。やばい、と思ったとき、暗がりでよく見えなかったその人の顔が見えて、驚いて声を上げようと息を呑む。
「こんなところで声上げないでよ?計画が台無しじゃん」 「びっ…くりしたぁ…」
聞き慣れた声に、ほっとして息を吐いた。暗がりで見えなかっただけだ。そこにいたのは、フレイ様の副官であるリンだった。
計画、とは言われても。こんなところにいるなんて聞いてもいないし、そっと近付いてくる方が悪いんじゃないか、とも思ったけれど、この人に口で勝てるとは思わない。リンに口で勝てる人は恐らくフレイ様だけだろうけど。そんなことを頭の片隅で思いながら、リンから放された右手で行き場をなくしたナイフを拾った。
「ねぇ、フローリアンじゃなかったの?」
戻る必要はなくなった。追っ手が来ていたから此処に残っていただけで、あとは裏口から外に出てイオン様と合流するだけだ。さっさと歩き出してしまったリンの後ろを慌てて追う。
それに、さっきまで感じていた“違和感”が凄く強くなった気がする。…最近、本当にこればっかりで嫌になっちゃう。何に対しての“違和感”なのか、それが分からないせいもあるけど。人に相談するわけにもいかないし。
「そうだったんだけど、フローリアンは教団兵じゃないから。何かあったとき面倒だからって代わってもらった」 「え…でも、リンが此処にいるってことは…フレイ様の方は大丈夫なの?」
ぴた、とリンの足が一瞬止まった。それに首を傾げながらも、どうしたのだろうと思いながら聞けなかった。一瞬振り返ったような気もしたけど、すぐにリンは歩き出してしまった。慌てて足を踏み出せば、リンは小さく呟くように言っていた。
「ま、大丈夫でしょ」
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