鍵を失くした回顧録
「あ、雨…」
呟いた。空からぱらぱらと降ってきた雨に、視線を奪われて空を見上げる。目の前にタルタロスが止まっているのを確認して、雨に濡れるから、とイオンを促す。これから起こることを予測して、混乱を招くためさっさとリンには先に入ってもらった。
護衛としてイオンと共にいたのに、そのリンまで姿を消していた。怪しまれてるだろうし、その状況で此処にいるのはまずいと判断したからなんだけど。特に気にしてないのか、リンは素直にタルタロスへと入っていった。
「フレイ、来たよ」
シンクの声に、振り返らずに、分かってる、と返した。声が聞えた。なんとも言えない声だったけれど。そういえば、あとでアニスに謝らなきゃな、と思いながら、その声に答えるように、静かに振り返る。
「イオンを返せ!」
語尾は、伸びなかった。手に持っている剣(それほど上等なものじゃないのは見て分かる)を振り上げて、こちらに走ってくる。…多分、最初に会った時よりも体力も筋力も戻っているだろう。でも、今の俺らに叶うような腕じゃないのは、分かる。
軍に入って一定の訓練をこなしている六神将(しかも[戻って]る)と、箱庭で趣味のように剣術を習うだけだった[戻って]るルークと、どちらが強いのか、なんて。分かり切っているだろう。
イオンをシンクへと預けて、腰に差してある剣を手に取った。ソウルクラッシュだ。ローレライの鍵を使うわけにもいかない。[戻って]きている連中がいるからだ。そうじゃなくても、譜眼のあるジェイドの前で鍵は危なすぎるけれど。
キィン、と金属が擦れる音が聞えた。顔を上げると、ルークが俺を見ているのに気付いた。髪の色は変えている、けれど。気付くこともあるかもしれない。早めに切り上げるか、と呟くと、その剣を弾き返さずに受け止めるだけに留める。
「貴様っ…!目的は何なんだ!」 「お前らが気にすることじゃない。親善大使殿はアクゼリュスへお急ぎになられた方がいいのではないでしょうか」 「ふざけるな!」
敬語でわざと返すと、それを受けてルークが少し距離を取る。その間合いを見ながらも、追い詰めるようなことはしない。すぐにルークがこちらに向かって走り出してきたのが見えたからだ。それを見ながら、頭上から降り上げられた剣を見て、小さく笑った。
そして、同じようにして剣を振り上げる。それを、同時に降り下ろした。地面まで降り下ろされた剣はすぐさま地面を抉り、沈んだ剣を持ち上げた。剣は互いの体を掠ることはなく、互いの剣先を掠めただけだった。
「なっ…!?何故だ!何故お前がアルバート流を使える!?」
ルークの声を聞きながら笑った。俺が同じように放ったのは双牙斬だ。突然のことで狼狽したのか、ルークの声が僅かに震えている。ルークの少し後ろを見れば、ジェイドは特に変わった様子はない。…そういえば、ジェイドの前(ケセドニア北部戦の時だけど)でも剣は使ってた。あれだけ戦績も上げれば、マルクトにでも噂程度には届いているんだろう。
「ヴァンだけがアルバート流を使えるわけではない。第六師団にいたアルバート流の使い手に習っていただけだが、何か?」 「そんなはずは…!」 「自分が正しいと思ってるわけ?あーあ、これだから嫌なんだよ」
ない、と言おうとしたルークの言葉を遮ったのは、イオンを形上だけでも拘束しているシンクだ。その言葉に、ルークがシンクを睨むようにして見ていたのに気付く。持っていた剣を鞘に納める。これ以上此処に留まっている理由はない。
「やめろシンク。行くぞ」 「…分かってるよ」
渋々といった様子でシンクが頷いたのを見て、外套を翻す。ひらり、と風に舞った裾を見ていたルークが、思い立ったように剣を再び手にして立ち上がる。…相変わらず、頭に血が昇りやすいのはルークといったところかもしれないけど。
「待て!」
少し、足を止めた。シンクが振り返ることはない。ただ、イオンが不安そうにこっちを見ているということだけは分かった。そのイオンに小さく笑って、少し後ろにいるルークを一瞥した。そして、小さく。
「 」
聞えなかっただろう。それでいいのかもしれないけど。何を言われたのか、聞き取れなかったルークがその場に止まる。その間に、タルタロスへと乗り込んだ。我に返ったルークに対し、神託の盾兵の譜術士団が軽い目くらまし程度の譜術を放った。
その間に、雨が降りしきる中。タルタロスが動き出し、廃工場跡からタルタロスごと俺たちは姿を消した。ぱらぱらと雨が当たる音がする。扉を背中に、天井を見上げながらため息を吐いた。
「[戻って]きた…か」
本当に、そうなんだろうか。 だったら、どうして。と思うことが一つある。そう、たった今、ルークと対峙するまで気付かなかった。理由は直前にルークと、いや、[アッシュ]と戦っていたからかもしれない。通路に人影はない。濡れた髪が、額に落ちた。
「…なんで、ローレライ解放の記憶がないんだ」
あぁ、それだけじゃないか。
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