「い、イオン様ぁ!大丈夫ですか!?」
「はい。アニスも無事でよかったです」

カイツールに入ってすぐ、アニスの姿が見えてイオンはほっとした。いくら知っているとは言っても、不安は不安だったのだ。すぐに自分の身を案じてくれたアニスに嬉しそうに顔を綻ばせる。その様子を見ていたティアも微笑ましそうな視線ではあったが、唯一、リンだけは呆れたようにため息をついてアニスを見ていた。

「随分な失態だけどね」
「う、…言い返せないです…」

リンの方が階級が上のこともあり、アニスは素直に頭を下げた。失態は失態だ。まさか、タルタロスの甲板から、イオンの目の前で落とされるだなんて。ふみゅ〜と頭を振るアニスを、イオンは嬉しそうに笑って見ていた。そもそも、知っていたのだ。あそこでアニスが落とされることなど。だから、少しの罪悪感はあったものの、言うわけにもいかない。笑わないでください!とアニスに言われ、イオンは軽く謝った。
その一部始終を見終わったジェイドが、一通りメンバーを見渡した。その視界にルークを一瞬捉え、そのルークは何か考えるようにジェイドを見て、また視線を外した。それに対してジェイドは気にする様子ではなかった。その2人のやり取りにアニスが首を傾げ、イオンは嫌そうに眉を寄せていたが。

「さて、どうやって国境を越えましょうか」

ジェイドの言葉に、あぁそうかとリンは納得した。旅券がなかったわけではない。タルタロスに勿論旅券は持ってきていたのだ。しかし、六神将にそれを拿捕され、まず先にと貴人の安全を優先に逃げてきたため、旅券を手にするだけの時間がなかった。セントビナーで連絡は入れたものの、そう簡単に旅券が発行出来るものではない。

「あ、あたしも旅券を奪われちゃって持ってないんだった…」
「俺もティアも当然旅券は持ってない」

アニスとルークがこの状況に追い打ちをかけるように声を上げた。それを勿論みなが知っているが、あえて言ったのだろう。ふむ、と再び考え始めたジェイド。今ここで、マルクトから再び旅券を発行しているだけの時間はもったいなさすぎる。キムラスカに鳩を飛ばしている以上、連絡も行っているだろうから、ルークがいればキムラスカ側は通れるだろう。殆ど強硬手段であるが、それしかない、とジェイドが一つ頷いた時。



「そんなもの要らないと思うけどね!」

軽い、本当に軽いノリの声がした。ばっとリンとイオンが顔を上げた時には、恐らくどこかの木の上にいたのだろうか。フローリアンが何処からか飛び降りてきて、そのままルークに向かってとび蹴りをしようとしていた。
さすがに[アッシュ]も[戻って]来ているので避けようとしていたが、鍛えていない身体で避けるのは難しかったのか、肉体がついていかなかったのか。少し脇に逸れただけでほぼまともに食らってしまった。そのまま横に倒されたルークの傍にとんっと軽快に降り立ったフローリアンは特に武器を構えるわけでもない、ルークの傍に立っただけだ。

「あーっと、変なこと考えたらダメだからね?」

武器に手をかけたガイを見ながら、フローリアンが軽く笑った。今、手に武器は持っていない。しかし、この場でルークをどうこうするのは簡単なのだ、と。そう笑ったフローリアンにイオンとリン以外の人間が焦っていた。2人にしてみても、此処に来るのは予想外ではあったが、大して驚きすることでもない。[前]はこうして[アッシュ]が襲ってきたのだ。似たようなことがあってもおかしくはないし、シンクが動いている証拠でもあるだろう。

「…テメェ、誰だ?」
「わぁお。キムラスカ王族とは思えない口の悪さ!誰だって言われても、僕は僕です〜としか言いようがないんだけどね?あ、イオンの兄弟?なんて言えば納得する?」

にこにこと笑顔を絶やさずにルークと会話をするフローリアンにイオンはため息をついた。この場合、自分が前に出れば終わることでもあるだろう。しかし、少しいい気味だと思っているイオンがいる。それに気付いているからこそ、リンも止めない。最もフローリアンを止められるのはフレイただ1人であることは2人も分かっているのだろうが。そんな中、1人だけ妙な動揺を見せているアニスがいた。

「ちょ、ちょっと!フローリアン、それはまずいよ!やめて!」
「えぇ〜?僕ってば教団兵じゃないから、アニスの言うこと聞く理由がないんだけど〜」

教団兵じゃなかったのか、とガイが呟いた。ジェイドは警戒を解かずに、それでもフローリアンから少しでも情報を聞き出そうとしているのか視線は外さない。そんなフローリアンに対し、とにかく早く逃げて!と少し妙なアドバイスをしているアニスに、リンとイオンは首を傾げる。どうして、早く逃げてという言葉が出てくるのだろうか、と。その言葉に、さすがのフローリアンも首を傾げた。

「なんか変だね、どうしたのアニス?」
「どうしたのじゃなくて!絶対後悔するから、今のうちに逃げ…」

アニスの言葉が、綺麗に止まった。その顔からさーっと血の気が失せていく。さすがのフローリアンとリン、それにイオン、ティアも様子がおかしいと気付いた。それはダアト組だけではなく、ジェイドやガイもそうだ。もう、駄目だ、とアニスが呟いて項垂れた。


どうしたの、とティアが声をかけるも、アニスは項垂れたまま動かない。どうしたのだろう、とリンとイオンが顔を見合せてみるが理由がさっぱり分からない。一拍の静寂がこの場に落ちた。

ふわ、と小さく風が頬を撫でる感覚に気付いた。そして、その感覚に押されて、リンが顔を上げる。その反応につられた面々も、視界を空へと移した。長らく付き合っていたリンには分かる、僅かな風の流れがそれを感じさせた。その人は、いつからそこにいたのか、やけににこにことしている顔で、面々を見下ろしていた。



「随分と楽しそうだな。俺も入れてくれよ」

にっこりと綺麗な笑みを浮かべているその人は、宿の屋根の上に座っていた。いつからいたのだろうか、気付かなかった。それは、ジェイドやリンですらも。そして彼は、立ち上がり、長い外套の裾をふわりと揺らして、フローリアンの背後に落ちた。アニスの動揺の意味が、ようやくフローリアンに理解出来た。ばっとフローリアンはルークから離れるが、少し、遅かった。ルークからは離れたが、彼からはそう、離れることは出来なかった。かと言って、この場から逃げることも出来ないと、フローリアンは気付いていた。そして、誰かが呟いた。


「…ろ、六神将…烈光のフレイ…!」

烈光、と呼ばれたフレイは面々を見やって、にやりと小さく口端を釣り上げた。


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