泣きたくはなかったのに
「フレイ!おい、しっかりしろ!」
ばちん、とほっぺたを叩かれた。地味に痛い。ゆっくりと目を開けると太陽の日差しが目に刺さって痛い。開きかけた瞳にはその刺激が毒で、また目を閉じる。咄嗟に手で日陰が作られた。何度か瞬きをして、今度こそしっかり目を開けた。
「…るーく」
口にした言葉は随分と拙いそれだった。へにゃっと情けなく笑った顔をどう捉えたのか、ルークが困ったように笑っている。その表情を見るのは初めてだった。
「誰に聞いたんだ」 「べつに、聞いたわけじゃねぇから、誰も責めるなよ。勝手に来たんだ、俺が」
リンに言われて、アスランに言われて、ガイに言われて。なんとなく違和感に気が付いて、ここに辿り着いた。思えばこの出来事を知らないはずのリンやアスランが知っていたのは誰かからこの事実を聞いたんだろう。
誰も悪くなんかないし、誰も俺に死ねだなんて言っていない。勝手に俺が死のうとしただけだ。
「…お前さぁ、なんでそんなに俺に甘いわけ?ルークがこんなことする必要、ないだろ」
わざわざ俺を助けるような真似をする理由なんかない。別に仲間でもなかったし、利害の一致はあったかもしれないけど。そして被験者とレプリカっていう関係で。罪悪感?あいにくと俺は"ルーク"じゃないから、その罪悪感は受け取ることは出来ない。そんなことこいつが一番わかってるだろうに。
「それを言ったら、お前だってこんなことをする必要はない」 「ある」 「ねぇよ!!」
耳が痛い。人のこと、抱きかかえながら、近くで叫ばないで欲しい。叫ばれて、耳が痛い。顔を顰めてルークを見て、ちょっと驚いた。なんで、泣きそうな顔をしてるんだ。
「ふざけるな!テメェは"ルーク"じゃねぇだろ!自分で違うと言いながらアイツの贖罪を背負って生きるのはいい加減やめろっつってんだ!テメェはテメェで勝手に生きろ!!」
泣きそうな顔をしたルークは、それでも泣かなかった。なんだそんな顔してるなら泣けばいいのにって、ちょっとだけ思う。ていうかそろそろルークの膝枕状態から解放して欲しい。そう思うのに、一向にルークは離そうとしない。いや離れろよ。俺も身体が動かないから逃げるに逃げられない。
「……あー、髪の色、戻っちまったなぁ…」
ぼんやりと呟いた言葉にルークが睨み付けてきた。さすがにあれだけ第七音素を消費したら、それもしょうがねぇか。朱色に戻った髪をぼんやり見ていたら、ルークから頭を叩かれた。全く聞いてねぇだろ、と言いたそうなその表情に苦笑する。
「どうしろってんだよ、今更。ずっと"ルーク"だと思って生きてたし、そのために動いてた。他の連中だって、俺が"ルーク"だと思ってる。今更、どの面下げて、俺はルークじゃありません、って、言えるんだよ」
困ったように笑ってみせた。ほら、アニスが嬉しそうに泣きながらさ、「おかえり」って言ってくれたんだ。もういっそのこと俺は"ルーク"ってことでもいいんじゃねぇの、ってちょっと思う。変わんないだろ、記憶も持ってんだから。
「ふざけるな」 「うぐっ!!」 「おい…トドメ刺してどうする…」
怒気が含んだ声が聞こえた。同時に、腹に思い切り蹴りが飛んでくる。うめき声のような悲鳴を上げて、思わず目の前にいたルークに縋りついた。げほげほと何度か咳き込むと、労わるようにルークが背中を撫でた。こんなに優しいルークは、初めてで戸惑う。
呆れたルークの声に、顔を上げる。立ったまま、怒ったような表情で、俺を見下ろすリンが見えた。ああ、そうか。シルフに頼んで、運んでもらったのか。そうできる可能性をすっかり忘れていた。
「ふざけるなよ!!」
今度は、胸倉を掴まれた。こんなに怒ったリンを見るのは初めてだ。首が締まって、息が詰まる。焦って止めようとしたルークの手をさりげなく掴んでやめさせた。
「人に死ぬなんて許さないって言っておきながら自分は死ぬのか!?ふざけるのも大概にしろよフレイ!」
泣きそうな顔をして、人の首を絞めている。そろそろ手を放して欲しい。大袈裟に咳き込んで見せると、慌てたようにリンが手を放した。またルークの膝の上に逆戻りした。
「あんたがルークじゃないことなんて、僕が一番知ってるよ」 「…いおん?」
咄嗟に口から出たのは、彼の本来の名前だった。全く意図して出したわけではないその名前を聞いて、彼は泣きそうな顔をさらに歪ませて俺を真っ直ぐに見た。その場に膝をついて、倒れ込んだ俺の胸に縋りつくようにして、抱きついてくる。その手が、微かに震えている。
「ねぇ、勝手に、僕の親友の、フレイを、殺さないでよ」 「イオン、」 「言っただろ。ねぇ、あんたを拾ったのは、僕だ。勝手に死ぬなんて許さない。許さないよ、いなくなるだなんて、そんなの…自分勝手だ」
手は震えているけど、声は震えていない。耳に響いてきた声に自然と涙が零れた。ぽろぽろと勝手に零れてくる涙にどうしていいか分からなくて、手で涙を拭おうとしたけれどもうまく手が動かなかった。
「イオン、ねぇイオン、」 「なに」
ぶっきらぼうな答え方だったけど、いつものイオンだ。少しばかり歪んだ笑顔が見えた。どうしよう、ちょっと眠くなってきた。そのせいか口調が幼くなっていく。
「おれは、だれ、」
ゆっくりと瞬きをする。その向こうでルークとリンが驚いたような顔をしていたのが見えた。何度か瞬きをするけれど、力を使いすぎて疲れたのか、身体が言うことを聞いてくれない。
「何言ってんの、あんたはフレイでしょ。僕が拾って、僕が名前を付けた、唯一無二の親友でしょ。寝ぼけてそんなことも分からなくなった?」
嬉しそうに笑うイオンの顔が見えた。それにほっとして少しだけ息を吐いて笑った。情けない笑顔になっていたのは自覚がある。そこに、ふっと上から影が差した。誰だろうと思って視線を動かすけど、やっぱり眠すぎて、そこにいるのが誰だか認識はできなかった。
「眠いのか?」
髪を撫でる感触がした気がした。ゆっくりと瞬きを繰り返して、また目を開こうと思ったが段々と閉じていく。小さく頷いて、ようやく動くようになって手で目を擦った。聞こえた声だけでその人物を判断して、名前を呼ぶ。
「…レネス?」 「ああ。少し休め。あとのことは任せろ」 「んー…やだぁ…」
髪を撫でているのは誰だろう。ごろんと、少しだけ横向きになる。縋りついてるイオンが驚いて声を上げたのが聞こえたから、閉じた目のままちょっとだけ笑った。
「やだじゃねぇよ。ガキか」 「ちげーし…、ばかルーク」 「いいから。寝てろ」
ルークの声だけはすぐに分かった。だから、反抗するように声を上げれば、問答無用で目を抑えられた。ひでぇの。ルークに瞼をゆっくりと撫でられて強制的な眠りに誘われる。そんなに俺を寝かしつけたいのか。
んー、でも、そろそろ眠たくなってきた。
そんな中でおやすみ、と誰かの声が聞こえた気がした。
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