そしてそれは悲しみの序章となる
朝からイオンはイライラしていた。どの程度イライラしているかと言えば朝から教会内にちらちらと姿が見えるマルクト兵とキムラスカ兵に向かって思いっきり舌打ちをする程度にはイライラしていた。ようするに絶好調でイライラしている。
朝っぱらから他国で精を出して働いているマルクト兵とキムラスカ兵にしてみればたまったもんではない。何が楽しくて導師から…導師から(強調)舌打ちをされなければならないのか。ちなみに導師守護役と神託の盾兵に至っては慣れているのかスルーである。触らぬ導師に祟りなし。
「いやそれにしたっていくら何でも大人げないからね」
そんなわけで部屋に入るなり導師にそんなことを告げる彼は大物である。
「うるさいですよシンク。大体なんで許可を出したんですか!嫌ですよ僕!」 「知らないよ…大体自業自得だろ。あんたが仕事サボって逃げるから」 「うっ、」
会議を執り行う場所で既に各国の王たちの目の前でイオンに呆れたようにシンクが告げる。そもそも大量に残されていた仕事から逃げるようにして教会から脱走したイオンの代わりに、リンがぶつぶつ文句を言いながらも仕事を回していたのだ。そこにちょうどよく今回の会談の話が持ち込まれ、(詠師会から)仕事を押し付けられたリンが腹いせにと承諾したのである。「自分は関係ないしね。だってもう導師じゃないもん」だそうだ。
「リンとフレイが来たら独壇場ですよ、この会議。はは、もう面倒だから二人で世界征服すればいいんじゃないですか…?もう導師辞めたい」 「イオン様、はい今回の課題です」 「……アニスの鬼…」 「よかったじゃないか、優秀な守護役がいて」
なんて、とっても皮肉である。辞めたいと言っている導師に向かって問答無用で書類を押し付ける守護役に周囲は苦笑いだ。残念ながらこれがダアトの日常なのだ。
「ところで導師、フレイは参加しないのか?姿が見えぬが」
最初に気付いたのはキムラスカ王であるインゴベルト陛下だ。さすがフレイをキムラスカに呼び戻そうと画策しているだけある。そんなことさせないが。案の定イオンが「チッ」と舌打ちをした。シンクに「いやさすがにキムラスカ王だからね」と窘められている。その発言すら不敬だが。
「彼が?何故?僕の守護役でもないのに?こんなところに来るとでも?」
いくら神託の盾内で地位が高いとはいえ、所詮は響将で詠師である。わざわざ会議に出る必要もない。イオンが要請したなら別だが、イオンはフレイを呼ぶつもりなどなかった。自分の護衛などアニスとシンク、そしてアリエッタがいれば十分である。
「というか、僕が彼をここに呼ぶと思います?」 「あれだけ引っ掻き回しておいて何を…、てっきり呼んでいると思ったぞ俺は」
ピオニーが呆れたように零した。そりゃそうだ、他国まできて議会法やらなんやら手を出しまくって内政干渉しておいて、いざ三カ国会談となれば姿を現さないだなんて誰が思うのか。普通来るだろう。
「さて皆さん。何故僕がダアトを会談の場として使用してもいいと許可したかお分かりですか?」 「許可出したのリンだからね」 「黙りなさいシンク」
イオンの凄んだ視線と言ったら、怖いことこの上ない。呆れたように肩を竦めて「もーしわけありませんでしたー」と棒読みで謝罪する。イオンのイライラは収まるどころか増す一方である。
「プラネットストームの停止?預言撤廃?新生ローレライ教団?そのどれも僕にとったらどうでもいいんですよ」 「導師イオン、どういうことですの?」
どうでもよくはないだろう、と非難するようなナタリアの声が飛んできた。あ、とシンクが思った時には既に遅く。イオンは手に握っていた音叉を強く握り締める。鉄製の音叉がミシリと音を立てていた。あれ、アレって鉄製だよね。何をそんなに怒っているのか、冷や汗が滲み出ている。
「プラネットストームなら勝手に停めてもらって結構ですよ。ああ、預言撤廃はあとで正式に発表しますし、新生ローレライ教団に至ってはもうぶっ潰す予定なので心底どうでもいいです」
そもそも罪人が立てた教団に救いを求める者などいない。イオンが教団のトップに立ってから、それほど預言を妄信しない宗徒が増えてきている。今更新しい宗教を立ててどうする。
「さて、それでは僕の前で、…いや、僕らの目の前で、ですね。教えて頂けますか?」
真っ先に気付いたのはピオニー陛下だ。明らかに顔が引き攣っていて、それでいて顔色が悪い。そして先程から一切イオンの方を見ようとしないジェイドも、恐らく気が付いている。
「"前回"はどのようなお話を、ここで、僕のダアトでしていたのかを」
その場の空気が凍り付いた。
アリエッタとシンク、そしてマルクト皇帝の護衛としてついてきているアスランだけが、どういうことかと首を傾げている。誰も口を開こうとしない、この現状で。いち早く我に返ったのはやはりシンクだ。
「…どういうこと?」 「どうもこうも、プラネットストームの停止も預言撤廃もしなければ世界は滅亡への道を歩むだけ。どう足掻いても行わなければいけない事項ですよね?それを今更こんな風に集まって話し合うなんて、馬鹿馬鹿しいにもほどがあるじゃありませんか。ほら、もっと、話し合わなければいけないことがあるでしょう?」
にこにこと、とても上機嫌である。その表情だけ見れば「ああ今日のイオン様はご機嫌だなぁ」と思うだけだ。普通の人から見れば。神託の盾兵やローレライ教団に関わる者が見れば、すぐに分かる、その表情。神託の盾兵なんか裸足で逃げ出すだろう。曰く「なんで今日のイオン様はあんなにご機嫌が悪いのだ」、と。
ようするに、目が笑っていない。
「ほら、言って御覧なさい。この僕に。ねぇ、ジェイド・カーティス大佐」
名指しされて、微笑まれる。ぐっと言葉に詰まってイオンと一切視線を合わそうとしない。
「まさか僕の口から言わせるわけじゃありませんよね。ほら、状況を飲み込めない方々のためにも言うべきことがあるんじゃないですか?」 「…い、おん、さま」 「おや。なんですかアニス」
イオンのすぐ後ろで控えているアニスが、真っ青な顔をしてイオンの名前を呼んだ。にこにこと笑った笑顔のまま、振り返る。アニスは震える手をなんとか握り締めて、口を開いた。
「…なんで、イオン様が、そのこと、ご存じなんですか」 「………あれ?アニス、貴方いつから"戻って"たんですか?」
きょとん、と目を丸くしてとても不思議そうな表情を浮かべている。先程までの殺気も不機嫌なオーラも消し飛んでいた。いや逆に怖い。
「さいしょ、から、です」 「あれ、そうなんですか?」 「いや僕に聞かないでよ。知らないよ」 「アリエッタは?」 「知らない、です」
首を傾げて、シンクとアリエッタを順番にイオンは見た。二人とも首を横に振っている。次に、と思ってイオンがルークたちに視線を向けると彼らも驚いた顔をしていた。なんだ、隠していたのか。だとしたらフレイは知っていたんだろうか。
「その話はまたあとで聞きますね。えーっと、なんでしたっけ。僕がこの話を誰から聞いたか、でしたっけ」
不思議そうな顔をしたが、今ここで問い詰めても仕方がないことだと思ったのか。すぐにまた話が戻される。いや一生脱線したままでもよかったんだけど、とはシンクの小さな呟きである。同意したかったが同意したら最後、あの音叉の餌食にされそうだった。
「ふふふ、さてお前が死ねだなんて言ったことに対して罪悪感でもあったんでしょうか。ねぇ、ルーク殿」 「………ちっ、」
わざわざ言うな、とその表情が物語っていた。そして全員がそのルークの顔を見て(お前が導師に余計なことを言ったのか!!!)と脳内で怒鳴っていた。とてもじゃないが口に出せる空気じゃない。
「イオン様、話が見えない、です。どういうこと…?」 「どうもこうも、簡単なことですよアリエッタ。早急に解決しなければならないのは障気の問題です。プラネットストームも預言もやろうと思えばどうとでもなる。ですが、この空を覆う障気は?解決策を早急に見つけなければ、人が死ぬ」 「ちょっと待って、待ってイオン。あのさぁ、僕とてつもなく嫌な予感がするんだけど、まさかじゃないよね?」
さすがですね!だなんて褒められたくはなかった。無邪気な笑顔でそう告げられて、シンクは絶望に突き落とされた気がした。嘘だろ、まさか人間がこんなに馬鹿だとは思わなかった。
「あの時と同じように言ってみたら如何ですか。"一万のレプリカと共に超振動を起こして、障気を消して死ね"と」
さて、これで僕がここにフレイを呼ばなかった理由、分かりましたよね?だなんて。嬉しそうに言われたって、どう考えても死刑宣告のようにしか聞こえなかった。
まるで術で口を封じられたかのように、その場は静寂に満ちていた。誰一人として口を開こうとはしない。それは確かに"事実"だからだ。言わなければ気付かれないと思って。誰も口にしなかった。この会談を決めたときに、障気をどうするかなど全く頭になかったからだ。
「貴方がたはどこかで思っていたんでしょう?どうせ今回も裏でフレイが動いている、と。彼がこの障気の空を何とかしてくれるに違いないって。ふざけるのもいい加減にしてもらえませんか?せっかく"前"を覚えているというのに、その脳みそは飾りですか」 「耳が痛いな」
素直に認めたのはマルクト側だ。それでも全員がそれを認めたわけではないだろうが、皇帝が小さく呟いた言葉はしっかりとイオンの耳に届いている。…及第点でもなんでもないが。
「フレイをなんだと思っているんですか。あまりふざけたことを続けているとその国、滅ぼしますよ本当に」 「うわ、えげつな」
シンクのもはや他人事のような呟きは現実逃避だろう。イオンがこれほどまでに怒っている理由も納得できた。だからこそ止めようともしなかったし、口を挟むこともしなかった。
「あいつにやらせるなんざ誰が言った」 「珍しい。どういう風の吹き回しです?僕を怒らせるようなことだけは言わないですよね?まさか、貴方が」 「……導師に言って正解だったとは、思っている。が、よくもまぁそんなことが言えたなと感心はしている」 「シンク!殴れ!あいつを!今すぐ!」 「無茶言わないでくれる!?」
ルークの言葉が頭にキたのか、音叉をぶんぶんと振り回している。アニスが今にも泣きそうだ。頼むからやめてくれ、とシンクが止めたところでイオンの怒りは収まらないだろう。
「フレイをなんだと思っている…、か」 「ルーク?どうした?」
イオンの言葉を復唱した、その呟きが今までとは違う意味に聞こえて、思わず隣に立っていたガイはルークの顔を覗き込んだ。微かに揺れた瞳に動揺したが、その理由を問いただすことは出来なかった。
何故なら、扉がけたたましい音で吹き飛んだからだ。
「何事っ!?」
ティアが声を張り上げながら振り返る。全員が武器を手に振り返っていた。派手な爆発音とともに扉が吹き飛んで床に落ちる。ところどころ燃えているところを見ると火の譜術で消し飛ばしたらしい。一歩間違えれば大惨事だ。
「いおんっ!イオン、イオン!どうしよう、ねぇ、リンはどこ!?どこ行ったの?!」
飛び込んできたのは、泣きそうな顔をしたフローリアンだった。譜術で扉を見張り兵と共に吹き飛ばして会議室へ駆け込んで来たフローリアンはイオンまでに向かう途中に立っていたガイを蹴り飛ばして、イオンに抱き着く。今にも泣きそうだ。
「え、ええっと、リンなら神託の盾本部にいると…、あの、どうしたんですか?」
先程までの不機嫌なオーラと怒りはどこに霧散したのか、と言いたくなるくらいに穏やかな顔を浮かべていた。いつもそんな表情をしていればまだ可愛げあるのに、とはシンクの言葉である。
「フレイがっ、フレイが死んじゃう!!」
泣きながらそんな言葉を叫んだ。イオンの手から滑り落ちた音叉が床に叩き付けられる。咄嗟に返事を返せなくて、イオンの口からは「え…?」という呆然とした響きだけが零れていた。
「シルフが、おしえて、くれ、て…っ!やだよ、ねぇどうしよう!フレイがっ、フレイが死んじゃうよぉ…!!」
ぽろぽろと泣きながら、フローリアンもわけが分かっていないのだろう。ただ「いなくなる」という言葉を聞いて、それだけここに駆け込んできたらしい。
「…っ、アリエッタ!リンとカンタビレを呼んできて!」 「あ、はい、です、わかった…!」
一番早く我に返ったのはシンクだ。すぐさまアリエッタに指示を飛ばすと、アリエッタは外へと駆けだして、それからライガに跨って教会内を走る。神託の盾本部に向かったのだろう。
「ジェイド、アルビオールを出せ」 「ええ、分かっています」 「無駄だ」
次に早かったのはピオニー陛下だ。インゴベルト陛下もナタリアに声を掛けたところで、それを遮るようにルークの低い声が部屋に響き渡った。
「何が無駄だって?見殺しにしろってのか!!」 「違う。フレイのことだ、アルビオールで追いつかれることくらい想定してる。…飛行譜石なんて持って行かれてるだろうな」
はは、と笑う音がした。ルークが頭を抱えるようにして笑いを零していた。冷静に考えてみれば、そうだ。空を飛んで来られたらいくら何でも追いつかれる。そのくらい、フレイが分からないはずがない。
「どうやって知ったんだ、あいつは。この"記憶"は俺が持ってるのに」 「ルーク?どういう意味です?」 「……おい、シルフの契約者は誰だ」
ルークの言葉の意味を図りかねたジェイドを、無視して告げた。ジェイドが訝しむようにルークを見ていたが、もはやそれこそどうでもよかった。
「…言うと思う?」 「いや、確認したかっただけだ。フローリアンが干渉できたということは、リンか」 「チッ、だから嫌だよあんた」
シンクが舌打ちを零す。隠し通せるとは思っていなかった。フローリアンがシルフという言葉を発した時点で。音素の意識集合体と契約を交わしていることを知らない面々は唐突に出てきたその名前に戸惑っているようだった。
「運んでもらった方が早い」 「何人運ぶ気だよ。そもそも、アイツが許してくれると?」 「……許してくれるなんて思ってねぇよ」
黙り込んでしまったイオンの代わりに、シンクが答える。問いかけに少しだけ諦めたようにルークは返すと、そのまま会議室を出て行ってしまった。リンのところに向かったのだろう。どうせアリエッタが知らせに行っている。外で待っていれば会えるだろう。
「…イオン」 「僕らがいけば、あの人は、怒りますよね、」 「だろうね」
フローリアンを抱き締めながら、茫然と呟いたその言葉を肯定する。レプリカである自分たちが行っても、下手をしたら消えるだけだ。そんなことできるわけがない。
バタバタと途端に騒がしくなった会議室を見渡す。ティアやナタリア、ガイ、ジェイドたちもルークを追うように出て行ったらしい。それから追うように命じられたアスランも。追いかけたところでリンが連れて行くとも思えない。いや、あいつは性格が悪いから全員連れて行って見せつけるかもしれないが。
「どうせ、止められるとしたら、アイツかリンだけだよ」 「嫌です」 「…ほんと、同意だね」
待つことしかできないのが歯がゆい。ああ、せめてアルビオールが飛べるようにならないか、神託の盾本部からディストでも引っ張ってって直させようか。うまく働かない頭をなんとか動かして、そんなことを考えていた。
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