↓
「フレイ様!」 「…ん?…ああ、アニスか…」
トクナガを下敷きにして目が覚めた。どうやら落ちたところアニスに助けられたらしい。少しだけ、いやというかかなり怠い身体を起こして周囲を見ると、どうにも周りは真っ暗で何も見えなかった。なんだこれは。
「停電?」 「かと思ったのですが…、私自身もフレイ様の姿もはっきりと見えているので、そうではないかと…譜術の一種だとは思うのですが…」
ごめんなさい、とアニスが頭を下げる。あの場で慌てたように走り出した俺を心配してついてきたんだろう。何を一体ごめんなさいなのかが分からなくて困ったように笑ってアニスの頭を撫でる。
「お前のせいじゃないだろ。それに、これにはちょっと覚えがあるしな…」 「はぁ…、この術をご存じなんですか?」 「いやそうじゃなくて…」
なんて言えばいいだろうか。何もわざわざアニスを選ばなくてもいいだろう、と思う。まぁそもそも闇が似合う人間なんてこの世にいないと俺は思っているわけだけれど。何を思ってコイツがアニスを選んだのか、ちょっと気になる。
くい、と裾を何かに引っ張られた。「ん?」と声を漏らしながら振り返る。アニスも同じように俺の目の動きに合わせて視線を動かしていた。
「…犬?」 「………マジか」
そこにいたのは、子犬だ。真っ黒の子犬。元気に「わんっ」と鳴いていた。いやワンじゃねぇだろこいつ。どうにも頭が痛いのは第一音素に縁などないからだろう。そういえばあんまり第一音素系統の譜術は使ったことねーな、と思う。素養がそれほどなかったのかもしれない。うん。
「あの、フレイ様、これ、」 「第一音素の意識集合体、シャドウだな」 「はぁ。なるほど……って、ええええええ?!」
アニスの悲鳴が耳元に響く。距離が近いから余計に耳が痛い。少しだけ顔を顰めると、すぐに「すみません!」と謝る声がアニスから聞こえた。いや、大丈夫だけど。
「娘よ」 「えっ、あ、あたしのこと…?ていうか思ったより渋い喋り方…」
突然、犬が喋り始めた。そのことに動揺しているアニスの姿を見て少しだけ笑う。あーちょっとだけ怠い。なんだか話が長くなりそうな気がしたので、その場に座った。シャドウも思ったより小さいことだしな。
何を思ったのかあろうことか、座り込んでいる俺の膝の上にシャドウが乗ってきた。見た目は子犬だ。アニスも釣られてその場に座る。
「そなた、いつまで隠す」 「………へ?あ、あたし、隠してることなんて、」 「何故何も告げぬのだ」 「……えーっと、」
視線が泳いでいる。明らかに図星を突かれたときの反応だ。そんなアニスに、はてと首を傾げる。アニスに後ろめたい隠し事などあっただろうか。"今回"はモースのスパイなんてしてないし、イオンを裏切ってる様子もない。相変わらずあの両親はお人好しだけれど、"以前"より酷いだなんてことはなかったはずだ。
「フレイ」 「何?」 「変だと思わぬか。他の者は全て"知っている"というのに、この者だけ"知らぬ"というのは」 「………え?嘘だろ?」
"知っている"が何を示しているのか、すぐに分かった。"前回"のことだ。そういえば、ジェイドもガイもティアもナタリアもルークも、そしてキムラスカやマルクトの上層部だって、"前"は一度でも関わったことのある人は、全員知っているはずだ。その中で、アニスだけが何も知らなかった。そんなことありえるだろうか。
「…アニス、」 「知らない」 「アニス、答えろ」
俯いて、顔を上げない。それが答えな気がした。問いかけにしらばっくれるように、俺に返すには珍しい口調で答えてきた。
「知らないってば知らない!!」
急に、アニスが立ち上がった。ぎょっとして目を丸くする。シャドウがどこか呆れたようにふぅと息を吐いて丸くなっていた。そんなシャドウをアニスは睨み付けている。
「なんでわざわざそんなこと言うの!?言わなくていいじゃん!嫌だよ!!あいつらとおんなじように扱われるの!!」 「……え、ちょ、アニス、何の話を…」
あいつらって、誰のことを示しているんだろうか。アニスが何を言おうとしているのか全く分からない。分からないけれど、潤んでいた目から今にも涙が零れ落ちそうなことだけは分かった。
「知らないよぉ…、"前"なんか知らない…。やだよあたし、こんなことしたって"ルーク"が還ってくるわけじゃないんだから!!」
あれ、ちょっと待て。もしかして俺がレプリカルークって気付いてない?
「だったら、だったらイオン様も、アリエッタも、シンクもフローリアンもリンも…、フレイ様も、いる、今がいい…"前"なんか知らない、あたし、もう後悔したくない…っ!」
ぽろぽろと涙が零れていた。蹲って顔を隠して、本格的に泣き始めた。アニスがこんなに泣いたのは初めて見たかもしれない。俺は、ね。
ちょっとだけ、自分を落ち着けるために息を吐く。うん、落ち着いた。アニスはそれを呆れたため息だと思ったみたいでビクリと肩を震わせていたけど。
「アニス」
ほら、また。ちょっとびっくりしたように肩を揺らしていた。子どもだなぁ、とその姿を見て思う。なんだろう、デジャヴだ。導師守護役を解任されるって話を告げたときの、アリエッタに似てる。なんだかんだいいつつ、この二人って似てんだよなぁ。
だから俺はあの時と同じように、手を伸ばしてアニスの頭を撫でた。
「だからシャドウはアニスを選んだんだな」
全部分かってて見ないフリをして、知らないフリを決め込んで一人抱えて行こうとしたから。それって弱さなんじゃんとは思うけど、これがアニスの強さでもあると俺は知ってるわけだし。
まぁ、いいか。ここまできたなら名乗っても。どうせ状況変わるわけじゃねぇし。ルークはひょっとしたら呆れるかもしれないけど。
「ほら、アニス、見てて」
真っ暗な闇の中で光が舞った。顔を隠しているアニスの目の前で突然発した光に驚いたのか、慌ててアニスが顔を上げた。うーん、事情を知ってる奴らの前以外で髪の色を戻すのは初めてだから緊張する。
そういえば、インゴベルト陛下とかピオニー陛下とか、それこそアスランだったり母上だったり。フレイが"ルーク"であることに気付いた者は多かったけれど。ジェイドもティアもガイもナタリアも。もしかしたら、と思っていた様子はあるけど"俺"だと断定したことはなかったな。と、今更ながらに思い出した。
「ただいま、アニス」
朱色に戻った髪をそのままに、小さく笑った。ちょっとだけ恥ずかしい。
「……るー、く、」
呆然としたような声でアニスが呟いた。分かってはいたんだろうけど、直接呼んでいいかどうか迷っていたんだろう。だからまたアニスの頭を撫でる。
「うん。ごめんな、言うのが遅くなって」 「…ばか、ばかばかばかばかっ!!何よ、なんなの、根暗ッタたちは知ってんのに、なんで、なんであたしたちには言ってくんなかったの…!!」 「うん。だからごめんって」
だってさ、最初は敵になると思ったし。"戻ってる"とは思わなかったから言い辛かったんだ。それにどうせ敵になるんだし、と"戻ってる"と気付いてからも言えなかった。敵か味方か、立場があやふやになっていた時には既に、俺は"ルーク"自身ではないと気付いていたから、後ろめたさから言えなかった。
「ぐす…っ、おかえり、ルーク、」
飛びついてきた。膝に乗っていたシャドウは慌ててそこから飛び降りていたが。突然の衝撃に後ろに倒れる。床があるのかないのか分からないけど、身体はどこも痛くはなかった。
「うん、ただいま」 「もうどこにもいかないよね…?」 「行かねぇよ」 「うん…、……ダアトに、いるよね?」
なんだこれは、ようするに、キムラスカに戻るのか?って聞かれてるのか。さて、なんて答えるのが一番いいだろうか。俺はキムラスカに戻るつもりは一切ないんだが。
「ばーか。俺がいなかったら誰がイオンたちの面倒見るんだよ」 「…アニスちゃん、見切れません、」 「だろ?」
ぐしゃぐしゃっと乱すつもりでアニスの髪を撫でまわす。伊達にアイツらが生まれてから面倒見てない。そういって笑えば、涙と鼻水でぐっちゃぐちゃな顔のままアニスがへったくそに笑った。
「よかった、フレイさま」
もう呼び方はルークじゃなかったから、少しだけほっとした。どこにも行かないで、と泣く子どもの声が聞こえて。それは少しだけ嬉しかったけれど、みしりと心のどこかが軋んだ気がした。
← | →
[戻る]
|