見上げたら、空、堕ちて。


「……あー…」

馬鹿だな、とは思っていた。馬鹿だなとは思っていたけれど、実際にこうなってしまうとやはり遣る瀬無い。隣にいるリンの様子をちらりと見るとその眉間に深い皺が刻まれている。障気が深い空から聞こえてくる声は、もはや人間のそれじゃない。

現在地、グランコクマ宮殿目の前。エルドラントが浮上したそのタイミングでここを訪れたのは何ともまぁタイミングの悪いことだった。空に浮かぶ島が少しだけ霞んで見える。

「新生ローレライ教団。馬鹿らしい」

吐き捨てたリンが物凄い不機嫌なオーラと殺気を纏っているのを見た。

「何が預言だ。あんなもの聞いたあとで、まだそんなことを…」
「あんなもの聞いたあとだから、じゃねぇかなぁ…。まぁ元々がそんなまともな思想してなかったから庇いようもねぇけど」

だからって別に、死ねばいいのにとか思ったことはない。こいつうぜぇなとか、キモイなとか、そんな風に思ったことはあるけれど。あの時ザレッホ火山で捕らえられれば本当は一番良かったんだろうけど。まぁ捕らえたところであのモースが反省するかどうかと言えば、分からないけど。

「…フレイってさぁ」
「なんだよ」
「博愛主義?」
「はぁ?なんだそれ」

呆れたような呟きと共に吐き出された言葉を理解するまで時間がかかった。何をどう捉えたら俺が博愛主義だと思うんだ。嫌そうな顔を向ければ、同じように嫌そうな顔を向けられた。

「自覚ないのは相変わらずみたいだけど。本当にね、僕は心配なんだよ」
「なんだよ。気持ち悪いな」

空からあの薄気味悪い声はまだ聞こえてくる。頭が痛くなるような演説だ。預言預言預言、その単語ばかりが聞こえてきて、そろそろ頭が痛い。いい加減モースの演説に飽きたのか、聞きたくもないのか。リンは宮殿に向かって歩き出した。慌ててその後ろを追いかけて隣に並び歩く。やっぱりその眉間には皺が刻まれていた。

「フレイが何を考えているのかは、今も昔も僕には全く理解できないけど」
「俺だってお前が何考えてんのか全然わかんねーよ」

そもそも違う人間だ。分かるはずがない。まぁ、こういう行動に出るんだろうなーとか、そういうのはこの七年でなんとなく分かるようになった。思えば、そうだ、一番付き合いが長いのってこいつじゃねーか。それでもたった七年だから、短い方なんだろうか。

「あんたが碌なことを考えていないことくらい、昔から分かってんだよ」

碌なこと、とは。一体何のことを言っているんだろう。リンの言いたいことが分からなくて思わず足を止める。足音が止んだことに気が付いたのか少しだけ前にいたリンも同じように立ち止まった。もう空からの声は聞こえない。

「…何の話?」

本当に、何の話だか理解できない。碌なことってなんだろう。これから先、そのロクでもないことでも起こるんだろうか。あれ、でもそんなの俺の記憶に一切ない。そもそも、こいつがこれから先のことを知っているはずもなくて、

「分からないなら別にいいよ。分からない方がいいし」
「は?いや、どう考えても俺の話だろ。もうちょっと分かるように説明しろよ」

知らない方がいいことなんてあるはずがない。呆れたようにため息を零したリンに少しだけ苛立って声を荒げて告げるも、リンは呆れた顔をするだけだった。なんだってんだ。

「別に。あんたが、ここにいてくれればそれでいいって話」

呆れた顔をしていたのに、そう告げた瞬間に笑った。どこか泣きそうにも見えたその表情の裏が掴めなくて言葉を失くす。こいつにこんな表情をさせてるのは、誰だ。

「おい…、」
「お二人とも!来ていたのですね」

バタバタと走る音が聞こえてきた。それにリンと同時に振り返る。軍部から宮殿の方へ駈け込もうとしているアスランの姿が見えた。しまった、と思った時には既に遅く。リンはいつも通りの表情に戻っていた。

「たまたまね。それより、何アレ」
「はぁ…私もこの展開自体初めてなもので…。"以前"を知っている者に聞いたところ、どうやらあれはホドのレプリカのようです。今から陛下に報告をしに行くところですが、一緒に来ますか?」
「それは好都合だね」

にやり、とどこか不適な笑みを浮かべるリンに気付いて苦笑する。あの様子じゃさっきのことを聞き出すのは難しそうだ。そしてまた、何やらよからぬことを考えているらしい。

「何する気だよ」
「何って、ピオニー陛下に謁見するんだろ?イオンはダアトに戻っているようだし…。新生ローレライ教団のこともあるからね」

死んだ方がマシだったと思わせてやる。だなんて。とても平和の象徴である導師が吐く台詞じゃない。絶対に。

そしてなんだかやる気満々なリンを伴って、特に手続きを取ることもなくこうしてピオニー陛下との謁見が叶っている。自分で言うのもなんだけど、マルクト帝国これでいいのか?いくらなんでも顔パスで謁見の間に俺を通していいの?

「やっぱりまた出たか」
「はい。"以前"と同じようにホド諸島の一部が疑似超振動により消滅したとの報告もあります。各地でレプリカの姿も目撃されていることから、間違いないかと」

フェレス島廃墟群という拠点を捨てたのも、恐らくエルドラントを拠点に移したからだろう。ラルゴたちから連絡がないところを見ると、フェレス島に行ったあの後すぐにヴァンにでも呼び出されたか。自分で頼んでおいてなんだけど、あいつらも大変だ。

「まぁあれの攻略の仕方は分かっているからよしとして…、貴殿らはどうするつもりかな、ローレライ教団最高指導者、導師イオン」

ピオニー陛下も人が悪い、と本当に思う。口調を正して真っ直ぐに見つめる先にいるのがリンだと分かっているのに、この人はここにいる人物をイオンとして扱う。法衣を着ているわけでも髪型を似せているわけでもない。明らかにリンだと分かる状態で、イオンだと名指しするのだから、本当にタチが悪いし厄介だ。

「おかしなことを。僕が導師イオンに見えると?マルクト皇帝の目は節穴ですか」
「そうだったらよかったんだがな。初めて出会ったときから気付いていたよ、イオン殿。大方フレイに助けられたんだろう。見て見ぬふりをしていたが、今はもう必要ないだろ?」

バチカルで既にリンは自分が被験者イオンだと名乗っている。ザレッホ火山で、あいつらの前でも。今更取り繕う必要もないとピオニー陛下は言っているんだ。どこから情報が洩れるか、やっぱりこえーな。

「僕はもうイオンの名は彼に上げた。そして、導師という役回りも」
「ふむ、なるほど。では前導師としてどうお考えだ?」
「……あんたは意地でも僕からその言葉を聞き出そうとするわけか」

はぁ、とリンは大袈裟にため息を零した。この場で一切の礼はいらないと言われているから不敬にはなったりしないんだけど。こんなところで普段と同じ態度が取れるリンはやっぱりすごいと、単純に思う。

「…ローレライ教団は元大詠師モースを既に破門にしております。それに加えて現在はキムラスカにて裁きを待つ罪人。到底あのような発言を信頼することなどできません」

それに、とリンが小さく呟いた。

「第七譜石を詠みました。預言の先に待ち受けるのは星の最期だ」

ぴりっとした空気が謁見の前に響く。僅かにざわめき立った謁見の前の様子に、そういえば"以前"は惑星預言の内容を告げたりはしなかったんだっけ、と今更ながらに思い出した。そりゃ動揺もするか。

「それは誰が詠んだんだ」
「何をおかしなこと、ピオニー陛下。惑星預言など詠めるのは導師だけでしょう。僕が詠もうと、イオンが詠もうと、同じことですよ」

ようするに、「僕だろうがイオンだろうがシンクだろうが、誰が詠んだにせよテメーら信じられないだなんて今更ほざいたりしねぇだろうな」ということである。僅かにピオニー陛下の顔色が悪いのは同情せざるを得ない。

「ああ、ああ…そうだったな…分かったよ…」

がくり、と少しだけ疲れた顔をして肩を下げた。ふんっと鼻を鳴らして少しだけ満足そうな顔をしたリンに呆れざるを得ない。さすがです、と拍手を送りたいところである。

「陛下、」
「ん?どうした」
「カーティス大佐たちがお戻りになられたようです」

宮殿近くでアルビオールが確認されました、と。そう告げたのは連絡係の兵だ。さすがにこの障気の中でもアルビオールの姿はすぐに確認できたらしい。

「それじゃあ、俺らは一度ダアトに戻りますねー」
「なんだ。会っていかないのか」
「冗談でしょう。会ってどうするの」

詠師会がそろそろ悲鳴を上げそうだから、イオンも戻っていることだし一応。なんて告げたのだが。リンだけは純粋に会いたくないだけだろう。どうせこの後嫌でも顔を合わせることになるんだし、リンのストレスが溜まらないに越したことはない。うん。

「そうか。じゃあ、またダアトでだな」
「は?僕のダアトに来ないでくれます?」
「辛辣だな。今はお前のダアトじゃないだろう」

ピオニー陛下が苦笑する。俺はもう呆れて何も言わないことにした。リンがピオニー陛下が苦手なことも重々分かってる。うん、多分面白がったり可愛がられたりするからだろうけど。構いたがりの陛下が悪いとは、俺も思う。

「アスラン、こいつらを送ってやれ」
「はっ」

ほれ、さっさと帰れ。と手を振られる。どこか困ったように笑っているところを見ると、ジェイドたちと鉢合わせしないように別ルートで港から船を出してくれるようだ。…本当、ケテルブルクの私邸といい陛下には頭が上がらない。

謁見の間の外が少しだけ騒がしくなる。別ルートから謁見の間を出るとリンが疲れたようにため息を零した。もう数分もしないうちにルークたちが陛下に謁見するんだろう。本当、すれ違いだったな。間一髪だ。

「できればダアトまでお送りしたいんですけどね」
「いや自分の仕事しろよアスラン…」

港までしか送れない、とそうアスランが苦笑する。それだけでも十分だし、今のこの状況の中で船を出してくれることが既にありがたい。ルークたちより先にダアトに赴きたいが、あいつらはこの後キムラスカに行ったりあちこち飛び回るんだろう。さすがにアイツらより先に着くとは思うけど。

「……いえ、この後の展開を思うと。どうにも大人しくはしていられないんですよ」
「え?」
「なんでもありません。行きましょう?」

何か、呟いただろうか。ぼそぼそとした単語が耳をよぎったが、アスランが何を呟いていたのか正確に聞き取ることはできなかった。思い切り首を傾げてみるが、誤魔化されたようでアスランはただ笑うだけだった。リンといいアスランといい、こいつら何を考えてるんだ?


|
[戻る]
×