満ちたふたつの手をとって

 武装探偵社とは、軍や警察では手に負えない危険な依頼を専門とする、特殊能力者が集まった集団である。社員の殆どが異能力を有していることから、巷では異能力集団とも呼ばれていた。事務員と調査員に大きく分けられる部署のうち、異能を持つ者は外に出て任務を遂行することを主とするため、ほぼ調査員へと振り分けられる。そしてそれは、約ひと月ほど前に探偵社の新入社員となった中島敦も同様であった。

「あれ…」

 ソファに掛かった外套。鈍色に似たそれは初めて見るもので、今ではすっかり顔見知りとなった探偵社社員の物だろうかと思案する。しかし在る記憶を辿っても、このような色味の外套を着ていた者は居ない。自身と此処を結びつけてくれた太宰も外套を身に纏っているも、彼のあれは白橡。色だけで識別をすれば、彼の物ではないこと容易である。
 とはいえ、誰の物であろうとも、このように椅子に置いては皺がいってしまう。見たところレーヨン素材のようであるし、ハンガーに掛けておくのが最適であろう。敦は抱えていたファイルの山を自身の机に置くと、ソファに掛かるそれに手を触れた。その時にふわりと香る、甘やかな薫り。梔子に似たそれは鼻に付かないさりげないもので、衣服が揺れなければ分からない程度のものだった。
 するとますます、誰のものなのか気になってしまう。このような香りを今まで探偵社内で感じたことがない。擦れ違う社員からも、また然り。客人のものなのか、それともまだ相見えていない社員のものなのか。

「どうしたんだい、敦くん」
「あ、太宰さん」
「おや……?その腕に持っている外套、」

 ふむ、と顎に手を当て思案を匂わせる顔色を見せた太宰は、敦の腕に持たれる外套に、どうやら心当たりがあるようだった。この様子なら聞いてみれば答えを貰えるかもしれない。一縷の希望にも似た思いを感じ取った敦は、あの、と彼に向けて問うよう言葉を発した。けれどもそれより先に落とされる「伊月さん、帰って来たのだね」という言葉と、自然なものであろう眦の緩まりに、喉元まで出かかった言葉は溜飲を飲み込むように奥へと仕舞われていく。
 伊月さん。彼は今そう云った。親しげな風にも聞こえるそれと、「帰ってきた」という言葉に加え、太宰の浮かべる表情から恐らく、その「伊月さん」は此処探偵社の仲間なのだろう。波紋のように、言葉が音に乗って形となった名前が脳内に浮かんでは消える。どんな人なのだろうか。それは純粋に興味という心情だった。

「気になるかい?」
「あっ、えっと…」
「深海伊月。その外套の持ち主である人の名前さ。此処探偵社の古株でね、設立当初からのメンバーなのだよ」
「そんな昔からの……」
「ついひと月ほど前に長期の任務を当てられて長く此処には居なかったのだけれど、それがあるということは、恐らく任務は無事完了して戻って来たことを意味している。いやぁ、嬉しいねぇ」

 しかもあの人はとても優秀な人でね、なのにそれを鼻にかけない上に社長の懐刀!乱歩さんの扱いは社長並みだし、もう困ったことがあったら伊月さんに相談なくらいな存在なのだよ。そう意気揚々と自慢げに話す太宰に、敦からは感嘆の声が都度漏れていく。けれどもある一つのフレーズが再び脳内を過ぎり、それが文字として、そして形として現れたときには、彼の肩は飛び上がるくらいに良い反応を見せた。

「しゃっ社長の懐刀!?」
「そうだよ。社長もそれくらいにあの人の実力を認めているのさ。だからひと月という長い期間の任務を、社長も伊月さんに言い渡させられる」

 とはいえ、三日ほど悩んだ末の結論だったけれどね。あのときは見ていて面白かったよ〜と話す太宰は丁度ひと月ほど前の光景を思い出しているらしい。
 元より此処探偵社の長を務める福沢諭吉という男は、一等に社員を思う心が強い。社員が居てこその探偵社。社を支えているのは結果や名誉ではない。そのような考えを芯から持っている者だ。それ故に一社員をひと月も単独任務に遣わせるというのは、彼の性格から行くと悩んで当然であろうとも、日の浅い敦でも分かり得る話だ。けれどもたった一言、それが彼が首を縦に振り、任務を言い渡すことになった決定打になったらしい。

「……格好良い人ですね」
「ふふん、でしょう?」

 懐刀の刃はまだ錆びていませんよ。たったそれだけだ。しかしその一言が、互いの間に在る信頼さをより強固なものにさせた。そうしてその一言を聞いた後、瞼を落とし、書類にサインを連ねて渡したあの時の福沢は、彼にこう伝えていたのだ。「此処にて待つ」と。それがどれほど背中を押すものだったかは、あのときのあの言葉を受けた深海を思い出せば、容易な話である。
 けれど行ってきますと社を後にする彼の背中を見送る瞳に揺らぎは無くも、ひと月の長さがはじまることは事実。それゆえに一社を束ねるあの背中も、何処か後ろ髪を引かれているように見えたのは、きっと太宰だけではなかったであろう。
 そんな彼が、今日ようやく此処へ戻って来た。その事実はこの外套が雄弁と物語っている。彼が帰還したことが知れ渡るのも時間の問題。となれば、恐らくあの乱歩も今日は社長室には近付くまい。無論、絶対とは言い切れない仮定段階ではあるが。

「国木田くんは出社が馬鹿みたいに早いからもう知ってるかもしれないけど、その外套を見れば他の社員もあの人が帰って来たことを知れるはずさ。だから社長のためにも、見える位置に掛けておこうか」
「はい。…?社長のためにも、ですか?」
「ふふん、そう」

 社長のためにも、ね。



 ◇◆◇



 社に戻ったのは午前を10時間ほど経った頃のこと。陽も高くなり、正午まで残り二時間を切るような頃合いに、深海は探偵社へと辿り着いた。荷物はほとんどなく、あるのは必需品とこの度の収穫といえるUSBメモリーくらい。それを鈍色の外套のポケットに入れ込んだままで、彼は探偵社へと繋がる階段の一段目を登った。この時間帯とあれば、太宰はともかく他の社員は出社していることだろう。特に国木田辺りはデスクの椅子に座って、ひと月前と変わらない姿で真摯に仕事と向き合っているだろう姿が容易に瞼の裏に浮かぶ。
 彼は本当に真面目な社員だ。それ故に融通の利かないところもあるが、彼の社長に対する敬愛は、とても真っ直ぐで微笑ましい。未だあの人から一本も取れないと、過去に一度零したことがあったが、自分ですら取れないのだから落ち込むことはないと、背中を摩ったあの頃が今や懐かしい話だ。

 掛かる「武装探偵社」の文字を目の前に、深海はドアノブに手をかける。そうして傾け開ければ、何も変わらない光景が久方振りに目の前に広がった。音に気づいた中の社員が入り口へと振り返る。すると目があった途端その椅子から腰を上げてこちらへ少し駆けてくるのだから、つい口角が緩むのも仕方がなかった。

「伊月さん!戻られたんですね。お怪我は…」
「ないよ。ありがとう国木田。君は想像通りだね」

 深海の返答に安堵を得たのか、国木田はほっとしたように息を浅く。確かに目立った傷や怪我も見られないし、服装等にも汚れはない。さすがだなと思わせるその様相に、国木田は内心で感服の意を得た。既に社へ入る前に外套は脱いでいたのか、腕にかけているあたりが彼らしい。余所者でもないというのに外の埃を中へ入れないようにするそれは、恐らく自身の師の教えを忠実に守っているが故であろう。
 国木田自身、師匠とも呼んでいる探偵社社長からの教えは未だ消えることなく頭に刻み込まれている。常に礼儀や恩義を蔑ろにしないあの姿勢には真摯さを感じ、見習わなければといつだって思うほどである。そしてそんな師の姿を、目の前の彼だって同じように見て、感じ取っていることだろう。もしかすると、そんなことは言わずと知れたことかもしれないが。
 しかし国木田は合点した。今朝出社した際、9時頃にやって来た社長を見て内心小首を傾げたのだ。可笑しいのではない。ただ、違和感を感じる。だがその理由が分からなかった。けれど今ようやく理解したのだ。なるほどこれが理由だったのかと。同時にあの社長を一喜一憂させられる人物は、恐らく後にも先にも彼だけだろうと思うと、最早敵わないとしか言い様が無かった。

「社長がお待ちです」
「、そう」

 一報をした時には「そうか」の一言で電話を切られたけれど。と、そう話してくすくすと笑う深海には、それは多分照れ隠しだと思いますとは、どんなに口が裂けても言えやしなかった。理由は単純で、社長の体裁を守るためにだ。けれど例えそれを今零したところで、彼の中での社長は変わらないのだろう。彼と社長は、そういう人達だ。
 外套を近くのソファに置いた深海の足は社長室へと向かう。そのときの去り際にふわりと香った梔子が、彼が此処へと帰還した確かな証拠のように感じられた。

 ノックが三回。それを耳にした刹那、文字を紡いでいた筆先が止まる。次に取った時には墨が乾いているかもしれない。そんなことを頭に、福沢は入れと扉の向こうに声を投げた。機械越しとは矢張り違う。昨晩、通信機器から聞いたそれを思い出しながら、静かな音を立てて開かれる扉へと、福沢はその目を向けた。
 たかだかひと月だろう。それを胸に綴ったのは確かだ。けれどたかだかの文字に二重線を引きたくなったのも、また事実。年甲斐もなくそんなことを想う心の声は、誰が否定をしても本心だったのだ。久方振りに見る姿を前にしたあと、特に目立った怪我もない様子に、福沢は心から安堵を感じる。だと言うのに怪我は、と。一言目に聞いてしまうのは、どうしたって性分であった。

「ありません。ご覧の通り、五体満足で帰還しました」
「ならば良し。報告を」
「はい。まずこちらが組織の内部データのUSBメモリです。サーバー上の痕跡は消してきていますので、問題はありません。次にひと月前に仮説を立てていた相手側の目論見ですが、あれで間違っていなかったようです。日時と場所は、こちらに記載しているものでほぼ間違いないかと思います」
「そうか。報告ご苦労。この解析は国木田に任せる。完了後の実行は太宰に一任するが、構わんな」
「それは問題ありませんが、介入しなくても良いんですか?」

 ひと月潜入してきましたし、自分が入った方が作戦立案もより確実性が高まるのでは。その言い分は一理も二理もあった。作戦の成功率を上げるならば、ひと月潜入し調査をし続けた深海が入った方が確率は高くなる。つまり合理的であると言えよう。だが必ずしもそうしなければ成功ができない、わけではなかったのだ。

「気を張っただろう」
「、」
「それが仕事だと言えば然りだ。だが気を緩める必要があることも、また然りだ」

 カタリと音が鳴る。それは椅子が擦れ、動いたが故の音だった。福沢の目線が下がる一方、深海の目線はゆっくりと持ち上がる。身長は凡そ十三センチ差。歳とよく似た差である。少しばかり角張った手の指が伸びてくるのを避けることもなく受け止める。
 人の体温をこうして感じられるのは、偏に今を生きている証。と同時に、この温もりを再びと感じられることへの心の揺れは、たかだかひと月ばかりは決してそうでなかったことの証明でもあった。年甲斐もないなと、深海は苦笑を浮かべる。けれど結局、感情に歳など関係ないのかもしれない。

「よく、怪我もなく帰ってきた」
「…貴方の懐刀ですから。錆び付くにはまだ時期が早過ぎます」

 近づくことによって香る和服と、そして梔子の香りに二人揃って眦が緩む感覚を覚える。少しだけ身を寄せ、その緑青に頬を傾ければ、肩を包む手に僅かに力が込められた。そうしてもう一度、ご苦労だったと優しく降る言葉には、自然と頬が緩んでしまうのだから参ってしまう。捨てることも出来ず、況してや流すこともできない。深海は自身の素直過ぎる心を受け止める他なかった。
 本当にこの人は甘えさせるのが上手くて、凭れさせることに長けている。けれどだからこそ、できる範囲の精一杯を返したいとも思うのだ。

「社長、よければ、」
「伊月」
「、…勤務中です」
「だが次にお前はこう言うだろう。休憩に茶でも飲まないか、と」

 勤務中でも休憩ならば良いだろうと、そう言いたいのだろうか。本当に、そういうところが狡くていけない人だと深海は思う。身長差がある故に少し見上げなければ顔を見ることも、目も合わすこともできない。それゆえに身を離さぬまま、顔だけをゆっくりと彼は持ち上げる。けれどもそれを待っていたかのような呼吸の途切れには、最早享受する以外の選択肢は広がっていなかった。

「……茶菓子はありますか」
「今朝方、栗饅頭を買っておいた」

 昔から好きだろう。と先に続く言葉に、未だ甘さの残る唇の端を深海はゆるりと持ち上げる。そういえば、和菓子を手に取ってもそれを乱歩に譲るばかりで、自分が口にすることはほとんどなかった。言うほども甘味を普段から口にする方ではないため、別に構わないと思っていた分余計であった。けれど今日のものだけは、誰にも譲れそうにない。

「電話では素っ気なかったというのに」
「あれは……長引かせると、疲れた身には堪えると思ったからだ」
「そうですか。……そういうお優しいところも、お慕いしています」
「、……お前には敵わん」
「ふふ」

 お茶を入れてきますと腕の中をすり抜けていく深海の姿を目で追う福沢は、微かに見えた頬の色付きを知ると、数回の目弾きのあと無意識に緩みそうになる口元に手を遣る。そうして治った頃合いにソファに腰掛けると、急須から湯呑みへ茶を注いでいる深海の後ろ姿を彼は眺めるのだった。

「……美味い」
「それは良かった」


 武装探偵社。それは軍や警察では手に負えない危険な依頼を専門とする、特殊能力の異能集団。二つに部類される部署のうち、調査員に配属される社員の全員が異能力を保持しており、そのうちの一人が彼、深海伊月という男であった。年は33歳で、現役調査員の中では最年長である。探偵社の社長を務める福沢諭吉の懐刀であり、社の創立時には既に彼の右腕として立っていたという。
 そんな彼の異能力は『鵺時雨』大気中の水分の体積・圧力・温度の調節を自在にできる異能力である。また異能を用いることで大気中の水の揺れから音や気配を察知することも可能であるが、力の制御が難しいために、普通であれば其処彼処から音を拾ってしまうことから頭痛を引き起こしていた。しかし福沢の異能力のお陰で今は制御が可能になっており、使い過ぎ以外で頭痛を起こすことはほぼ無く、攻守共に社長の懐刀の名に恥じぬ実力を有する男であった。

「そういえば、今日は社内が静かですね。此処に来る前は国木田に会いましたが、他の社員はみな依頼で外ですか?」
「……否。依頼で出ている者も居るが、全員ではない」

 ただ太宰や国木田あたりが気を利かせてくれているのであろうことは、今の状況を知れば福沢も容易く察し付ける。粋な計らいではあるが、要らぬ気の遣いでもないために、有り難く頂戴をしているが、深海からすればいつになく静かな社内を不思議に思っているようだ。頭は太宰並みに冴えるが、分野が違えば驚くほどに鈍くなる。そういうちょっとしたギャップなるものが彼にはあるが、福沢からすれば可愛いものであった。

「…お前が任務に就いた数日後に、新人が入った」
「へぇ。どんな子ですか?」
「芯のある者だ。己の信念を貫き通す。また時に驚くほどの大胆さを見せる。まるで、虎のような社員だ」
「虎……。ふふ、なら是非会ってみたいですね。その虎の子に」
「伊月にもすぐに懐くだろう。虎とはいえ、元来の人格が色濃く出ている。時に欠点となり、また美点ともなり得るものだが、真贋を試した時に感じた。心根からそうでなければ、あれは取れぬ選択肢だ」

 爆弾の上に自分が被さり、死ぬともしれぬ自身の命よりも、周囲の命を取った。並大抵なことではない。故に誰よりも人の生、つまり生きるということを一途に思えると福沢は感じのだ。そこに自身の命の重みを今より深く重んずることが出来れば、人が迷い、否と断ることにすら、生きることを前提に大きく決断をすることができるのではないかとすらも。

「そうですか。それは、また新しい雫が落ちてきましたね。今後のこの社に良い波紋を作ってくれるきっかけにもなりそうです」
「あぁ」

 包みを解き、薄皮と白餡に包まれた甘い栗饅頭。それを半分に割った深海は、さらに半分にすると一口大にし、指先で摘んだそれを口の中へと誘う。上品な白餡の風味は昔から変わらない。初めてこれを食べたときに感じたあの頃の味と、何一つ。
 つい頬が綻ぶ感覚をそのままに、もう一口。その様子を湯呑み片手に見遣る福沢の纏う空気はあまりにも柔らかいものだ。与えた物を美味しそうに食べている、ただそれだけだというのに、人の心は思いの外単純に出来ているらしかった。

「美味いか」
「はい。あ、社長ももしよろしければ」
「伊月」

 そうして名前を呼び、意図が伝わればほのかに血色よくなりゆく様には、年甲斐もなく悪戯心すら浮かんでくる。同時に慕わしさが滲むようにして浸透を重ねてきては、目に見える位置にある、少し落ち着きのない手すらも捕まえてしまう。その時に持ち上がった瞳の揺れ動く様が、見えない心を酷く映し出しているようで、福沢はわずかに眦を優しくさせた。すると今よりも迷い子のように横へ下へと移ろいを見せると、一度だけ下唇を噤み、視線を下にさせたままで彼は取られる手を少しばかり握り返した。

「…諭吉さんも、お一つお食べになりますか?」

 少し意地悪をし過ぎたのかとしれない。そのようなことを心の中で思った時には、染まるそこを隠すかのようにして肩に顔を埋められてしまった。悪かったと口にはしないが髪に触れて少し梳くと、多少の伝わりはあったのだろう。僅かに傾け、そうして見えた瞳からは、呟かれる言葉以上の思いが込められているようだった。

「…意地悪が過ぎると、全部食べてしまいますからね」
「すまん。そう膨れてくれるな」
「膨れていません。…あっ、……もう、」

 深海の手の包みに残った半分の栗饅頭。それを摘み口の中へと含んだのだが、どうやら食べようと思っていたからそのような声が溢れたわけではないらしい。食べるのなら食べかけではなく新しい物を渡すのに、という如何にも彼らしい理由があってのことだった。その証拠に「折角食べるのなら食べかけよりも新しいものを食べて下さい」と言って、テーブルの上に広げられている箱の中の一つ、綺麗に包まれた饅頭を手を伸ばそうとする。確かに、折角ならば丸々一つ食する方が行儀的にも正しいだろう。けれど、美味とは何か。そこに焦点を当てた時、人には人の見え方が存在してくる。

「否、」
「?」
「分けて食べる方が、美味い時もある」

 そしてそれが、一等とも想える心の傾く相手とならば一層に。二度ほどの瞠目の末に、ゆるりと下がる眦は、再び菓子箱へと移るとやはりもう一つ手に取った。そうして包みを解いたあと、中には触れぬようにそっと一つを二つにする。中のひとつを指で摘み、そしてもうひとつを福沢へ。

「でしたらこれで、美味しいものを一つずつです」

 "せっかく"ですから、美味しく頂きましょう。そう言ってぱくりと食べるその姿は、平穏を望みながらも平穏を送るには些か外れた軸で生きる者からすれば、あまりに心安らぐものであることは、今の福沢を知れば誰にでも察するに容易いことなのかもしれない。

 けれども社長室の向こう側から「え!?居るの!?やったー!」「今はまだご辛抱を!乱歩さん!」「ひと月も待ったのに無理!」「おやおや、なんだい。騒がしいねぇ」「みなさん元気ですねぇ」「これは今行くと探偵社では歴代一位に飾れる光景が見れるかもしれないねぇ。ね、敦くん」「うぇ!?」「やめんか包帯無駄遣い男!!邪魔を…って乱歩さんもう暫くご辛抱を!」「31日辛抱した!」などの騒々しい声には、福沢と深海も思わず顔を見合わせては扉の方に目をやってしまう。これはあそこが開かれるのも、時間の問題かもしれない。

「……はぁ」
「ふふ」

 音を立てて開くまで、残り。



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