1

天上のいちばんぼし

自分の撃った弾が当たった瞬間の高揚感。同時にスコープ越しに見えた歪んだ顔が、確かにこの心を大きく揺らした。それは決して背筋を走るような興奮ではない。

戸惑い。焦燥。体の芯から冷えていく感覚。

──どうして…。

スコープから顔を離す。瞬間、あの人の姿はもう見えない。表情も、汲み取ることが出来ない。
消えることのない揺れが次第に波紋を生む。それが身体中に広がる頃には冴え渡らせなければならない集中力も切れたまま、元には戻らなかった。



合同訓練を終え、ブースの外へ出る。先にはC級隊員以外にも模擬戦を行いに来たB級以上のボーダー員の姿も見えた。それをぼんやりと眺め、未だ先程感じた余韻から自身が抜け出せていないことに、荒船は気付きながらもそれを振り払えなかった。



「凄かったな、さっきの」

「…何がだ」

「柴崎さん。お前があの人の肩撃ったんだろ?」


なかなかあの人に傷を付けることは出来ない。それが小さく掠れたものであっても。

穂刈はブースを出てからも歩き出さない荒船に気付いていた。同時にその理由を分かっていてこの質問をした。
荒船が撃った直後の出来事だ。彼が狙いに定めた相手を知りたくて、穂刈はその弾道の先を探った。そして知ったのだ。一瞬でも歪んだ "彼" の顔を。そこから先に思うことは同じだ。

トリオン体なら感じないもの。感じなく出来るもの。それを "彼" は感じていた。
なぜ。どうして。消すことは可能なのに。あっては戦うにあたり不便であり、不利になるだけなのに。穂刈は自身の胸に渦巻く疑問を感じ取ったと同じくして、これは決して自分だけではない筈だという確信を抱いた。
だからこの問いだ。事実荒船の意識は未だあの時の、あの瞬間に留められている。



「…喜べるわけねぇだろうが」

「ま、そりゃそうか。あの人はお前にとって木崎さんを目指す以上に支柱な人だもんな」

「馬鹿にしてんのか、こら」

「してないしてない。事実を言っただけ」


笑う穂刈を側に荒船は彼から目を逸らしブース外、人の集るC級ランク戦広場を見下ろした。
その時だ。今まさに自身の思考を奪っている彼の声が耳の鼓膜を揺らした。荒船は視線をそちらへ向ける。すると何やらその "彼" は自身の隊長からお小言らしきものをもらっているようだった。
周りにいる、主にC級の隊員たちは彼等を遠巻きにしている。分からなくもない。彼等と自分達ではキャリアにしても技量にしても差が大き過ぎる。




「そろそろ付けたらどうだ。あれではお前が…」

「良いの。それに理由は知ってるでしょ。俺がそうしたいからそうしてるの」


烏間隊の隊長、烏間惟臣。そしてその副隊長を務める柴崎志貴。有名人だ。ボーダー設立前からの隊員で、あの忍田とも引けを取らない実力者達。
仲が良いとも有名な彼等だが、今見える限りだとどうにも互いに意見を譲らず軽い悶着が起きているようにも見える。珍しいことこの上ない。だが、穂刈と荒船には烏間が柴崎にそう話している理由が分かる。




「知ってはいるが…俺は付けろとも言った筈だ」

「うん、聞いた」

「だったら付けろ。お前の言い分も分かるが、」


そこで言葉を切って、烏間は歩く柴崎の前に周り彼の目の前で止まる。



「荒船は確かに動揺していた」

「そりゃあ、彼が俺に傷を付けたのは初めてだからじゃない?自信になるでしょ」

「茶化すな」


喧嘩か?そんな声が聞こえ始める。だが当人たちはまるで気にしていない。なんなら烏間からの言葉に柴崎は少し笑って、近くのソファに足を向けるとストンとそこへ腰を下ろしていた。烏間もその後を追い彼の側で立ち止まる。



「俺が痛覚を切っていないのがそんなに怒ること?」

「怒るんじゃない。…痛いだろ」

「……」

「血は出ない。痕も残らない。だから治療も必要ない。…それを知っていても、お前はあの時から痛覚だけは切ろうとしない。実戦では約束通り切っているようだが、模擬戦となると未だに付けたままだ」


もう何度も聞く話なのだろう。柴崎は烏間から視線を離すと、ソファに凭れてただただ聞く体勢だけを取っている。
烏間はそんな彼を見ても咎めることはない。彼も分かっているのだ。自分の言いたいことが柴崎に伝わっていることくらい。だがそれでも互いに譲れない思いがある。だから柴崎は分かったとは言わないし、烏間も容易く身を引かない。




「…忘れたくないんだ」

「…、」

「我儘言ってごめんね。烏間の気持ちも分かってる。…ちゃんと届いてる。でもこれは、俺が忘れないためにしてるんだ」


だから許して。
そんな風に言われては、烏間はもうそれ以上何も言えない。一度息を吸って、深く吐く。瞼を下ろし目を瞑った。そう言わない柴崎の我儘の一つ。彼がこれだけはと譲れないもの。
どこで引き下がり、どこで引き下がらないか。決めるとするならそれは柴崎の忘れたくないという思いに引き下がり、だが無理はするなと付け足すことが烏間にとって今出来る最大の譲歩だった。




「実戦で切り忘れたら否応無く緊急脱出だからな」

「ふふ。うん。そこは従う」


喧嘩、ではない。笑い合う二人を認識した隊員達は仲睦まじいでも知られているその様子にホッとした様子を見せ始める。
なんだ、よかった。喧嘩かなと思った。そんな声は勿論この光景を見ていた荒船、穂刈の耳にも入った。



「行くなら今だぞ」

「何が」

「気になってる癖に。行ってこいよ。丁度、…ほら。柴崎さん烏間さんと別れたし、行くなら今しかないぞ」


穂刈の声に荒船は一歩を出すか出さないかの迷いを見せる。
もしも痛覚を残す理由が触れられたくないものだとしたら。もしも過去に悲しい何かがあって、それで残しているのだとしたら。軽はずみな問いかけであの人を傷付けてしまったら…。
溢れ出てくる確証のない理由が心の中を埋め尽くして行く。

迷いを見せたまま後を追おうとしない荒船を穂刈はちらりと一瞥をする。それから浅く息をついて、彼は前にある手摺に近寄り身を乗り出した。




「柴崎さーーん!」


まさかな行為に荒船は肩をビクつかせ、直ぐにおい!という非難の声を穂刈へ向ける。だがそのような声を掛けたところで先程の穂刈の行動は消せやしない。当然のことながら呼び止められた柴崎は歩みを止めて後ろを振り向く。
その彼の視線の先には荒船に背中を叩かれている穂刈が居て、穂刈ははいはいと往なす様にして応対していた。
このなんとも矢印の合わない光景に周りも一瞬ぽかんとする。



「こいつ、柴崎さんに話しあるらしいです」

「穂刈!」

「…、…ふふ、構わないよ。じゃあここで待ってるから降りて来てもらっても良い?」


柴崎の言葉にほら、と首で促してくる穂刈に荒船は二の句も三の句も告げられない。口を一文字にして彼はそ、と下にいる柴崎に目を向けた。
刹那目が合って、それはもう二年程経つ彼との出会いを思い出させた。

きっかけ。目標。夢。
言い表すならば他にももっと存在する。だがそのどれに当てはめれば自身の胸に宿る思いと嵌まり合うのか。荒船にはまだ分からなかった。
拳を握る。これは緊張だろうか。普段早々捕まえて話すことの出来ない彼との対話。
柄にもなく肺を響かせる振動が煩い。



「今、行きますから、」

「うん」


辿々しい。やはり緊張しているようだ。本当に、全く以って柄でないと荒船は痛感した。
穂刈に礼は言わない。気にはなっていたが、躊躇していたことも事実。だから彼の方を見ることなく荒船は下に繋がる階段へと向かった。



「また俺にも教えてくれよ」

「知りたきゃ自分で聞きに行け」

「機を作ってやったっていうのにうちの隊長はさぁ」


まぁいいや。いってらっしゃい。そういつもの顔付きのまま手を振ってくる穂刈に、ひと匙の謝礼か何か。判別すら難しい拳を一つ。荒船は彼の背中に落としてから再び止めた足を動かした。

下に向かえば座らすずっとそこで待ってくれていたのだろう。壁に凭れて立っている柴崎が居た。彼との距離が小走りをするに連れ短くなる事実に、荒船は足を止めればほんの少しだけ鍔を下ろす。



「すみません、柴崎さん。呼び止めて…」


俺が呼び止めたわけではないけれども。とは言えない上に彼に向かって言うへきでもないと思っている荒船はその気持ちを胸の中だけで留めておく。



「ううん、大丈夫」


壁から背中を離して柴崎は荒船の方へ体を向ける。目は合わない。荒船が帽子の鍔を下げ続けているからだ。しかしだからといってそれをどうこうとは思わない。
理由は察している。柴崎自身、先程の狙撃は予想していなかった。と同時に彼の技量が上がって来たことには素直に喜んだのも事実。初めて会った頃は…と。そこまで思い、彼は過去を耽ることを止めた。今は昔を思い出す時ではない。




「場所を変えようか」

「え、」

「此処じゃゆっくり話せないでしょ?」


読まれているのか。知られているのか。荒船は目弾を軽くするとこくりと首を縦に振った。それを見た柴崎は小さく笑って、じゃあ行こうかと先を歩いていく。
その後ろ姿を眺めて暫く、荒船は床に張り付いていた足を剥がすようにして一歩を踏み出した。














窓が見える。いや、正確には窓の向こうに広がる三門市が見えた。
荒船の手にはひとつの缶コーヒーが持たれている。此処へ来た時柴崎が彼へと渡したのだ。だから彼の手にも同様にして缶コーヒーが持たれている。

荒船は側に立つ柴崎を一瞥する。
問うべきか。問わざるべきか。問うため、問わせるために穂刈は彼の元に荒船をやった。だが未だ荒船は迷っている。
聞くことが正しいのか。本当は何もなかったと言って、手間を取らせたこと、足を止めさせてしまったことを謝るべきではないのかと。そんなことすら思えてしまう。




「痛覚」

「っ」


一単語。それが荒船の心臓を大きく揺らした。



「それが気になったんだよね」

「…すみません」

「ふふ、どうして謝るの?別に話しにくい苦い過去があるわけじゃないから構わないよ」


懸念の原因の一つ。それを軽く、さらりと言われてしまい荒船の頭は上がる。その時、窓の向こうを見ていた柴崎の目と目が合った。
相変わらず、出会った頃から何も変わらない。
柔らかい色。それを灯す彼が戦場で鋭く弾丸を飛ばすなど、十人居ればその九割はすぐに鵜呑みには出来ない話だ。

柴崎の目元が和らぐ。少し視線を下にした彼が見るものは一体なんなのか。同じ空間に居ても知り得ないそれが荒船は少しもどかしかった。




「トリオン体って便利なんだよね」

「、…確かに、そうですね」

「身体能力は普通の倍になるし、ちょっと走ったところで息も乱れない。極端な話、ビルの上から飛び降りたってこの体は下からの衝撃に耐えられる」


だから限界まで戦えて、怪我を負ってもそれは直接の死には繋がらない。
便利なのだ。遠い昔の戦いを思えば、血の流れない今の戦い方は人命を守れる。
仲間は死なない。だから深く悲しむことはない。民間への被害が出て、それに悔しみも憤りも湧いても、見知った顔触れが誰一人欠けていない事実は喜びに繋がる。



「戦い慣れてくるとね、忘れちゃうんだ」

「忘れる?」


何をだろうか。初心…だろうか。傲慢にならず、慢心をせず、常に向上心を忘れない。
けれどこれは戦うにあたり基本中の基本だ。驕れば必ずミスが出る。ミスが出れば直接隊へと影響が出る。
驕りは良いことを何も運ばない。




「生きてるって感覚」

「、」

「うちの隊は近界民遠征も一個隊で向かう。期間はまちまちで、長い時もあれば短い時もある」


だからあれ、もう帰ってきたんだと言われる時もあれば、久しぶりと声を掛けられる時もある。それを聞いてやっと部隊の全員が此処へ帰ってきたことを実感出来た。



「昔短期の遠征に行ったことがあってね。短い癖して長期よりも中身が濃かったのを覚えてる」


怖さはない。不安もなかった。信頼出来る仲間がそばにいて、緊張感の溢れる場でもインカム越しから聞こえてくる騒ぐ二人の声を聞けば近界民の地だろうといつもと大差はなかった。
空を見上げれば日本と変わらない。いや、もっと言えば地球から見える空と何も変わらなかった。太陽があり、月があり、人が居て、その地に住んでいる。

彼等にとっては此処が故郷。帰ることのできるたった一つの場所。
違うことと言えば大型だの小型だのと湧いて出てくる近界民くらい。そこを差し引けば本当に何も、あの青い地球と差はなかった。




「それって、烏間さんが初めて撤退を下した遠征のことですか?」


聞き覚えがある。二週間という期間が予定であった近界民遠征がたった一週間で、しかも精鋭と名だたる烏間隊が急遽帰還したこと。
報告書には国と国との戦争。それに運悪く巻き込まれたことが原因だと書かれていたと聞く。
予定にはない事態。烏間隊の赤井は左腕をやられ、花岡は腹部に損傷。隊長である烏間は利き腕と片足。副隊長である柴崎は腕と肩、そして背中をやられた。

瞬きが一度、ゆっくりとされる。それが肯定を意味することを荒船は察した。



「本当なら即死の傷ばかり。赤井も花岡も、烏間も俺も」

「……」

「生きていることを喜ぶべきだと思うし、あの時の烏間の撤退命令は正しかった」


そうでなければ…。考えるのも嫌な話だ。帰還出来るだけのトリオンを残しておくことは必須条件。つまり烏間の判断と命令がなければ隊自体、四人ともがあの場に取り残され帰還は不可能だったのだ。



「それでもあの時、あんな体でも死なずに生きていられる事実が俺には気味が悪くて仕方なかったんだ」


腕がない。膝から下がない。肩をやられた。腹をやられた。背中を斬り付けられた。互いに肩を貸し合い、助け合いながら遠征艇に乗り込んで一息を吐いた頃。柴崎は慄然とした。
結果は誰も死んでいない。誰もあの場に取り残されることなく地球へ、ボーダーへと帰還が出来た。それなのに背筋の冷たくなる感覚が、自分を人間で無くしてしまう気がした。



「痛みがないことがこんなに人を人で無くしてしまうんだって思ったら、暫く痛覚を切れなくて」

「…それで、今も…」


理由がはっきりとした。先程の模擬戦で彼が痛みに耐える表情を浮かべた理由が。
視線が下を向く。するとくすくすとした場に似合わない穏やかな笑い声が鼓膜を柔く揺らした。



「今は模擬戦の時だけね。実戦では切ってるよ。じゃないとうちの隊長様が煩くて」

「そりゃあ烏間さんにしたら柴崎さんが痛がる顔なんて…」


見たくないだろう。彼からすれば柴崎は大切な、隊員以上の存在。事を知った時には驚いたが、今ではなんとも思わない。寧ろお似合いと思えるのだから批判的意見など塵ほどもない。



「当時こそ痛覚を感じないことに嫌悪感があってずっと付けてたけど、今はそういう理由で付けてるわけじゃないんだよね」

「?じゃあどうして切らないんですか?」


そういう理由でないのなら付けてしまえばいい。そうすれば彼が自隊の隊長からお小言を貰うことも、模擬戦であろうとも痛みを感じずに済むというのに。



「人の痛みが分からなくなるようにはなりたくなかったから」

「─…、」

「みんな傷を負って、やっと誰かの痛みを知ることが出来る。…そして優しくなれる。小さい頃に沢山のことを経験する中で、沢山の怪我をするのは、大人になったら感じられない痛みをその時にちゃんと知るため」


なんでもそうだ。幸せも、苦しさも、悲しみも、嬉しさも、喜びも、痛みも、辛さも。言葉だけでは語れない。
だから人は経験する。人としての感情を理解するために。人間であることを知るために。生きていることを自分に教えてあげるために。




「確かに戦う中で痛覚は不便だよ。当たれば痛いし、切れて血が流れなくても押さえてしまう。その上動きは鈍くなるし、隊の連携にも影響が出てしまう」


それでもそれを、あの日からみんなが心に留めてくれた。自分の攻撃が誰かに当たったその痛みを、撃てた功績だけに留めてしまわず忘れずにいたい。
お前らしいと言われた。その分のフォローをするとも。但し実戦では付けることを条件に。烏間もその時ちゃんと受け入れ承諾したが、それでも柴崎が痛みに耐える姿が心苦しいのだろう。今でも今日のように付けろと、言ってしまう。



「俺の我儘なんだ。だから実戦では精一杯、後方支援を務める。誰よりもあの三人を守ってみせる」


孤月を持って、隊を率いて戦う烏間。銃手として怯むことなく銃口を向ける花岡。サポートとしても、主戦力としても前へ出て行く赤井。柴崎はその三人の後ろで常に彼等の背中を守り続けてきた。あれ以来三人の背中に傷はない。何故ならずっと、柴崎が彼等を後ろから守り続けたからだ。



「……驚きました」

「ん?」


荒船は帽子の鍔に触れ、頭からそれを取る。視界がはっきりとした。こちらを振り返る柴崎の顔が良く見える。



「柴崎さん、思っていた以上に熱い男なんですね」


そして実年齢よりも若々しく見えて、きょとんとした彼の面持ちも、ちゃんと。
思い出す。初めて彼と出会ったあの日の夜のことを。救われたのだ、荒船は。柴崎に命を。

──「怪我はない?もう大丈夫だからね」

あの頃からこうなりたいと思った。
元々アクション映画が好きで、ビルから飛び降りたり誰かを助けたり。そんな夢のような、ブラウン管の向こう側の世界が輝いて見えていた。
手を差し伸べられたあの瞬間に、未来への心は決まった。この人を追ってボーダーへ。彼との、柴崎との出会いが荒船の未来を指し示した。だから彼は此処にいる。ボーダー隊員として、B級荒船隊隊長として。



「っあははは!もう、可笑しいこと言うなぁ。なに、知らなかった?俺は結構熱い男だよ」

「いや、柴崎さんはなんつーか…ふんわりっていうか、熱いというより常に平熱な感じがあって」

「あー…それねぇ…。よく言われる」

「ふはっ、良く言われるんっすか」

「うん。なんか熱い男って言ったら烏間さんだよね、みたいな風潮がある」


俺だって熱い時は熱いのにね。なんて言って笑う彼は手に持つ缶コーヒーを軽く傾けた。



「柴崎さん、俺がボーダーに入った理由知ってますか?」

「ん?…そういえば知らないか…どうして?」


夢がある。それは一つや二つじゃない。先輩ボーダーである木崎のように、いつかは完璧万能手パーフェクトオールラウンダーになること。そのためにどのトリガーでもマスターランクを目指すこと。自分の理論を用いて第三、第四の完璧万能手パーフェクトオールラウンダーを育成して行くこと。



「貴方のようになりたいと思ったからです」


そして今でも自分の中の支柱でもある柴崎のようになりたい。あの日、あの時、あの夜に助けてもらったように、自分も誰かを守れるように、強く。



「柴崎さん」

「…それ本当?」

「嘘じゃないっすよ」

「アクション映画が好きだから、じゃなくて?」

「…それも、一割半くらいはありますけど…大部分は柴崎さんです」

「…ふぅん…」


荒船から目を離し、少し体を窓の方に向けて缶コーヒーを傾ける。こくりと一口飲んだ彼の横顔を荒船はその瞳に映し続けた。するとほんの僅か、缶の縁に唇を付けたままの彼の口角が柔らかくなる。




「そう。じゃあ、あの時荒船を助けて良かった」


じゃないとこうやって会えてなかったかもしれないもんね。そう話す柴崎の顔はちゃんと、荒船の方を向いていた。
柔らかく、温かいと思わせる彼の笑みに荒船は少しばかり瞠目をする。それから少し落ち着かないように視線を彷徨わせては、彼は気を紛らわせるように窓の向こうに広がる三門市を見下ろした。




「…今日は、平和っすね」

「うん、そうだね」


ボーダーが守る三門市。あの大規模な侵攻からもう数年の月日が経った。
家族を喪った者。帰る家を失った者。一人残されてしまった者。共にあの日に天へ旅立ってしまった者。
この市には歴史がある。悲しみと、幸せと、辛さと、喜びと。全てが隣り合わせになって、今もこの地に根付いている。















「お前さ」

「なんだよ」

「なんで痛覚付けてんの」

「あ、それ俺も思いました。なんで荒船さん痛覚付けてるんっすか」


後ろを振り返って話し掛けてくる穂刈と半崎。どうやら二人は先程の模擬戦での荒船を見て、一つの疑問を抱いたらしい。それが、痛覚だ。
歪んだ彼の顔を見て一発に分かった。しかし理由は…穂刈には予想が付くが半崎には予想が付かない。彼からしてみれば先程の荒船を見ると突然どうしてと思うわけである。



「なんだって良いだろ。それに実戦じゃ付ける」

「柴崎さん」


途端荒船の口が噤まれる。それを見た半崎は「あー…」なんていう反応を見せては頭の後ろで手を組んだ。荒船の前には若干ニヤつく隊員が二名。居心地の悪さのメーターはじりじりと上昇中だ。



「憧れっすもんね、荒船さんの」

「憧れの人がしていることは自分も実践してみたいよな」

「ぶっ飛ばすぞお前ら」


若干の青筋を立てる荒船は未だニヤニヤと笑う二人に小さく舌打ちをする。その時下から聞こえてくる声に彼の意識と視線はそちらを向いた。



「上は脱ぐなと言ったろうがっ」

「だってあっついし…、それに誰も気にしないでしょ。寧ろ何が気になるの?」

「お前はもっと周りの目を知って己のことを自覚しろ」

「志貴ちゃんさ、その上着脱いじゃ君の体の線が丸見えなのよ」

「志貴ちゃん言うな」

「襲われたって文句言えないよ志貴ちゃん」

「だから……って、何に?近界民?え、この下のこのインナーって近界民寄せ付けるの…?」

「「「………っはぁぁ、」」」

「やめて、その…顔。なに?」

「烏間、」

「たいちょー…」

「……無理だ。こいつのこれは出会った頃からずっとだ」


そうして再び溜息を吐く三名。置いてけぼりの柴崎。しかし彼は未だ下に着ている黒のインナーに疑問視を向けている。もしそうならこれ着ちゃ駄目じゃない…?と。



「……なんか、よく分かんないけど、」

「分からんのかい」

「着替えてくる」

「なんで!!?」

「良くない作用があるんでしょ?」

「ないないないないない!あーっ、全くないとは言えないけどないに等しい!」

「柴崎」


説得なのか引き止めなのか分からない言葉を発する赤井と花岡の間に立つ烏間が前に居る柴崎の両肩に手を置く。



「脱ぐなとは言わない。だが脱ぐなら隊室でだ」

「なん、」

「なんででもだ」

「……はい」


分かったな。良いな。異論は認めないからな。これは隊長命令だ。
と言わんばかりな烏間の目に柴崎はそれ以上の言葉を告げられず素直にはい、とだけ答えた。そんな彼に良しと言う烏間の、なんというか……一抹の安堵を掴んだ感じが彼の日頃の心労(?)を表しているように見えた。


その光景の一部始終を見ていた荒船隊の隊員たちはというと…。



「…柴崎さん程に人からの好意に鈍くはないか、荒船は」

「その点はまだうちの隊長気付きますからね」

「…実力あるのにあぁやってどっか抜けてるんだよな、あの人」

「それが魅力って?」

「柴崎さんの良さって感じっすか?」

「なんだよお前ら」


そこで一拍。


「分かってんじゃねぇか」

「(烏間さんとは違った意味でぞっこんだな)」

「(そういう意味で言ったんじゃないんですけどねぇ)」


ふん、と機嫌良さげに鼻で笑う荒船は下にいる烏間隊の面々に囲まれている柴崎を見下ろす。その帽子の隙間から見える彼の横顔と言ったら、両サイドに立つ穂刈と半崎に仕方ないなと笑わせるほどに嬉しそうだった。


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