しあわせいかつ


共に暮らして気付いたことがある。
例えば朝。春、夏、秋はそうでもないのに、冬になると潜るようにして外へ出ることを嫌がる。だから先に布団から出て、部屋のエアコンを点けるのが冬の季節、俺が朝一番にすることだ。
それから五分ほどして潜った布団から出てくる彼は、いつもごめんね、ありがとうと笑って話す。そうしてそのあとには必ず、彼は、


「おはよう、烏間」


続けて笑って、そう言うのだ。
時間のある休みの日は身を起こした柴崎の髪に手を伸ばして、雑になどせずに柔く撫でる。すると初めの頃は甚く恥ずかしそうな様子を見せていたというのに、四つの季節の最後を迎える頃には、その中に委ねる姿を見ることが出来るようになった。
仕事の日となると俺も柴崎もテキパキ動き出す。別段互いに朝が極端に弱いわけではないため、思考の覚醒にそう時間を要さない。

そんな今日は平日。つまり仕事のある日だ。



「そろそろマフラーを巻く人が増えて来たね」

「気温が一気に下がったからな。どこを見ても、寒々としている」

「…寒々と、ってところで俺を見ちゃうんだよね」

「寒々そうなんでな」


冬は柴崎にとって天敵だ。
迎え来る風にはいつだって負けている勢いで俺の後ろに隠れてくる。それを別に嫌だとも、止めろだとも思わない俺は彼の好きにさせている。
何より柴崎が自発的に自身の為と壁にするのは俺くらいだ。つまり、若干の優越感がある。



「烏間、首元寒くない?」

「俺は大丈夫だ。…寒いか?」

「んー…まだ平気。でも夜は寒いかなぁって」


最近朝晩冷え込みが凄いでしょ?やだなぁ、冬は。参っちゃうよ。
そう言って手と手を少し擦り合わせて話す柴崎は、俺と共に電車に揺られて笑っている。
何故電車なのかと言われると、いつも使う道で渋滞が発生していたからだ。交通情報から流れてきた内容は、朝からの事故が原因だとか。
そのせいで俺と柴崎は今日に限って電車を使い、満員の中で揺られている。



「狭くない?」

「あぁ、問題ない」


満員電車で良い思い出がないのは柴崎の方だ。だから今日も少し、眉を下げて苦笑を見せていた。
理由は分かっている。俺だって出来ることなら車で仕事場へ向かいたかった。しかし渋滞となればそれも難しく、なんなら遅れる可能性の方が高かった。
柴崎も柴崎で、その点につき我儘は言えないと分かっていたから口には出していない。
だから角が空いた時にはすぐ、彼をそこへ軽く押し遣った。



「、」


するとキョトンとした顔でこちらを見てくる。俺は何も言わない。わざわざ、恩を着せたくてしたわけではないからだ。
だが彼は俺のいろんな想いを汲み取ってか、少し頬を綻ばせてありがとうと。嬉しそうに笑ってくれた。


「紳士さん」

「誰にでもじゃない」

「ふふ、そう」


じゃあ余計に嬉しいなぁ。なんて、話す彼の言葉を聞いてしまえば、至極此処が電車でなければ良いのにと。子ども染みた感情を抱いた。
次の駅に着くと、人がドッと入ってくる。いつも使っていないせいで忘れていたが、この駅は他の駅の倍に人が乗ってくる。
少し背中を押されて、だが柴崎にぶつからない範囲で踏ん張る。
その時にくい、と。柴崎の指が俺の服の裾を引いた。それに気付いてどうしたと、目線だけを彼に向ければもう一度。裾を引かれる。


「ん?」

「大丈夫だよ」


だからもう少しこっちに寄ってと。彼は三度目の裾引きをした。
腕を見て、彼を見て。俺は言葉に甘えるよう一歩だけ寄る。すると後ろがその出来た隙間に入ろうとしたのか、一歩どころか二、三歩も柴崎の方へ寄ってしまった。
反射的に近くの壁に手を突く。このままだと前に居る彼を押し潰してしまいそうだったからだ。


「烏間、これ貸して」

「?」


これとは。彼の指差す先には自身のビジネスバッグがあった。一度前を見ると笑みを向けられる。
自然と、柴崎が何を伝えたいのかが分かってしまうのも癖なのか。それとも分かろうとしたいと思う意識のせいなのか。
容易く答えを得てしまう自分自身に俺は一人、心の中で笑った。


「良いのか?重いぞ」

「大丈夫。ね?」

「…手が痺れたら素直に言うんだぞ」

「ふふ、はーい」


右手に持っていた鞄を柴崎に渡す。受け取った彼は自分の物と合わせてよいしょ、と。小さく言ってから二つのビジネスバッグを腕に抱いた。
一連の動きを見ていた俺と目が合った彼はほら、大丈夫でしょ?と。少し得意げにするものだから目元が緩んでしまうのも仕方がない。


「おかげで立ちやすい」

「俺も烏間のおかげで安心して乗れてるから」


だからお互い様だよ。そう言って笑う彼の表情は本当に、酷くその中身を表すように温かいものだ。
これを、言ってしまえば独占出来ている立場に居られているのだと思うと。30年と生きてきたが自分にも欲深い面があると深く感じる。
本当は無縁だと思っていた。勿論、人並みの欲はあると認知はしていた。しかしただ一人を、こうも自分のテリトリーに、空間に居て欲しいと思うことは柴崎と想いを通じ合えたあの頃からだろうと思う。

口に出しては言わないが、結構俺は独占欲がある、らしい。だが口に出して言わなくても柴崎にはバレているような気がして、正直そう言うほどに包み隠してはいない。
多分態度で現れている。と思う。


「今日ね」

「ん?」


外から聞こえてくる電車が線路を走る音と、人混みの中からの人の声と。その中に混ざるようにして柴崎の声が聞こえた。
目線を上げて彼を見るが、視線は合わなかった。


「一時には午前の仕事終えられそうなんだ」


共に暮らして分かったこと。
柴崎は気の置けない相手や、甘えられるような相手に対して自分の想いや気持ちを伝える時、高い確率で遠回しに話す癖がある。
それを汲み取ることを難しいと思っていたのは…果たしていつだったか。もう遠い話だ。だから俺は慣れているし、察せられる。
だがここ最近、…いや。共に暮らし始めてからは特に、直球よりも縁を回る。
それを煩わしいと思ったことは今までに一度もなく、寧ろ彼のその対象に自分が入っていることを嬉しく思う。


「俺が行こうか」

「、…お腹空かない?」

「待てるさ、それくらい」


それに折角柴崎から誘われて、断る理由がない。
とは、今だけは伏せておいた。一応これでも場は弁える質だ。周りに人も居るわけで、すると柴崎からすると余計に避けて欲しいと思うだろう。
嫌だから、ではなく。恥ずかしいから、という理由で。

だが俺からも一つ、彼には要求したいことがある。



「っ、ん?」

「公の場だからな」

「??」


あんまりそんな、嬉しそうな顔をこんなところで出さないで欲しいと。
軽く身を寄せ彼の顔を隠すことで一応は防いだが、当の本人がこの様子で、この反応だ。
疎さというか、鈍さというか。この点は全く出会ったあの頃から変わらないので多分、この先も変わらない気がしてならない。

だがまぁ、そういうところも柴崎だからな、と。聞けば魔法のような文句で閉じると平和なものになる。
要はマイナスに考えるかプラスに考えるかの違いであり、俺は多くプラスで捉える。
理由はその方が色々と考えずに済むからだ。


下車をして、鞄を受け取ると間を吹く風に早速柴崎は肩を窄める。見るからに寒そうだ。
今日の気温10度。寒いか寒くないかと言われると、寒い部類には入るのだろう。そして柴崎からすると、寒過ぎる部類に入るのだと思う。


「さっきまで温かったのに一気に手が冷たくなった…」


悲しい。そう言わんばかりに手を摩るが、恐らく言うほど温かくはならないし、期待は見込めないだろう。
それでもするのは反射的なものだと俺は思う。俺自身そこまで寒さに弱いわけではないため、手を摩る行為は然程しない。
だから毎年、冬の柴崎を見るとどうにかしてやれないものかと俺も俺で課題が生まれる。
だが毎年良い方法が浮かばないままに三月四月と、新しい年まで迎えている。それゆえかいっそ彼には宙に浮くような暖房機があれば救われるのではないだろうかというのが俺の考えだ。



「お前には此処からの10分がされど10分だな」

「本当そうだよ〜…っ。いっそ地下通路とかあれば良いのに…」

「そうなると地上とのギャップで上がると余計に寒いんじゃないのか?」

「…そうかな……そうかもしれない…」


じゃあどの道寒いんだ、と。摩っていた手をポケットに入れた彼は諦めるようにして残り7,8分に身を投じるようだった。
















午後を迎えてそろそろ一時間が経つ。
パソコンをスリープ状態にしてから席を立つと、俺は朝言った通りに監察本部へ向かう。情報部から監察本部というのは遠いか遠くないかと言われると、微妙な距離だ。
俺からすればさして遠くはない。十分に行ける距離であるし、通路やエレベータを使って歩けば7分から8分で辿り着ける。

監察本部の部署が見えてきた頃合いに、扉から出てくる一人の姿を認めた。それは扉を閉めてこちらを向くと、少し瞠目をした後小さく笑みを浮かべて足を向けに来てくれた。



「お待たせ。ごめんね、お腹空いたでしょ?」

「大丈夫だ。仕事は落ち着いたのか?」

「うん。だからゆっくり出来るよ」

「そうか。なら休憩は一時間取れそうだな」

「ふふ。うん」


自然と隣に立って、自然と共に歩き出す。
これは今に始まったことじゃない。思い返せば学生の頃から。こうして柴崎とは隣り合って良く歩いたものだ。
意識はしていないが、ゆっくりと歩くようになったのも彼と一緒にいるようなってから。
それまでは凄くと副詞が付くほどに速い、とまではいかなかったが、しかし今より断然に歩く速度は速かったと思う。


「村瀬がね、春風と一緒に資料作り頑張ってるんだけど、偶に俺の方を向いてヘルプしてくるの。ふふ、可笑しいでしょ?すぐ傍に春風が居るのに」

「教育するとなると、あいつは熱が入りやすいからな。大方その役割をお前から貰えたと思って張り切っているんだろう」


どうにも柴崎と歩くときは一人で歩くときよりもゆっくり、ゆったりとなる。それはこの、二人で歩くという時間を長く取りたいからなのか。それとも速く歩くことを惜しいと思っているのか。
どちらにしても保ちたい気持ちは共通だ。
だからよく思う。早く情報部へ異動して来たら良いのにと。
去年のような仕事を受け持つことは正直避けたい話だが、一年という期間。共に臨時という形で仕事が出来たことには感謝している。
あの時のやり易さといえば…他で代用は難しい。



「多分ね、思いが前へ前へ出ちゃうのかな。時々そこは注意するんだけどね。でもやっぱり熱くなっちゃって、凄くギアが入るんだ。そうなったら俺もお手上げだよ」

「ぱっと見は真面目で落ち着いているのにな」

「あの子、中身が熱い子だから」

「外見に寄らない、ってやつか」

「うん。本当それによく当てはまるよ」


けれどそこが可愛いのだと。彼はいつだって自身の部下、また元生徒たちを未だ可愛がっている。
飲み会等では柴崎自身、酒に弱いということもあり嗜む程度で終えている分酔い潰れの介抱を偶にする役割に立つ。
そんな時、弱いと分かっていて飲んでしまうのが春風だ。弱いが酒は好きらしい。本人談だ。加えて更に彼は質が悪く、酔うとキス魔になる。
しかしそこについては以前柴崎から「烏間も家で飲んで酔ったらそんな感じだよ」と言われたので、どうやら俺は人のことを言えないらしい。



「今日は鰤だって」

「冬の魚だな」

「ね。今度家でもしようかな」

「俺が作るのか?」

「俺が作るの。頑張って」


まぁ酒云々の話は置いておいても、今日の昼は鰤らしい。柴崎は肉気を好んで選ばないため、いつもこのB定食だ。もしくはうどん。
寒くなったこの頃は良くB定食かうどんかで迷っている。
今日は温かいものにしようかな、とか。でも魚美味しそうだなぁ、だとか。俺はいつもなんでも良いかという質なので、さしてどれにしようかと迷うことはない。



「烏間は?」

「Bで良い」

「じゃあB定食ときつねうどん下さい」


彼の発した言葉に一度目弾きをする。今、確か鰤の話をしていたと思う。しかし彼が選んだ昼はうどんの方だった。



「寒いからか?」

「あはは…うん。なんかね、鰤も捨て難かったけど、寒いからうどんがいいなぁって」


最後まで悩んだんだけどね。そう言って職員専用の名刺ホルダーの裏側にあるバーコードを会計場で柴崎は提示していた。
暫くもしない内に湯気の立つ二つの盆が出てくると、二人してそれを手に取り適当な席へ向かう。時間的なこともあってかピーク程に人はいない。疎らに散っていた。
これだけ人がいないならと四人掛けに腰を落とし、日本人らしく手を合わせた後今日の昼に手を付ける。


「、」


先に小皿を取っていたのは、醤油を使いたいだからだとかそういう理由じゃない。
だが座ってこの行為を起こすまで目の前の彼に気付かれなかった点は、褒めて良いと思えた。
柴崎は解され小皿に置かれた鰤の身に目をパチパチしている。それをトレーに置かれるとさらに、パチパチとさせた。
その様は酷く俺からすれば可愛らしく、少しだけ口元に笑みが浮かぶ。


「…くれるの?」

「あぁ。迷っていたんだろう?」

「うん…、…うどん少し食べる?」

「、じゃあ、少しだけな」


蓮華をこちらへ向けてくれるそれを受け取り、二、三本ほど貰う。
なるほど、うどんも悪くないかもしれない。質素な感じはするが、この淡白さ加減が良さなんだろう。


「烏間は蕎麦派だよね」

「どちらかと言えばな。お前はうどん派か」

「ふふ、うん。でも蕎麦も好きだよ」


あ、そういえば蕎麦と言えばもうすぐ年末だね。と。言われてみれば確かにそうだ。
早いもので今年も今月で終わる。師走と名付けただけあってこの月は毎年、まるで走り抜けるように過ぎ去っていく。
思い返せば今年の年明けから、そして間の春から…色々とあった。これほど立て続けに大きなことが起きることはまぁ滅多にお目にはかかれないだろう。
思い出深い年。記憶に残る年。悪い意味はあまりない。良い意味でと、捉える方が正しい。


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