途方もない愛を知る


事は唐突にして訪れるものである。


「…なんて?」

「…父が会いたいそうだ」


そして人という生き物はそういう唐突さにすぐさま切り替えられるタイプと、切り替えられないタイプと、切り替えられるけれど時と場合によるタイプとが存在する。恐らくまだ他にもあるだろうが大雑把に分けるとこんなところだ。

持っているモップを手にしたままで柴崎は近くに立っている烏間を凝視する。
お前に会いたいと言っている人がいるからが確か事の始まりだった。そこからへぇ?誰?俺も知ってる人?なんて。呑気に答えられたのはほんの数秒、数十秒前までの話。先程の烏間が発した「父が」に柴崎の行動も思考も全てが停止した。



「烏間の、お父さん」

「そうだ」

「どういった経緯で、そういう話に…」

「母から話を聞いて、前から気にはなっていたらしい。だが去年一年間は忙しかったこともあって、俺にこのことを伝えるのも気が引けたと言っていた」



という事はもっと前から、烏間の父は柴崎に会ってみたかったというわけだ。これはなんて光栄な話なんだろうと。思えたならば幸せであり現状において最もプラスな思考であったと言える。
しかし今の柴崎は烏間からそんな話を貰い、掃除とかしてる場合じゃないと集めたゴミだけ始末して手を洗い戻ってくると彼は再び烏間の前へと戻って来た。



「お父さん何が好き?」

「あの人の嗜好は知らないな…なんでも食べるんじゃないか?」

「うわぁ…一番難しいよそれ…。和菓子は?洋菓子の方が好み?」

「どちらかというと和菓子じゃないか?洋菓子を食べているようには…見えにくいな」

「そっか…だったら和菓子かなぁ…。コーヒーとかは?飲まれる?」

「コーヒーは昔から飲んでいた」


尋ねては烏間から帰ってくる答えをメモに取る柴崎。そんな彼の様子を烏間は甚く不思議そうに見遣り、何をしているんだ?と問うた。



「手ぶらでご挨拶なんて出来ないでしょ。何か持っていかないと」

「あぁ、良いぞ、別に。手ぶらで」

「良くないの。烏間のお母さんとは会ったことあるけど、お父さんとは会ったことないし、ちゃんとしないと」


和菓子で日持ちしそうなものって何があるかな…。コーヒーは良く買うあそこので良いよね。美味しいし。

柴崎は早速携帯を取り出し日持ちのしそうな和菓子を探し出す。どうやらなるべく甘さの控えめなものを選ぼうとしているのか、画面をスクロールしながら映る品を順に眺めていた。そんな彼を瞳に映して、烏間は事を告げる前にもう一つ。考えていた事を更に頭の中で振り返る。
数秒置いて、纏まったように一度だけ首肯を。それから丁度良いものを見付けられたらしい柴崎に烏間は声を掛けた。うん?と。振り返った彼は今日も変わらずその瞳に烏間を映し出す。



「良い機会だから、両親にお前とのことを話す」

「………………」



事は唐突にして訪れるものである。
しかしそんなにも頻繁に、変化球のように投げられては実際対処に困るというもの。主に心の処理が追い付かない。頭の処理も同様に。

柴崎は止まっていた頭を動かし、自分の中で整理を始める。まずは何からここまでに至ったかという経緯から辿ろう。

会いたがっている人がいると告げられた。
それが烏間の実父であった。ここまでは良い。
次にじゃあ会うなら会うで今のうちに手土産などを用意しておかなくてはと検索をした。ものは和菓子とコーヒー。コーヒーに関してはオススメの店のものにするので、和菓子だけに焦点を当てた。
そうして良いものが見つかった時に名前を呼ばれ、あぁそうだ。そこで先ほどのアレをサラッと言われてしまったんだ。



「…一つ聞いてみてもいい?」

「?構わない」


深呼吸をする。まずは気持ちを落ち着かせよう。
烏間とは長い付き合いで、互いに心も通わせ合い、分かりあっている点も比較的多い方だと思っている。柴崎的には。だが時に烏間惟臣という男は唐突に、本当に突然に被弾行為をしてくることが稀にある。



「俺との関係をご両親に告げることを此処から五分で着くスーパーでネギ買ってくるのと同じ感覚で言って…」

「るわけないだろ。スーパーのネギと柴崎と。とてもじゃないが同じ土俵には置けない」

「ごめん、そんな食い気味で来るとは思わなかった」


例えが悪かったよね、申し訳ない。謝罪をして一歩後ろへ柴崎は下がる。だがしかしものすごくさらりと言われたものだから誤解をした。あれ、そんなに軽く話せるようなことだったっけ…?と。
実際そんなに軽くは…話せるか話せないかはその人自身の判断なのかもしれない。段々柴崎の考えが迷走して来る。
烏間の流れに乗せられているのか、答えに正しいも間違いもないと知らされたのか。彼は今絶賛脳内迷路内で迷子中である。



「俺はいずれ、お前とのことは二人に話そうと思っていた。別に恥ずかしいことでも、隠さなければならないことでもない。俺が柴崎を愛していることに変わりはないし、お前もそうだと信じている。それに例え反対されても素直に頷いてお前と別れる気もない」

「烏間…」

「だから今日の夕方には行くから用意はしておけ」

「なんでそういうこと今言うかな!?もっと早く言ってよ!」

「話が付いたのが昨日の夜だったんだ」

「じゃあせめて寝る前にとかさっ。そしたら朝から買いに行けたしっ」

「、…過去のことはどうしようもならない。今から最善を尽くすしかない」

「じゃあ最善を尽くす為に此処でこの和菓子買って来てくれる?ちゃんと包装して来てもらってね。要らないとか言って裸で持って帰って来ないでよ」

「…四つ入りでいいんじゃないか?」

「気持ち。送る気持ち。そんな四つじゃ駄目」


いや四つでいい。駄目、せめて六つ入り買って来て。大丈夫だ、あそこは二人しかいない。二人しかいないからって四つ入りじゃお粗末でしょ。良いから六つ入りを買って来て。

互いの引かない攻防が始まる。片や六つ。片や四つ。値段に若干の差はあるもそこは値段ではなく気持ちであり心であると話す片方と、二人しかいないのだから多くを買っても勿体無いだけだと話す片方と。




「…お願い烏間。六つ入りが良い」

「……、………………、……はぁ、なんで俺はお前に弱いんだろうな」


これでは拉致があかない上に時間が経つばかりだと腹を括ったのか、先程の「愛していることに変わりはない」発言を申し訳ないが利用させてもらいその愛で。柴崎は烏間の手を取り握っては、まるで乞うような眼差しと声でお願いをした。

すると一瞬固まり、視線を若干上へ逸らし、右へ逸らし、首も少し横へ向け、自分の中の二つの気持ちがバチバチと鬩ぎ合う中。結局烏間は柴崎からの願い(しかも乞うような瞳と声)に負けて白旗を上げた。

にこりと笑う柴崎と、はぁ…とため息をつく烏間と。浮かぶ表情の二極化が此処で生まれる。



「財布渡すから、此処から出して。レシートは貰ってきてね」

「(六つ入りがなかったと言って四つ入りを買えば…)」

「駄目」

「待て。何も言っていない」

「ううん。言わなくても分かる。今六つ入りをなかったことにして四つ入りを買えば良いんじゃないか、とか思ったでしょ」

「…いや?」

「烏間の考えていることは、お見通しです」


よく見えるね。そんなことを言って親指と人差し指で作った輪から烏間を覗く柴崎。その顔は観念しなさいと言わんばかりに笑っている。


「馬鹿なこと考えてないでパッと行ってパッと買ってササッと戻って来てね。その間に家のことは終わらせておくから」


はいはい、行ってらっしゃい。気を付けてね。と半ば烏間の背中を押すようにして玄関から外へ出し鍵をかける。そうして扉に背を預け、見えるものは部屋の廊下だ。




「…風呂の掃除をしながら、挨拶の言葉を考えよう」


よし。拳を握って向かうべき方向はお風呂場。残る掃除はそこと先程半分だけで終えてしまった廊下の掃除と寝室の掃除である。
近くに置いてある時計を見る。烏間が行って買って帰ってくるまでの予想時間は凡そ30分強。出来る。30分あれば出来る。よし。二度目の意気込みを自分にすると、柴崎は早速と濡らしたスポンジを手に取った。















どれくらい振りになるだろうか。相変わらず綺麗で、並び立つ他の一戸建てと変わらないというのに何処か和の匂いを醸し出す家だ。花があるからだろうか。それとも細やかに存在する小さな庭のせいだろうか。落ち着きを感じて、実に心地の良い場所だ。



「まぁまぁいらっしゃい!待っていたのよっ。どうぞ上がって?」


と、まぁそんなことをしみじみと感じていたいものだけれど、着けばチャイムの音に直ぐに気付いたのか玄関を開けてくれる烏間の母、夕紀子が姿を現した。
記憶の中にある通り、今日も今日とてとても良い笑顔である。なんだか花が舞っているようにも、見えなくもない。

柴崎は烏間に連れられ、お邪魔しますと家の中へ足を踏み入れる。するとふわ…と。隣の彼からも時折香る香りに良く似たものが撫でるように鼻をくすぐった。
上がるのはこれで何回目だっただろうか。そんなことを考えていると向こう側から一人の影が見えた。




「いらっしゃい。良く来た」


貫禄があり、けれど落ち着いた雰囲気を持つ男性。あぁ、この人が。そう思うに時間はかからず、柴崎は佇まいを正すとその男性に向けて軽く頭を下げた。



「初めまして、柴崎です。本日はお招き頂きありがとうございます。ご挨拶の方も遅れてしまい申し訳ありません。お会い出来て光栄です」

「惟臣の父、忠正だ。こちらこそ良く来てくれた。君とは以前から話してみたいと思っていたんだ。今日はゆっくりして行きなさい」


さ、上がって。玄関ではなんだろう。そう言って促してくれる言葉に頷いた矢先、柴崎の隣に立っていた烏間が徐に自身の両親を呼んだ。



「父さん、母さん」

「(烏間が父さんって言ってるの初めて聞いた…)」


実に失礼な感想だ。だが烏間から「母さん」とは聞いたことはあっても「父さん」とは聞いたことがなかった。言っても「あの人」だとか、「父」とか。はっきりした形で言い表してはいなかった。だから少し驚き、だが普通はそう言うかと納得したりと思いが二分化する。

しかしだ。隣を見ればなにやら真剣な顔の烏間がいる。柴崎の第六感は告げた。これは何やら斜め上を行くような出来事が今まさに起きようとしているのではないか、と。
嫌な予感と捉えても良い。嫌な前触れと言っても良い。だから柴崎は烏間の名前を呼ぼうとしたのだが、その前に彼は大きな爆弾を、やはり被弾攻撃を素面にしてやってのけた。



「帰って来て早々で悪いが、柴崎とは付き合っている」



沈黙が起きる。もうそれが重いのか重くないのかすらも分からない。柴崎は瞬きを数回し、二言目も何も出て来ず開いた口が塞がらないどころか口も開かない。ただひたすらに隣に立つ烏間を見ては「……今なんて?」と実に物語る目で彼を凝視していた。

思考回路が遮断されつつある。しかし遮断はイコール現実逃避だ。それはいけない。それは駄目。なんとか、理由を繕うのではなく…いや理由を繕うのか?いやいや場を繕う、そう。空気の循環を良くしなければ。
このなんとも言えず静寂な、二言目を発するに非常に勇気がいるような状況だが、それでも同居人兼恋人の尻拭いは同じく同居人兼恋人の自分がしなければならない。柴崎は謎な使命感を胸に刻むと任されてもいないそれを成すすべくあの、と。口を開こうとした。



「…大変だわ」


だが静寂の中に落ちる一つの声に空気は動き出す。と同時に柴崎は心の中でそうですよね、と。言うだけ言って口には出さなかった。否、出せなかった。
顔を向けることに抵抗を感じる。今日話をすることは分かっていたが、こんな出会い頭のしかも玄関先で大告白をされるとは彼だって思いもよらぬ出来事だった。
本当に被弾行為過ぎる。柴崎は早くも頭を抱えたくなった。



「忠正さん、小豆あったかしら」

「あった。この間の整理の時見付けた。もち米はあったか?」

「もち米はあるわ。この間かやくご飯を作ったもの」


可笑しい可笑しい。なんだろうこの会話。すごく自然過ぎる。柴崎は目の前で行われる会話の応酬(顔は向き合って行われていない)を聞いては脳天にはてなマークを三つも四つも飛ばした。

なんだろう、付いていけない、烏間家。

不覚にも一句が出来てしまった。


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