その不器用まで愛せるよ


なんでもない顔をして、関心がなければ目も閉じてしまう。そんな一面を烏間は持つが、存外彼というのは一つの存在が関わるとそれも容易く反転する。

特別口煩くなるわけでも、小言が多くなるわけでもない。ただ、そう。一言で言えば過保護が過剰になる。それが本人の意識の中にあるのかないのかは不明だが、向けられる側の一人、柴崎からすれば「大丈夫だって。心配し過ぎだから」と肩をポンと叩きたくなる。実際叩いたことも数回ある。


今回のこの物件選びも、烏間はギリギリまで渋りを見せていた。理由は柴崎に対する案内人の態度。別にあちら側の対応が悪いだとか、そういうものではない。ただ単に、烏間の抱いた可愛い嫉妬心のせいだ。そのために「ねぇ、あそこにしようよ」と言ってくる柴崎の言葉にも中々首を縦に振れなかった。すると段々柴崎も渋る烏間に疑問を抱いたのか。問い質し理由を聞けば柴崎からは「…はい?」という気の抜けた声が漏れる。そしてはぁ…と浅くため息を吐けば、彼はバンッと机を叩いて立ち上がった。



「烏間」

「……なんだ」


見下ろしてくる柴崎に少しばかり烏間も身を固くする。顔を見るが、別に怒ってはいないようだ。目を見るも、そこにも飽きれた色は見えない。では一体なにを言われるのか。烏間は少々身構えるようにして彼からの続きを待った。すると静かな声で、彼はこう告げられた。



「家に罪はない」



今思えば鶴の一声。気持ち良いくらいの一刀両断。そして頷かざるを得ない説得力。そう言っても過言ではなかったと、後に烏間は語る。


さてそんな紆余曲折(?)を経て、無事新居の契約を二人は終えた。残るは諸々の引越しのみ。これがまた大変だなぁという印象を受けたのだが、ところがどっこい。なんと宮野が言葉通り手伝いを買って出てくれ、お陰様で予想以上の速さでその作業を終えられたのだ。



「本当にありがとうございました」

「良いんだよ。お前らの力になれて俺も嬉しい」

「また落ち着けばお伝えするので、その時は是非遊びに来て下さいね」

「お、良いのか?じゃあその時は手土産持って伺わせてくれ」


玄関先で少しの会話をし、笑う宮野はじゃあまたなと手を振って此処の新居を後にする。それを烏間と柴崎は見送って、宮野の姿が見えなくなったところで二人は部屋の中へと上がっていった。

フローリングの上に点々と置かれる段ボールの数。けれど烏間と柴崎、二人分にしては些か少ないようにも思える。というのも元々一人暮らしをしていた頃から、彼等は言うほどに私物を多く買い込んでいなかった。そのこともあってかこうして越してきても荷物自体が少なく、見た感じでは二、三時間もすれば終えてしまうであろう量であった。




「あ、そうだ」

「ん?」


各々が自分の物を取り出してはこれは此処でいいか?これはあっちで良いか?と話し合いながら整理整頓をしていく。そうしながらふと、柴崎はあることを思い出した。一度彼はその手を止めると、自分と同じように荷物を片付けている烏間を振り返る。



「ベッドってまだ来ないよね?だから今日は一旦お互い実家に帰って…」

「? 何を言ってるんだ?」

「へ、?」


烏間は段ボールから取り出した本を片手に柴崎を見遣る。目に映る先に居る彼はきょとんとした面持ちを見せており、それはとても不思議そうなものだ。




「今日来るぞ」

「…え?」


今、なんて?そう問い返すよう柴崎はもう一度烏間の言葉を聞き返す。それにはだから、と烏間も前置きをし、ちゃんと柴崎の方へ向き直るとその目を真っ直ぐ見つめた。



「ベッドは、今日来る」


…ちく、ちく、ちく。先程置いたところの時計から秒針の音が聞こえて来る。3秒、いや5秒程経った頃だろうか。繊細なその音はある声に呆気なくも掻き消された。



「えええっ!?」


柴崎は持っていたファイルを無造作に置くとフローリングに片膝を突く烏間の側へ走る。そうして同じように床へ膝を突くと、彼は烏間の胸ぐらを掴む勢いでその衣服を握り、彼へ詰め寄った。それには流石の烏間も驚いているのか、若干身が後ろへ引いている。



「嘘っ!そんなの知らないよ!?」

「……この間配達日についての連絡が来たものだから、どうせならと思って引越しの日時に合わせてもらったんだ。…言ってなかったか?」

「言ってない!聞いてないよ!」

「…悪い。てっきりお前には伝えていたものだとばかり思っていた」


すまない。ともう一度烏間から謝られるも、残念なことにその声は柴崎の耳に届いていない。烏間の服から手を離した柴崎はペタリとフローリングの上に座り込むと、回らない頭を無理矢理動かそうと懸命に努めていた。

どうしよう。そればかりが彼の脳内を埋め尽くす。その思いの根源はただ一つ、なんとベッドが本日届くということだ。それは即ち今日というこの日を境に二人の同棲生活がレッツスタートするということ。

越して来たばかりのこの部屋で、じゃあ一日クッション置こうか、なんてこともなく。同棲にあたり諸々に対する心の準備をする間もないままに。クラウチングスタートの体勢すらも取れないままに。始まってしまうのだ。烏間と柴崎の、二人だけの生活が。




「(ど、どうしよう……っ)」


これは由々しい。由々し過ぎる。こんな話は聞いていなかった。てっきり今日はお互い実家でお世話になり、早くても明日…遅くても明後日。その辺りにベッドが届いてさぁ始まりました!となるとばかり思っていた。だが現実はそうじゃない。柴崎の予想、考えを遥か右斜め上を描いて動き出している。

ぶっちゃけこの整理が終わった後、柴崎は実家に連絡をして「今日寝泊まりだけお世話になっていい?」と香織に告げるところであった。しかしそれも今烏間の発言によって無に返された。最早掛ける理由もない。寧ろ逆に掛ければ烏間に可笑しく思われる。



「(…落ち着こう。焦ったって仕方ない。今日ベッドが届くっていう事実だけは変わらないんだから)」


そうだ、まずは冷静にならなければ。柴崎はすぅ…と息を大きく吸って、それを深く吐き出す。が、此処で第二の問題発生。いや、第二の心落ち着かない案件が発掘された。柴崎はもう頭を抱える。心の声は切実にムリ…というものだ。

そんな急に展開変わられたって追い付かないし、一緒に住む人がまず誰だと思ってるの。烏間だよ?烏間といえば俺にとってどんな人だか知ってる?一番好きな人だよ。そんな人と、今日から、なんの告知もされていないというのに突然風呂+ダブルベッドという高過ぎる壁がこの身に押し寄せて来ている。無理。そんなの無理。耐えられない。え、情事の時は一緒に寝ているじゃないかって?もう全然違う。あれはあれはで、これはこれなんだよ。

柴崎は誰へと向けられていない心の声を、その名の通り心の中だけで呟くと冷たいフローリングに倒れ込んだ。そして今度はちゃんと声に出して、彼は「……むり…」と力なく零した。烏間はそんな彼を見下ろして、近くに手を突くと柴崎の顔を覗き込む。



「柴崎?大丈夫か?」


掛けられる声にそっと彼は烏間を見上げる。心配そうな眼差し。柔らかい声かけ。振ってくる手の、髪への優しい撫で方。そんな諸々を受け取って、柴崎はうう…っと手で顔を隠した。

駄目だ、もうどうしたって馬鹿なフィルターが掛かる。剥がそうとしたって剥がれず、何をしてもされても烏間が格好良く見えて仕方ない。好きとは怖い。怖いのに嫌いになれないので余計に怖い。柴崎は軽く顔を俯せ、髪を撫でる烏間の手のぬくもりを感じながら、籠った声を口に出す。



「……言わなかった罰として卵焼き作って」

「、…っくく、分かった。今日の夜にな」

「…中身は、」

「だし巻きだろ。好きだからな、お前は」


ちゃんと作るから、今回の言い忘れは許してくれ。そう伝えてくるように頬を指の腹でなぞられるものだから、もう許す許さないの話ではなかった。許さざるを得ない。惚れた者負けってこういうことを言うんだと、柴崎は今改めて深く痛感させられていた。















朝が来るなら昼も来る。その流れで当たり前だが夜も来る。というわけで、現在の時刻は午後8時。夜です。



「(…本当に来たし…)」


柴崎は寝室に置かれている新品ベッドを見下ろしながらそんなことを心の中で思う。実は送られて来ると言われても何故か夕方になっても配達の人はやって来なかった。だからもう今日は来ないのではないか?と若干、若干柴崎は高を括っていた。けれどやはり約束事というものは破られない。丁度午後6時頃であっただろうか。ピーンポーンとチャイムが鳴って、インターフォン越しに返事をすれば「お届け物です」とのこと。それを聞いた瞬間、あぁ…来ちゃったんだ…、と。柴崎は高括りの思いをしゅんと低くさせられた。

それに結構ですとも、後日にしてくださいとも言えるわけがなく。彼は「…今開けますね」と言葉を返してエントランスの鍵を部屋に添え付けられているボタン一つで解除した。

そこからは早かった。あれよあれよと言う間に組み立てられていき、仕上げだと言わんばかりにマットレスをポンと置かれると見事ダブルベッドの完成。そうして「ありがとうございました!」と帰って行く業者2名を「ご苦労様でした」と見送ったのが…大体7時を少し過ぎた辺りであった。




「(…烏間は、なんともないのかな…)」


もしかして緊張しているのは自分だけ?どうしようと落ち着かないのはこの心だけなのだろうか。柴崎はベッドの縁に腰を下ろす。そして先程敷いたばかりのシーツをそ、と手のひらで撫でた。これを敷いているときだって、心臓は馬鹿みたいに煩かった。やっぱり今日から此処で一緒に寝るんだと思うと、全然落ち着けなかった。

時折烏間をちらりと見ても、彼の様子は変わらない。いつも通りで、一つの変哲も感じられない。先程なんて普通の顔をして「此処に卵を割り入れてくれないか」などを言ってきたのでカンカン、パカを×4回したところだ。



「なんか馬鹿らしくなってきた」


柴崎はシーツに落としていた目を前に向けて、ふん、と息をする。もう気にしないで行こう。男なんだし、一緒に寝るだけに一喜一憂しているなんてだらし無い。考えたって変わらないことは変わらないし、それを烏間だって分かっているからあぁやってなぁんにも気にしていないんだ。



「よしっ」


膝を叩いて彼はベッドから立ち上がる。スッパリさっぱり気にしないと決めたせいか、幾分か柴崎の表情も明るくなる。うじうじ悩むなんて性に合わない。考え込んでも仕方ないことは無理に考えない。ただただ肩が凝って疲れるだけだ。そう結論付けると彼は寝室を後にした。




その頃烏間はと言えば…。



「………」


片手に本を持ってソファに腰掛けていた。しかし妙なことにそのページは彼が本を開いた時から一項も先へ捲られていない。依然とページ数の文字は63のままだ。



「(……やはり一日ずらすべきだったか)」


烏間は過去の自分の行動を思い出しては珍しく悔いる。動揺していない。緊張していない。なんていうのは嘘。烏間も烏間で立派に心を落ち着かなくしている。だから本のページは一向に進まないし、読もうと文字を追っても全く中身が頭に入ってこない。

烏間ははぁ…とため息をつくと読むことを諦めたのかパタンと本を閉じる。そしてソファの背凭れに体を預けると、少し緩くなった柴崎の入れてくれたコーヒーを傾けた。



「(…あいつは普通だったな)」


あいつとは。それは柴崎のことだ。烏間は夕食の時の彼と、そのあとの彼を思い返してはそう思う。というのも変わらなかったのだ。柴崎の様子が。てっきり少しくらい動揺をして(今日届くと言った時は動揺していたが)、落ち着かないような素振りを見せて、緊張した顔色を見せると思っていた。しかしそれがない。全くない。



「(……俺だけか?)」


分かっている。良い年をして、高々ベッドで共に寝るだけのことに何を気を漫ろにさせているのだと。横になって寝てしまえば朝が来る。朝が来ればまた日常が始まる。それだけのことだ。…なのにその " それだけのこと " というのが烏間の心を落ち着かせない。



「はぁ、」


ため息をついて、彼は首を横に降る。こんな思考はもうやめだと自主的に外へ追いやっているのだ。どの道考えたところで夜は来るし、思い悩んでも仕方がない。きっと柴崎もそうと分かっているからあぁして普通な様子なのだろう。それに延々と答えの出ないことにいつまでも取り繕うことは性に合わない。



「…風呂でも入るか」


一度頭から熱い湯を被れば気持ちも違う。烏間はなんの意味もなさなかった本を目の前のテーブルに置くと、ソファの上から腰を上げた。



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