「っ、」
目の前がグラつき、咄嗟に何かを持とうとするがそこには何もない。前のめりに倒れ掛けた志苑。そんな彼の体を支える人の腕。
「っと、…大丈夫?支えるからゆっくり横になって…」
「ごめん、深夜…。世話かけて…」
「良いんだよ。気にしないで」
あれから3日。それだけが経ったのに未だ体の中に流れる血は馴染まず、血はあるのに貧血気味だ。
「まだ馴染まないか…」
「…そろそろ言うこと聞いてくれたらいいのにね」
いつまで体の中で反発しているのやら。困ったように、だがどこか諦めたようにも呟く彼に深夜は悲しげに眉を顰めた。こうして…どこまでも志苑を悩ませ、苦しめる血。その血の価値など興味はない。だから、彼を苦しませるくらいなら消えてくれよとさえも思うのだ。
窓の外、青い空に白い雲が浮かぶそこを見つめては重い体を横にする志苑を見て、深夜はゆっくりと口を開く。
「…ねぇ、志苑」
「ん?」
「弱音、たまには言いなよ?」
「…、」
「志苑全然言わないから。弱音も、文句も、我儘も、何も…。…だから溜め込むのは良くないよ。…ね?」
深夜の言葉に窓から目を離し彼を見る。そこには目元を優しく緩めている深夜の姿があった。
「もう何年泣いてないの?…2年?3年?それとも4年?」
「……4年、かな…」
「…そう。……じゃあ、」
腰掛けていた椅子をもう少しベッドへ近付ける。そして寝転ぶ志苑の背中に腕を回すと、負担が掛からないように起こした。それから自分の方へ凭れさせ、楽な体勢にしてやる。
「…? なに?」
「ほらほら、普段言えないことをこの深夜様に言ってごらん」
「え、…でも…」
「…良いんだよ。君の心の内にだって悲しみも辛さも悔しさも憤りも…他にも沢山の思いがあるはずだ。…例え人とは違うものを持っていたとしても、感情は同じだよ」
「…っ、」
強く、けれど優しく抱き締めてやる。
「…マイナスなものばかり生まれる世界だけど、何処かにプラスがたまに落ちてる時もあるよね」
プラス…。そっと目を閉じ浮かぶのは、ミカの姿。会えた。再びこの世界で。動き、話し、そしてもう一度…『志苑兄さん』と呼んでくれた。
「…それを拾っても、やっぱりマイナスが多いと負けてしまいそうになる。そんな時は溜め込まないで、誰でも良いから寄り掛かって…、頼って、甘えて良いんだ」
抱き締めていた力を弱めて、腕の中にいる志苑を見る。
「…ほら、…こんなにも綺麗な涙を持ってる」
「…っ、」
目尻に浮かぶ雫をそっと優しく掬ってやる。
「……要らないんだ、」
「うん…」
「…こんな血、要らない…」
「…うん」
「欲しくなかった…、こんなの…あったって仕方ないのに…っ、」
「うん、」
そう、仕方ないんだ。在ったところで、至宝だの何だの言われたところで、この血は何の役にも立たない。謎ばかりを残して、知りたい事も知れず、大切な家族…ミカを救う事も出来ない。何か少しでも分かっていれば、何かを施せたかもしれないのに。
ほろり、と。零れた雫は白い布団に薄っすらとシミを残した。深夜はその頬に手をやって、親指の腹で拭ってやる。志苑自身、この血は望んで手に入れたものじゃない。生まれた時からこの体を流れて、巡って、そして憎くも生かしているモノ。これに頼らなければ生きられないなんて、なんて悔しい事だろう。捨てたいのに、捨てれば死ぬなんて。
「…なのに皆欲しがるんだ…、手を伸ばしてくる…」
彼方此方から欲で染められた手が伸びてきて、捨てられるなら捨ててやりたいこの血を捨てられないから…、いつだって伸びるその手を振り払い、落としてきた。
「言うことも中々聞いてくれないから、凄い厄介で、……本当我儘だ…」
我儘で、我儘で我儘で…。嫌いだ。大嫌いだ。
「…深夜…」
「…なぁに、志苑」
「…嫌いだよ、こんな血…」
「…うん。僕も嫌いだ。こんなに君を苦しませるその血が…」
一筋だけ流した涙。けれどそれ以上は流さなかった。目元を滲ませても、決してそれを零さなかった。
「……消えて、失くなってくれたら良いのに…」
血が失くなれば死んでしまうのなら、普通の血になってくれたら良い。澄血という存在が薄れて、消えて…、そして何もなかったようになれば良い。けれどそんな風にはいかないから、現実は苦しい。
目を閉じてそう呟いた彼を見て、もう一度腕の中にその体を閉じ込めた。
「…ね、もう泣かないの?」
「泣かない…」
「もう少し見たかったなぁ…。…綺麗なのに、志苑の涙。僕初めて見たよ?」
「…ならもう見なくて良いよ、」
瞼を落としたままそう話して、深夜に凭れる。そして心の中で血に話しかけた。どうせ失くならないのならさっさと馴染めと。こんな貧血気味が続くのは結構しんどいのだ。
「…、眠い?」
「…………え?…ごめん、なんて…?」
「(眠いんだなぁー…)」
体の怠さと重さと貧血気味と。それらのせいで大して動いていないのにも関わらず疲れが溜まるのだろう。
「ふふ、寝て良いよ」
「…なんか、ごめんね」
「良いんだってば。ほら、ちょっと僕に掴まって。急に離しちゃダメだよ」
「うん、」
言われた通りにすれば体が傾き、先程の様にベッドに横になった。
「早く馴染むと良いね」
「そうだね…、言い聞かすよ。早く馴染めって」
「あははっ、それは名案だ。言ってあげな」
「ふふ」
そこで立ち上がった深夜。きっとそろそろ帰るのだろう。彼はいつもこうして時間を見付けては来てくれる。
「深夜、」
「んー?」
「ありがとう」
「……」
「…?」
「………志苑、もう一回今みたいに言って?」
「へ?」
「お願い」
「………、…深夜、ありがとう」
「………………はぁぁ、疲れも飛ぶなぁ」
「ん、?なんの話?」
大きなため息をついてそういう彼に志苑は軽く首を傾げた。だが深夜は何でもないよと笑う。
「じゃあまたね。ちゃんと寝るんだよ」
「分かってるよ」
「なら良いや。おやすみ、志苑」
「うん。おやすみ、ありがとう」
「いいえ」
そして病室の扉を開け、出て行った。それを見てから志苑はその瞼を閉じ、明日には馴染めと思いながら眠った。
深夜は病室を出てからそこから動かず口を動かす。
「入って来たら良かったのに」
「入り難いだろうが、どう考えても」
「そう?後半入れたんじゃない?」
「あそこまで来て、その上あいつが眠いって分かってて入れるかっ」
深夜が話す相手とはグレン。やる事を終えた彼は深夜同様、未だ血が馴染まず貧血気味な志苑の見舞いに来たのだ。
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