「…はぁ、目元腫れるかな」
「擦ってないんだ。大丈夫だろ」
廊下の壁で話す。スッキリした様子の柴崎と、そんな彼を見て一つ息を吐く烏間。
「そろそろ戻らないと心配してるかもね」
「引っ張って出てきたからな」
「急に引っ張るから。何かと思った」
「多少強引にでも連れ出さないとと思ってな」
「…そのお陰で、大分スッキリしたけどね」
「なら良かった」
互いに小さく笑いを零す。そして柴崎は足に力を入れて背中を壁から離す。だが、視界がグラつき咄嗟に足に力を入れるもなかなか入らない。そのせいでその場に崩れそうになる。
「っ柴崎!」
「っ、」
烏間がその場に崩れそうになった柴崎を支える。頭に響く鈍痛。体が重く、力が入らない。目を開けて、大丈夫だと言いたいのに全く言うことを聞いてくれない。そんな彼に烏間は呼び掛けるが、一層腕に掛かる重さにまさかと思い柴崎を見る。目は固く閉じられており、開く気配はない。
「…っ」
烏間は柴崎の体を抱き上げると医務室に。揺らせば体に響く。だからなるべく揺らさず、だが足早に向かう。腕の中で力なく、意識を失っている柴崎を見て焦燥感に駆られた。
「過労と精神的ストレスが原因だね」
「……」
白いベッドに眠る柴崎。その腕には針が刺さり、点滴を受けている。微かに動く肩が生きていることを表しており、少し安堵する。医師が柴崎の眠るベッドの側の席に座って紙に何かを書いている。…恐らくこの状態に関してだ。記録を取らなければならないのだろう。その医師の顔がこちらに向く。
「最近彼は忙しそうだったかい?」
「…父親の闘病に、夏が明けてから休みの日には必ず病院に行っていました」
「…そうか。…この様子じゃ、彼の父親は…」
「…つい先日、亡くなったそうです」
「…なら、心労もあるだろうな。長男なのかな、彼は」
「はい」
「そうか…。…色んなものを背負って過ごしてきたんだろう。酷く精神的に参っているのが分かる」
医師の目は柴崎に向けられる。
「夜も眠れなかったんだろう。人は疲れが溜まるとどんなに疲れていても眠れなくなる。…食事は取らなければならないと言うある種の使命感から来ていた可能性があるね。…辛かったろう…」
医師は優しく柴崎の頭に手を乗せてゆっくり撫でた。その時、固く閉じられていたその瞳かピクリと、少し動く。そして本当に少しだけ開けば、その目は柴崎の頭に手を置く医師に向けられた。
「……と、さん…?」
「…!」
「……ゆっくり休みなさい。何も考えずに」
その言葉は果たして彼の耳に届いたのか。見ればまた閉じられていた。暫くその頭に手は置かれ、そしてゆっくり離された。
「……さて、君はどうする?明日は休みだろう。彼の友人なら特別隣のベッドを貸すよ」
「……」
烏間はどうすれば良いか悩む。確かに心配だ。倒れてしまい、寝込むほどの疲労。こんな事になるなら、もっと早く問うてやり、もっと早くその心の蓋を取ってやれば良かった。…なんて、今更考えても仕方がない事ばかり浮かぶ。
「側にいてあげたらどうだい?君さえ良ければね。もし目が覚めた時、誰かが側にいるだけでも違うものだよ」
「…そうですね。分かりました。…隣、借りても良いですか?」
「勿論いいとも。見回りの人には私が話しておこう。心配しなくていい」
「ありがとうございます」
医師は烏間に一つ笑うとカルテに何かを書き込み席を立つ。
「何かあればここのボタンを押してくれ。すぐに駆け付ける。見回りの人に話したその足で私は帰るが、大丈夫かな?」
「はい」
「まだ消灯まで時間がある。良かったら、側にいてあげてくれ」
「分かりました。…ありがとうございます」
「じゃあよろしく頼んだよ」
そう言うと医師は医務室を後にした。烏間はそれを見届け、柴崎の方を向くと先程まで医師が座っていた席に腰を落ち着かせた。そして眠る柴崎を見る。
「…気付いてやれず、悪かった」
固く固く閉じられるその目。点滴の雫が静かに落ちる。烏間は外に出されている方の手を握った。強くは握らず、ただそっと重ねる。
「…もっと早く言うべきだった。こんな風に倒れるまで無理させる前に…。…すまない、柴崎」
握り返される事のない手をただ握った。今は何も考えず眠れるように。酷使したその心も体も癒せるように。そう願って。
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