今日は部活がない。だから一通りの授業や訓練が終わればその後はフリーだ。自主練をするも良し、自主勉強をするのも良し、のんびり過ごすも良し。選び放題な珍しい日である。
「なら、少し行ってくる」
「うん。行ってらっしゃい」
放課後の教室。居残りをしては自主勉強をしていた烏間と柴崎は、ある程度まで終えて手を止めた。帰るかと思えば、烏間は教官に少し用があるとかで。それを聞いた柴崎はじゃあ待ってるよ、と言って教室を出て行く彼を見送ったのだ。
「…散ってきたな、桜」
少しずつ枚数の少なくなる桜の花びら。それが舞って、舞って…落ちていく。その様を窓から見ていた。そして思う。1年前も、こうして桜を見たと。あの時は殆ど花弁は落ちていて、最後の一枚が自分の机の上へひらりと舞い降りたのだ。
「……早いな。もう一年か…」
この1年は沢山のことがあった。2年から3年へ上がるこの年は、とても濃く、とても思い出深いものだった。
父が亡くなっての1年目。周りの…、特に烏間のお陰で色んなことを乗り越えられた。学生生活を送りながらの訓練。陸上自衛隊へ進み、そして空挺部隊に入隊。ハードな毎日を送りながらも、同世代の馬鹿騒ぎを見ては少し笑ってしまったり…。
「(…でも一番は、)」
ずっと、ずっと、心の中でもやもやしていたあの出来事。恋、と気付くまでが長くて…。確か数ヶ月は掛かった。あれは夏休みが明けてからだろうか。もやもやとした気持ちが時折出てきて、けれど分からないからそれを抱えたまま過ごす日々。
未来のことを考えてはまたモヤっと。彼がこの先の未来で幸せになるならそれで良いのに、どうして喜べないのか。そんな自分が嫌だなと思った時期もあった。
「(スキー合宿辺りからかな…)」
そこから、なんだか自身の心に大きな大きな、波が立った。言い知れない、初めて感じたあの波打った波紋。安心する隣。安心する存在。自然体で居られる不思議さ。…小さな事に嬉しいと、思ってしまう感情。
「……好き、か…」
まさかだった。まさか、そんな気持ちを抱いてしまうなんて。その相手が彼だなんて。1年、2年前の自分が聞けば驚くだろう。1年2年後の自分がまさか恋をしているなんて、と。
「(しかも物凄く、途方もない恋だしね…)」
相手は自分と同じ性別で、きっとここ数年で一番気心が知れて、気の置けない人。良い友達、良い仲間。…そんな風に思っていた人が、今や自分の好きな人。本当に、笑ってしまう。…けれど捨てられそうにもないこの想いを抱いてしまったから…。好きだと気付いて、それを受け入れて、そして自分らしくこれからも居ようと決めたから…、
「…まだかな…」
誰よりも近い距離で、叶う事なら立っていたいと願うのだ。
舞い落ちる桜の花びらを眺めて、窓から吹く夕方の柔らかな風に頬を撫でられながら、段々眠くなってきた瞼をそっと落とした。
少し遅くなった。廊下の窓から差し込む日差しは茜色。それが辺りを明るく染めた。
教室が見えてき、扉の前に立つ。手掛けに触れて横に引いた。
「悪い、柴崎。遅く…」
目に映った光景に、そこで言葉が途切れた。足を音を立てないよう、ゆっくり近付く。
「…、」
側に立っても彼は起きない。ゆっくりと上下する肩は穏やかで、腕に頭を預けて眠ってしまっていた。ゆっくりと彼の前の席の椅子を引き、座る。視線は眠る柴崎に。
「……少し、待たせ過ぎたか」
恐らくこの陽気に誘われて、きっと眠ってしまったのだろう。彼はこういった自然の風や光景が好きだ。落ち着いてしまって、いつの間にか…というところか。
暖かで穏やかな風がふわりと窓から舞い込んできた。ひらりひらり…と桜も一緒にやってきて、その一枚(ひとひら)が彼の髪に落ちた。
「(…机よりこいつか、)」
まるで迷う事なく彼の元に落ちたその桜の花びらを見てそう思った。
こんなにも側にいて、こんなにも近くにいて、手を伸ばせば簡単に触れてしまいそうな距離なのに…彼は起きない。その瞼が開く様子もない。だから、理由付けをした。
「……」
そっと、手を伸ばす。桜の花びらを取ってやるために…なんていう嘘の理由付けをして。紅色のそれに触れて、そして髪に触れた。
「(……少し前の自分じゃ、考えられないな)」
こんなにも誰かを想って、焦がれて、そして好きになるなんて。…その上その相手が、気の置けないと思う彼だなんて、一体誰が思っただろうか。良い友人で、良い仲間で、良い同期。なのにそれを超えて、特別な感情を抱いてしまった。
「……悪いな」
だが、それでもこの想いは捨てられない。諦めるつもりだってない。…強引か、我儘か。だがそれでも良い。叶うか叶わないか分からない、こんな曖昧な恋をするのだから。ほんの少しの強引さを持って、ほんの少しの我儘を持ったって構わないだろう。…何故ならそう思ってしまうほどに、
「(…好きか…)」
眠るこの人物に落ちてしまったから。
風がまた吹いて、花びらが舞い上がるカーテンと共にやってきた。さて、そろそろ起こそう。日も段々傾いてきた。
「…柴崎」
「…っ、」
閉ざされていた瞼がゆっくりと開く。
「柴崎、風邪をひく。そろそろ起きろ」
「…烏間…?」
「あぁ。悪いな、遅くなった」
「……あれ…俺、寝てた、?」
「寝ていた。…疲れたか?」
烏間がそう問いかければ、柴崎は上体を起こした。腕は机に置いたまま。
「んー…。外見てたらなんか、」
「眠たくなった、か」
「ふふ、うん。そう」
「好きだな、こういう光景」
窓に目を向ければ、柴崎もそれに習ってそちらを向いた。
「なんか落ち着くんだ…。自然の音とか、温度とか、」
「……」
優しい色が灯るその瞳は外に向けられていて、…それに呆れた窃笑を自分自身にした。まさかこんなものに、小さくつまらない嫉妬をするなんて、と。
「…烏間は、」
「ん?」
「あまり好きじゃない?こういうの」
こういうの。それは恐らく自然の光景や音や温度。尋ねてくる彼の目を見て、烏間は思う。嫌いではない。寧ろ好ましい方。…けれど馬鹿な事に可笑しな考えが浮かんでしまって、仕方ない。
「……いや、好きだ」
…好きだけれど、それに彼が夢中になってしまうのなら…少しだけ嫌いかもしれない。
子供のようなその感情に、本当に変わったな…と苦し紛れな笑みが浮かんだ。
「ふふ、そっか。なら一緒だね」
「…あぁ。そうだな」
1年、2年前を思い出した。自分の気持ちを振り返った。想いを知ったあの時。知ってしまってからの今。変わった心と、変わった距離感と、変わった自分自身と、変わらない…自分らしさ。いつかこの想いが伝われば良い。いつかこの儚く淡い想いが通じ合えば嬉しい。そんな事を、お互いにふと考えた放課後だった。
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