「……柴崎のお袋さんには?」
「……さっき電話した。少し遅れるだろうが来るだろう」
「そっか…」
烏間の返答を聞き、2人はこれで少し息をつけたと安堵した。そして柴崎の方へと目を向けた。
「…少しマシなったね」
「…………」
手と頬。少しだけ熱が返ってきた。
「……雄貴、」
「っ、」
「……今心に思ってること、俺に話してくれない?」
「え…?」
戸惑い気に柴崎の顔を見る。雄貴の目に映る彼は、怒った顔なんてしていなくて、…優しい表情だった。
「…なんだかんだ母さんに我儘言う面もあるけど、…それでも変に聞き分けが良いから。…それが心配で…。……雄貴が今思ってること、良かったら教えてくれる?」
無理に聞こうとせず、気持ちを尊重する。雄貴は何度か口を開きかけ、だがまた閉じる。口籠り、喉元まで出かかった言葉がなかなか口に出せない。
「……ぁ…」
「………ゆっくりで良いよ」
「……っ、…っさ、…寂、しく、て…」
「…………」
「……と、とーちゃ、…居なくて…、お母さ…、…いつも、忙し…そうで…っ、」
詰まって、止まって、また詰まって。それでもその言葉を一語一句だって聞き逃さないように耳を傾ける。
「にーちゃ、…あんま、会え、ない…っし、」
「……うん」
「……参観日っ、…っお母さん、疲れてる、のに…来てくれて…っ、…でも、運動会、…ふっ、…とーちゃ、居なく、って…。…みんな、居るのに…っ、…綱引き、してる、のに…っ」
ポロポロ…頬を流れて落ちていく。それを手の甲で拭いながらも言葉を紡ぐ。
「さみ、っしい…けどっ、言ったら、お母さ…っ、悲しむ、から…っ、だから…っううっ、」
「…だから言えなかったんだな」
「っうぅ、ふぅ…っ」
「…そっか」
流れるその涙をもう止められなくて、拭っても拭っても流れてくるそれは顎を伝って落ちていく。まだ子供なのに、声を殺して泣くその姿を見て抱き締めてやる。
「…まだ言いたいことあるなら言って良いんだよ。全部聞いてあげるから」
「っ、にーちゃ、」
「ん?」
「…っにーちゃ、寂しい…っ、」
「うん、」
「寂しいよぉ…っ、っうぅ、会いたい…っ、にーちゃ、にも、もっと、っ会い、たい!」
「…うん」
「とーちゃ、もう、っ会えない、から…っ、だからっ、っ会って、いっぱ…っ、側に、いたい…っ。お母さ、と、にーちゃ、っと、っう、ひ、っく、…いっぱい、居たい…っ!」
涙ながらに話されるそれはとても心に染みて、こんなにもその寂しさを心に隠して居たんだと思うと、気付いてやれなかった事が情けなかった。
「ここ…っ、また…、みんなで、っつ、っ来たいぃ…!」
柴崎の背中にまだ短いその手を伸ばして、服を握りしめた。それを感じて、小さなその体を包む腕に力を込めた。
「……全部言えた?」
「っう、ん……っひ、くっ、」
「……なら、このままでいいから聞いて」
「っう、…っぅん…っひ、っぅ」
「…これから先、きっと沢山そういうことを感じる時は来ると思う」
「っ、つ、ぅん…っ」
「運動会に父さんが居なくて悲しくなったり、参観日に母さんが来れない日があったり…。…雄貴には酷な事だけど、…きっとある」
それはもう避けられなくて、その事実は消えない。母が仕事に有休を取って必ず雄貴の行事には出ているのは知っている。それでもこの先、それが出来ない日が来ないとも限らない。
「…その度に、どうしてって、なんでって…。…分かってても思ってしまう事もきっとある。苛立ちだったり、悲しさだったり寂しさだったり、色んな気持ちがこの小さな心の中に出来てしまうと思う」
「……っぅ、ん…っう、」
「それをね、あまり我慢しないで欲しい」
「…っ、えっ?…っふ、ぅ」
どうして? そんな風にも聞こえる雄貴の声に、小さく笑って体を放し、目を合わせる。
「全部を我慢して、甘えも我儘も言えない様になって欲しくない」
「……」
「雄貴が溜めてしまわないように、なるべく気付いてあげたいと思う。けど、自分の中でこれくらいは…って、どこかで思えるほんの少しの我慢を知って欲しいとも思うんだ」
10あるなら、今は4か3か、それ位の我慢を知って、残りの6か7位はまだ甘えたって我儘を言ったって良い。だってまだこんなに小さい。甘えたい年頃で我儘を言いたい年頃。それは人が成長していく上で大切な事の一つだから、それを殺したくない。
「全部言うと、母さんも人間だからきっと傷付いてしまう」
「……っうん、」
「雄貴のことを大切に思ってるから、全部叶えてあげたい。でも全部を叶えたくても、少し難しい。それが母さんにとってはすごく悲しい事だと思う。…それは分かる?」
「うん…っ」
「だけどその中でも、母さんは叶えられるだけの事を叶えてあげたいって思ってる。それは忙しくても雄貴の為ならっていう子に対する愛情なんだろうね」
「愛情……」
ぽつり、そう呟く雄貴。
「…だけど、雄貴は父親からの愛情だったり温もりだったりっていうのを、…もう貰えない」
「………」
視線を下にしてしまう。それは事実で、どんなに欲しくても、どんなに駄々をこねても、…それだけはもう貰えない。
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