infiltrate

 立派になったなと素直に感慨深くなる。出会った当初ならこんな絶壁、目の前にすれば足が竦んで前にすら進めなかっただろう。それが今では身一つでぴょんぴょんと飛んでいく。いやはや子どもの成長というのは大人が思うよりも早く、風が横を過ぎていくようにあっという間だ。その中でも岡野は身体能力が高く、身軽であるため他の誰よりも軽々と先へ進んでいる様子が絶壁の下からでもよく分かった。
 教え子の成長とは嬉しいもんだねぇ……などとほのぼのしていられるのも開始数秒間の話。30秒もすれば大人勢、その中でも烏間と柴崎、そしてイリーナにはさらなる問題が待っていた。殺せんせーについては形態からして範囲外なので問題の中には組み込まれない。

「……登るのは別にね」
「あぁ。だから問題は、お前だ」
「何よ!?仕方ないじゃない!壁なんて登ったことないわよ!」
「そうそうにはね、機会が無いよね。でもそんなこと言ってられるほど時間も無いし……此処はいっそ」

 公平に、と。柴崎は烏間に向けて拳を向ける。もちろんこんな時に拳で決め合おうと言っているのではない。つまるところのじゃんけんで決め合いましょうと、実に平和且つ迅速な手を取ったわけだ。

「…文句言いっこなしだからな」

 烏間と柴崎はお互いに向き合うと、拳を出す。そして…

「じゃあ柴崎、頼んだ」
「なんでこんな時に負けるかな……俺は」

 これが巷で聞く言い出しっぺのなんたらというやつなのだろうか。開いた手のひらを見下ろしてから、既に下げられた烏間のチョキだった手を見る。が、公平にしようと決めたのは自分であるので、柴崎は軽く肩を回すとイリーナの前まで行く。そしてその場に腰を落とし、片膝を突いては彼女に背中を向けた。

「どうぞ、イリーナ」
「え…っ、で、でも私重いわよ…!」
「良いから。今そんなこと気にしてる場合じゃないし、イリーナくらい背負って登るよ」
「〜〜〜っ。…よ、よろしく」
「はい、よろしく頼まれました」

 途中躊躇いながらもそこにある広い背中に歩み寄ると、体を固くしながらそ、と柴崎の背中に身を寄せる。体重が掛かったのを確認すると、立ち上がり体勢を整えてから烏間にGOサインを出す。それを見た烏間もまた了解のサインを出すと、目の前に広がる絶壁に手を掛けた。

「イリーナ、腕と足はちゃんと俺の体に巻き付けといてね」
「ま、巻き!?」
「じゃないと落ちるでしょ。さすがに両手じゃないと登れないからね」

 現役時代を思い出す。あの時は確か……重りが入ったリュックを背中に登らされた。あの時はもう少し距離が長かったように思うので、それを考えるとまだマシなのかもしれない。角張っている壁の岩に手を掛けると、柴崎はようやく絶壁を登り始めた。
 が、二十代後半、過去空挺団所属隊員とはいえブランクはそれなりにあるので、中盤まで来ると一息を吐いてしまう。加えて後ろからは怖い!高い!揺れる!怖い!と叫んでいるイリーナの声が直ぐそこで聞こえて来るので、柴崎からすれば鼓膜が大いに揺れた。それを上から見ていた生徒たちは、まだ涼しい顔な柴崎と悲壮感漂うイリーナといったこの対比に、差の激しさを感じていた。

「…岡野が身軽なのに対して、うちの先生は動けるのが4人中2人とは…」
「半分の確率だな……」
「柴崎先生の鼓膜が心配」
「わかる」


 それからおよそ15分後。頂上と言える地に片腕を突くと、もう片方の腕でグッと体を持ち上げる。先に上がっていた烏間のサポートもあって、右膝を地面に付けるとようやく諺とは違った意味の地に足がつく感覚を得た。背中にはこれでもかと言うほどに強く目を瞑っているイリーナが居て、こんなこととは無縁だっただろう彼女を思うと、少々リスキーな侵入だったかもしれない。

「イリーナ、着いたよ」
「ほ、本当?もう目開けても大丈夫っ?」
「大丈夫。もう着いたから」

 するとゆっくりゆっくりと持ち上げられる瞼。余程怖かったのだろう、首に回る腕や手が随分と冷たい。何度か瞬きを行って、深く深く息を吐くと、イリーナはよろよろと柴崎の背中から滑るように離れていく。

「……し、死ぬかと思ったわ……」
「ははは……まぁ、こんな経験普通はしないもんね」
「そりゃあそうよ!……でも、その、ありがとう……重かったでしょ?」
「ううん。それに昔もっと重い物を背負って登ったことがあるから大丈夫。気にしないで」

 しかし絶壁を登りを終えたからそれで終わりじゃない。此処からが本番になる。目先にはホテルの中へと繋がっているだろう扉がある。律曰く、この扉の電子ロックは彼女の命令で開けられるようにシステム変更を行ったらしい。加えて監視カメラにもこちらの姿は映らないよう細工を施したようだ。

「ですが、ホテルの管理システムは多系統に分かれており、すべての設備を私一人で掌握するのは不可能です」
「…流石に厳重だな。律、侵入ルートの最終確認だ」
「はい。内部マップを表示します」

 携帯に映し出されるのはこのホテルの侵入経路。屋上を除けば10階建。ロビー、中広場、展望回廊、テラス、コンサートホールと続き、最後は目標地点にたどり着く。律曰く、エレベーターの使用は不可。フロントが渡す各階ごとの専用のICキーが必要になるらしい。となると地道に最上階まで歩いて向かうしかない。


「これだけ見ると階段の配置はバラバラだね。特に中広間とテラス、コンサートホールは横断しないと階段にたどり着けない構図か……」
「いわく付きなのも頷ける経路図だな。テロリストを潜伏させるにはいい拠点だ」
「……謀られているのか、それとも偶々なのか。どっちだろうね」
「此処を指定したことがか?」
「いや、寧ろもっと前の段階で……」

 それこそ修学旅行先としたこの場所すらも、仕組まれたものだったのかもしれない。そう思うとより情報の漏れた口が気になるところだ。ただの殺し屋なのか、それとも政府の人間なのか。日本以外にも彼、殺せんせーを殺したがっている国は多い。それは地球という未来が確かに掛かっているからだ。だから何処の誰が、彼を狙いにしても可笑しくない。そう、可笑しくないのに違和感を感じる。何と明確に言えない何かに。

「……考えても仕方ないね。ごめん、先に進もう」
「…思うところがあったら言ってくれ。お前の勘は当たる」
「うん。分かった」

 今するべきことは先へと進み、苦しんでいる生徒達の解毒薬を奪うこと。そのためには誰一人として捕まらず、最上階まで辿り着かなければならない。先頭には烏間と柴崎が立ち、その後ろには生徒たちが続く。都度指示を出し、前進の合図を送れば全員が扉の向こうへと足を進めた。
 通路を進み、足音はなるべく立てず、且つ素早く移動をしていく。そうしてさらに中へと進むと、一般客と警備の人間の姿が見えるロビーに辿り着いた。ロビーの入り口に身を潜ませ、中を覗けば思っていたよりも人の数が多い。

「運がないね、俺たちも」
「…全くだ。侵入早々、最大の難所か」

 このロビーを通らなければ上に行けない構造となっているわけだが、見つかれば即アウトになる。そうなれば目的の薬すら手に入らず終わってしまい、何のために此処まで来たのか分からなくなってしまう。
 見える範囲だけでも警備の人間は6名から8名は優に居る。普通に通れば一人くらいの視界の中には入り込んでしまうことだろう。非常階段はすぐそこにあるというのに、その少しの距離がもどかしい。何か策を考えなければ、生徒全員を発見されずに此処を通過するにはまず無理がある。

「……どうする」
「…この状況じゃあ、少し難しいね……」
「あら、お困り?シバサキ」
「まぁ困ってるっちゃあ困ってるけど……」
「ふぅん…。じゃあ貴方の望む状況はどんなもの?」
「俺の?……それは、全員の目を何処か一箇所に集められたら一番だけど」
「だったら普通に通れば良いのよ」
「「「「〜〜〜〜〜!!」」」」


 普通に通る。その言葉にはさすがの柴崎もイリーナを振り返ってしまう。普通に通れば何のために身を潜めて裏口から入ったか分からない。見つからないように、人目を掻い潜りながらこの先も進んでいかなければならない。だというのに普通に通るというのは、隠密な行動とは正反対だ。生徒達からは唐突とまではいかないが、突飛過ぎる彼女の発言には何を考えているんだと抗議の声すら上がる。
 とはいえ、考え無しではないんだろう。イリーナだってプロの殺し屋だ。それ相応の現場だって潜り抜けてきた過去があるから、彼女は今こうして生きている。だとするなら、此処で彼女の言う「普通に通る」は、現状では最も適した行いなのかもしれない。考えてみれば、敵地に赴き目的地へ向かうのは、殺し屋にとっては本番の前の一仕事のようなものだ。
 それなら今、何を選択するべきかは一目瞭然だった。

「なら此処はプロに一任しようか」
「柴崎先生!?」
「えっ嘘でしょ!?普通にだよ!?」

 そんなの絶対見つかるよ!という言葉が続くが、思えばそれが今は必要となってくる。そしてそれが今できるのは、この中ではイリーナだけだ。柴崎からの言葉を受けたイリーナは満足そうに笑うと、ヒールの音を鳴らしては彼の横までやって来る。そうして去り際にその肩へ触れると、彼女はまた一歩とロビーの方へと歩いて行った。

「先生正気ですか……!?」
「彼女がプロと言われながら今も尚生きているのは、それだけの状況を自分の武器で潜り抜けてきた経験があるからだ。そしてその武器は、現状において最も活かされる」

 まぁ見ていてあげてと話すと、彼の目はロビーの向こう、今丁度グランドピアノに腰を落としたイリーナへと向けられた。彼女の武器はハニートラップ。それを扱えるのは彼女以外に今此処にはいない。烏間でも柴崎でも、生徒達でも、この大衆の目を不自然なく集めることはできないのだ。

「……此処があいつのフィールドか」
「他に適任はいないでしょ?」
「ふ、違いない」

 鍵盤に指先が添えられる。そして奏でられる曲はショパンの幻想即興曲。選んだ曲もさることながら、見せ方が非常に上手い。事実この場に居合わせている警備員の目が彼女に集まっているのが、遠目からでも良くわかる。

「今のうちに行こう」
「あぁ。イリーナが引き付けてくれている今がチャンスだ」

 彼女が此処で稼いでくれる時間は20分。それだけあれば十分に最上階近くまで行くことができる。柴崎の言葉に頷いた烏間が生徒達を階段の方へと誘導していく。そして全員がロビーを通り過ぎたあと、最後に残った柴崎は一度だけイリーナに目を向けた。だがすぐにそこから逸らし、彼は階段付近まで足を進めさせる。

「…すげーや、ビッチ先生」
「あぁ、ピアノ弾けるなんて一言も」
「普段の彼女から甘く見ないことだ」

 再びこの暗殺教室で殺し屋兼教師として留まったイリーナは、あれ以来よく生徒達の中に混ざって騒いでいる姿を見かける。それは非常に年相応、二十歳の彼女を映し出していて、その光景にはなんの違和感もなかった。だがこういう場面に出会せば、嫌でも実感させられた。彼女は確かに、裏社会で生きてきた女性なのだということが。

「能ある鷹は爪を隠すって言うからね。そう安々と身内だろうが誰だろうが、見せては自分の隙を与えることになる」
「優れた殺し屋ほど万に通じる。彼女クラスになれば…潜入暗殺に役立つ技能なら何でも身につけている。君等に会話術を教えているのは、世界でも1・2を争う色仕掛けの達人なのだ」
「ヌルフフフ。私が動けなくても全く心配ないですねぇ」

 身内が騙されるからこそ技術は時に輝きを増す。だから人はこう言い表す。敵を騙すならまず味方からと。そうすることで、相手はより一層の信憑性を感じずにはいられなくなるからだ。
 烏間や柴崎、殺せんせーの言葉を受けた生徒達は、先程柴崎がイリーナにあの場を任せた理由をようやっと理解する。あの時の打開策は、一箇所に周りの目を集めることだった。だがそれを行うにはリスクが伴って、人をどれだけ惹きつけることができるかが大きなキーとなっていた。

 上手く誤魔化し、乗り切れる人物。それには彼女、イリーナが最も適しているとあの瞬間柴崎は判断した。彼女の職業は殺し屋、そして武器はハニートラップ。条件としては上等だったのだ。だから烏間も止めやしなかったし、寧ろ彼の策に同意を見せていた。詰まる所、彼もまた柴崎の考えを早い段階で見抜いていたことになる。
 改めて此処の教師軍は抜かりなく、且つ判断力に優れていると感じる。最適解と言える答えを導き出し、それを当てはめ先へと進む。先導して前を歩いてくれる二人の背中に、生徒達はこの上ない安心感を肌で感じ取った瞬間だった。
 
 階段を登り切ると、目の前には通路が広がっている。道は前方に一つと、左に一つと分かれており、マップ上では確かこのまま真っ直ぐ進めば中広間に行き着くルートになっていた。そして階段を登って展望回廊、テラス、コンサートホールと通れば、ゴールもほぼ目の前だ。
 そのとき、柴崎は左の通路の先から人の気配を不意に感じた。だがどうやらこれに気付いているのは彼だけらしく、球状形態となっている殺せんせーも気付いた様子は見えない。となれば気のせいかとも思うが、こういう状況下で人一倍人の気配に敏感であることは、柴崎自身も自覚している癖だった。
 念には念を入れておくべきだろうと判断した彼は、隣に立っている烏間の肩を指でトントンと突く。すると振り向いてくれた彼に、柴崎は過去軍に所属していた時に使用していたサインを烏間に向けて行った。

「(なんだろ、あのサインみたいなの……)」
「(分かんない…烏間先生と柴崎先生だけが知ってるやつかな?)」

 当たり前な話だが、二人が軍に所属していた当時のことを生徒達は知り得るはずもない。そのため今のこのサインの意味も、彼等は理解することもできない。それもあって二人の様子に生徒達は顔を見合わせながら小首を軽く傾げ合う。けれど烏間には十二分に意味が伝わっているのか、首肯をすれば彼に向けてOKサインを送った。
 返答を受けた柴崎は、先に行っていいというGOサインを残すと、一人左側の通路へと歩いていく。これには残された生徒達も戸惑うように瞬きを繰り返しては、残った烏間に向けて理由を尋ねるように声をかけた。


「烏間先生、柴崎先生が…」
「あぁ、構わない」
「でも、あっちに行ってもあそこには何も…」
「いや、居たんだ。人がな」
「え!?」
「驚くのも無理はない。俺もよくあいつのあれには感服させられた。柴崎は人一倍人の気配に敏感でな。こういう状況下だと尚更それが働きやすいらしい。だから俺でも気付かない気配を感じ取る。それが善か悪かもな」

 視野が広いのは幼い頃から空手を行い続けてきたことも影響しているのだろう。と同時に、彼は過去所属していた陸上自衛隊や第一空挺団でも、狙撃部隊の事実的な部隊長を務めていた経験がある。本人はリーダーや部隊長といった人に指示を出して動かす役割は向いていない、寧ろサポートをする方が力を発揮出来ると言っていたが、彼の指示力や統制力は側から見れば大したものだった。
 気配に敏感であるからこそ狙撃の的は外さないし、味方が危うくなればそれを未然に防げるくらいには周囲の動きを察知するのが速かった。だから彼の部隊は大抵擦り傷程度で済んでいて、大掛かりな訓練でも始まりから終わりまで、彼の下につく班員たちはあの空挺団の中でも非常にのびのびとした様子で臨んでいたように記憶する。

「敏感だからこそ、背後を取られることなんて稀であり、逆に気配を消すことにも長けている。突然の奇襲に対して柴崎の右に出る人間は、今のところは居ないだろうな」

 だからこそ頼もしく感じると、烏間は思う。もう随分と長く彼もその背中を柴崎に任せているが、こうも安心して任せられる相手は彼以外には居ないと豪語出来るほどだ。
 そして今回も、こうして降り掛かるかもしれない難を未然に防ごうと動いてくれた。お陰で烏間自身も、目の前のことに集中してやるべきことを行うことができる。

「ヌルフフフフ。さしずめ烏間先生にとって、柴崎先生は最高のバディというわけですね」

 バディ、訳すると相棒になる。二人一組を表したり、右腕と表現する人も中にはいる。殺せんせーから発せられたバディという言葉を聞いた烏間は、渚が持つ袋の中にいる彼を軽く振り返る。目が合う先にいるその口元はにゅやり、と三日月な形をさらに滑らかで湾曲な姿へとさせていた。

「……ふ、愚問だろう」
「ヌルフフフフ、そうですかそうですか」







 自慢じゃないが、こういう時の気配を逃したことは柴崎には一度もなかった。だからといって自負しているわけではないが、どうにも呼吸を潜ませたり、普通とは違った空気を感じ取れる第六感のようなものは確かに存在している。足音だけは立てず、こちらの気配は一つも拾われないようにするも敢えて呼吸は普通に行う。詰めて、飲んで、肩をゆっくりと上下させるような息遣いはしない。
 すれ違ったって気にされないくらいの「普通」に浸透することが大事だ。徒らな緊張は相手の意識に自分から入り込みにいくようなものになる。だからなるべく普通を装い、だが演じ過ぎない程良さが、人の視界から自分を消す鍵になる。
 男が入ったとされる部屋の前まで来ると、その僅かな隙間をさらに数ミリほど広げることで、中の様子に目をやる。幸いこの通路に他の人気はないので、こうして覗いていても不審だと判断はされない。
 中に居る男はどうやらポケットから携帯を出したようで、暗がりの部屋ではそこから放たれる光がとても眩しい。お陰で文面は丸見えで有難い話だ。

「(侵入成功、次のルートへ……)」

 どうやら彼はこの計画における連絡係らしい。だったら身を潜ませてこちらの様子を伺い、けれど仕掛けてこなかった動作に理由が付く。報告先は首謀者宛か、将又次に待っている殺し屋宛なのか、そこについては定かではないが、どちらにしても不要な要素は出来る限り排除し、避けておきたい。
 男は作成した本文を今一度読み返すと、その指を右上へと伸ばす。時間にして数秒の話だ。だが押される直後に首に掛かる圧迫感に彼は携帯を落とすと、巻き付くそれに手を伸ばした。抗おうとするも酸素が頭に行き届かず、次第に意識は朦朧として来る。そして目の前が霞み始めると、男の手はだらりと落ちた。

 力無く凭れ掛かって来る男の首から腕を離す柴崎は、扉近くの壁へと男の体を預けさせる。それから床に転がった携帯に目を落とすと、ポケットからハンカチを取り出しそれを掴み取る。画面上に映るのは作成された未送信のメール。彼はそれを消去すると、受信ボックスへと移り中身を見た。予想通りだが、大した情報は入っていない。遡ってみても今日の計画に関するメールも、やり取りも何も見当たらない。となると本当に連絡だけの携帯で、当日に渡された使い捨て用ということになる。

「(ガラパゴス携帯……しかも古いタイプだ)」
 
 大体はiPhoneかAndroid携帯を持ち歩く人が今は増えている。防衛省でも会議にiPadを搭載して、ペーパーレスが推奨され始めたくらいだ。時代の移り変わりは早いから、こういう状況で古い形を所持しているとなると、使い捨て以外に意味はなさそうに思える。抜け取れる情報もなさそうなため、柴崎はその携帯からICチップを抜き取る。そしてただの箱と化した携帯を、彼はご丁寧にも意識のない男の胸ポケットに仕舞った。

「こっちは貰っていくよ」

 使い道はないけど、目を覚ました時に所持されたままじゃ少し面倒臭いからね。ぐったりとした様子の男の側から離れると、彼は手の中にあるチップを胸ポケットへと仕舞い込んだ。そうして音を立てずに部屋から出ると、再び何食わぬ顔をして来た道を戻るように足を進めた。

prevnext




.
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -