reconciliation

一瞬のことだった。瞬きをすることも惜しいと思うほどの技術の高さ。そしてその的確さ。
一度も的を外したことがないという言葉に相応しい実力。流石としか言いようがなかった。と同時に生徒達はあることを実感する。

自分達はなんて技術を持つ人の元でその技の教えを請うているのだろうと。
遠いと感じた。あそこに行き着くまでにはまだまだ、多くの時間と修練が必要になる。
手の届かない歯痒さ。それを直に感じ、彼等は目の前で起きた光景がその瞼の裏に焼き付く感覚を覚えた。

それに伴って思い出されるワンシーン。過ぎる記憶はまだ真新しいものだ。



「…先生、シェリーさんのこと…」

「なぁ…。本当にあんな風に思って…」

「馬鹿じゃないの」

「ぇ、」

「あんなの嘘に決まってる」


速水の力強い言葉が不安と疑問の声を漏らしたクラスメイトに向けられる。彼女には先程の柴崎の発言、シェリーが死んだのは彼女の判断ミスだというものが確実に彼が作った嘘だと見抜いていた。
速水は比較的柴崎から教えを良く説いてもらっていた生徒の一人。それは自分自身の技術を高めたいことと、初めて誰かのために動きたいと思える自分を前進させる為だった。



「柴崎先生は、そんな人じゃない」


あの人は、本当に優しい人だ。人の成長も喜んでくれる人だ。相談にも乗ってくれて、ある時には背中を押して、応援してくれる人。
そんな人があんな言い方、本心であるわけがない。けれどそうでもしなければいけない状況だった。だから本心に嘘を被せて、一瞬でも軋んだ心にだって目を逸らしたはずだ。

その証拠にあの人は最後の最後に、ナイフを弾で弾いたあと、まるで餞別を送るかのようにグリップの底で悪魔のこめかみを殴って気絶させた。
否、餞別と言っては少し優しいかもしれない。だから的を射るなら恐らく込めておいた鬱憤の欠片だ。それを彼はグリップの底に乗せて、悪魔を殴った。



「(…そういう、少しだけ不器用なところが…自分に似ていると思ってる)」


だから話していて落ち着くのかもしれない。
速水は目先で烏間と何かを話し、それからこちらへ足を向けている柴崎の姿を瞳に映した。


「…速水」

「凛香ちゃん…」

「なに」

「先生のこと好きなのか?」

「柴崎先生のこと好きなの?」

「ふざけたこと言うなら殴る」


大体先生を嫌いな人がこのクラスにいるの。
それが恐らく今日一番の速水のツンデレであったとその場に居たEクラス面々は内心で思う。口に出さないのは本当に殴られてしまっては敵わないからである。



そんな話を生徒達がしていることを知らない柴崎は、途中一人階段で立ったままなイリーナの存在に気付く。ぼんやりと立ち尽くすような彼女にはこの場を借りても借りなくても、伝えなければならないことがある。
けれどそれはこの一件に終わりの目処が立ってからだろう。とはいえいつまでもあそこに居させるわけにもいかない。そう思えば柴崎は烏間に先を促しその足先を変えた。



「イリーナ」

「ぁ…」


掛けられる声にイリーナの目は近くに立つ柴崎に向けられる。こうして面と向かって、目を合わせて話すことには随分と久しく感じた。
視線を下げた先には柴崎が居る。あの時のような、突き放したような色は見えない。言うならば少し前よりも、優しい色に見えた。
とても先程まで悪魔と対立し、彼の首を落とした人物と同じとは思えない。けれどそういうところが好きだったと思うと、イリーナはどうしようもなく目の前の彼に恋い焦がれた。



「降りておいで。そこじゃ水が近いから冷えるよ」

「え、えぇ…そうするわ…」


手摺に片手を置き、ゆっくり階段を降りていく。そうしてもう少しで水の浸かった床に着く頃、彼女の目の前に手が差し出された。
驚いたように顔を持ち上げ、イリーナは柴崎を見遣る。差し出されたものは他の誰でもない、彼の手だ。彼女は瞠目をそのままに彼の手と、彼の顔を交互に見る。



「足場が不安定だし、滑るからね。捕まって」

「シバサキ…」

「ん?」


あぁ、駄目だ。…駄目だ。
イリーナは泣きそうになる心に一つの首も振れない。好きだという思いが消えなくて、まるで冬に降る雪のように深々と募っていく。
あの時の彼の言動の理由を知って、本当はそうじゃなかったことを知って、安堵をした自分が居た。

嫌われていなかった。避けられているにはちゃんとした理由があった。
…安心したのだ。だからこうして前と変わらないように声を掛けられ、手を差し出されるとその優しさが滲みて泣きそうになる。
嬉しいと思って、単純になってしまいそうになる。



「…ありがとう」


絞り出すように出した声がどうか震えていないことを祈った。たとえそうであっても、彼には気付かれていないことを願った。
けれど彼には敵わないから、もしかしたら拾われているかもしれない。それでも、彼は気付かないふりをしてくれる。


「そこ、気を付けて」

「えぇ」


ほら。
だから、そんなところが駄目なのよ。
そんな風にさり気なくしてくれるから、駄目なの。
イリーナは繋がる手に目を落として、その口元に少しの笑みを浮かべた。視界が少し潤んだのは気のせいにしておく。揺れる髪を押さえるついでに、雑に拭ってなかったことにしておく。

そうして暫くした後、そ、と離れた手に彼女は目を落とす。ほんの少しの間だったけれど繋がっていた。
イリーナは自身の白い手を見下ろす。そしてきゅ、と胸に抱くように手を握った。
まるで大事な何かを守るように、瞼を落として。



柴崎の足はようやっと生徒と殺せんせーが閉じ込められている檻へと向かう。そこには先に着いていた烏間が携帯を片手に何やら思い悩むようにして手を頭に当てていた。
後ろから軽く覗き込めば、なるほどそれは悩むわけだと彼も彼で納得の表情を浮かべる。

押せば檻は開かれ、だが押さなければ生徒共々殺せんせーは檻の中。
国の立場からすれば押さずにこのまま捕獲が望ましい。けれどそこへ生徒達が混ざっているのなら、話は大きく変わってくるのだ。
惜しいと言えば惜しいが、致し方ない。



「今回は諦めよう、烏間」

「柴崎…」

「生徒達のこともあるし。ね」

「はぁ…」


大きくため息をついた烏間に柴崎は苦笑を見せる。そりゃあそんな反応の一つや二つ、したくなるのが本音だ。
これまで数ヶ月と暗殺訓練を行い、また夏には大掛かりな暗殺計画だって立てた。それでも結果は惨敗。殺せんせーを殺すどころか捕らえることすら出来なかった。
それが今や標的は対先生用の檻の中。出ることは愚か触れることすら儘ならない。だったらこのまま国へ…と、考えたくなるのも無理はない。

ところがそこへ生徒達が居るなら、烏間も柴崎の意見に同意せざるを得なかった。彼とてそこまで彼等を巻き込みたいとは考えていない。
安全が第一。こんなことが起きてしまったところで説得力には欠けるが、その思いは今も烏間と柴崎の心にはある。

携帯に表示されている「Open」の文字。それを烏間はタップする。直後音を立てて持ち上がる檻には生徒達から歓喜の声が起こった。



「…最大と言える好機だったんだがな…」

「仕方ないよ。あの子達をずっとここに居させるわけにはいかないし」


ただでさえこんな地下、何が起こるかも分からない。だったらさっさと地上に出るのが一番だ。
柴崎は近くにあった烏間の上着を拾うと、それを彼の肩に置く。そうしてもう片方で拾った自分自身の上着を両手で持つと、拡げて彼はそこへ腕を通した。



「あ…」

「?」


羽織り襟元を正した時だ。聞き逃すような小さな声に幸い気付いた柴崎は音の元へ顔を向ける。
するとそこには片岡が口元に手を当てがい、丁度柴崎の腹部辺りに視線を向けている姿があった。



「あの、柴崎先生…その横腹の傷…」

「…あぁ、これ?」


どうやら上着を羽織る際に見えてしまったらしい。普段は下にワイシャツを着ている分動作を気にかけることはなかったが、今の状態では腕を上げた時に見えても不思議ではない。
柴崎は襟元から手を離し、片岡の言う残る傷痕に少し触れた。もう痛みはない。触れた時に、見た時に、あの時のことを思い出すくらいだ。



「ちょっとね」


敢えて傷痕を残したのは自分自身の意思。忘れないようにしようと、五年前のあの日から決めたことだ。
人の記憶はいつか風化していくもの。だから忘れたくないものは、自分でちゃんと括り付けておかなければならない。でなければどこへ行ったか分からず、いつか見失ってしまう。

柴崎が傷に触れた時、それに気付いた数名の生徒達はその眉を静かに下げた。その様子に気付いた彼は傷痕から手を離し、意識を彼等から離す。
下手な声掛けは余計生徒達に気を遣わせてしまうだろうし、今見せている表情の色も濃くなってしまう。だから敢えて、柴崎は生徒達へ何かを言うことをやめたのだ。

今回の件で彼自身、あの出来事や粗方の流れについては彼等に流れてしまっただろうとは察し付いている。だからこの傷の理由も、なんとなくだが知られている気がした。
隠していたつもりない。良く言えば話す機会がなかった。そして悪く言えば、話す必要がなかった。
だから今になってこの傷の理由も、過去のことも、徐々にではあるが露わになりつつある。


暫くして烏間が連絡をして寄越した二人の部下達が地下へ足音を響かせてやってくる。そうして姿を見せた途端、彼等は自身らの上司の無事に至極安堵の様子を見せた。



「烏間さん、柴崎さん…!ご無事で何よりですっ」

「心配を掛けたな。それと夜分に呼び寄せて悪かった」

「お二人ともお怪我は…?」

「問題ないよ。それで来てもらった早々で悪いんだけど、あそこの二人を縛っておいてくれる?なるべく強めに」


二人とも今は意識を失っているが、またいつ意識を取り戻し起き上がるか分からない。そうなると余計厄介なことになり得るため、早急に縛って国の監視下に置くことが先決なのだ。
柴崎の指示に了解の意を示した彼等は早速と死神、悪魔の捕縛を開始する。



「死神ってどんな感じだった?」

「驚異的な技術を持つ男だったが…、技術に過信し過ぎていた。そして、人間としてどこか幼かった。だから隙もあった」

「そう。…じゃあ噂通りっていうほどの殺し屋じゃなかったんだ」

「あぁ。…悪魔はどうだった」

「プライドが高くて、自信家かな。情報が命だって感じで、尾っぽはまだ掴みやすい方だったと思う」

「…そうか」


だが彼もまた己の力を過信していた節がある。何処にも間違いはないし、何処にも綻びはない。だから完璧なんだと、直接言葉にしなくても言い方や表現次第では良く伝わってきた。
そのため柴崎からすれば揚げ足は取りやすかったし、プライドだって落とすことも然程難しいものではなかった。
自意識過剰。自信満々。それらの言葉が良く似合う男だったと言える。



「でもさ、そういう人間として幼かったって所は…ビッチ先生と同じかもね」

「……うん」


彼女もまた幼い頃から大人の世界に足を踏み込み、幼少期に必要なものをどこかに置いてけぼりにしてしまった。
だから普通に出来ることが出来なくて、出来なくていいことが出来てしまう。それを損と取るのか得と取るのかはその後の人生が関係してくるんだろう。
だが一度イリーナのように普通の生活に触れてしまうと、その幼い頃に得るべきだったものが手元にないために足場が不安定になるのだ。



「…けどよ、なんでここまで…、顔潰してまで技術を求める心理が分かんねぇよ」


吉田は顔を青くして横たわる死神の顔を見る。その面はとても同じように息をして、意識がないとしても今を生きている人間には見えなかった。
そこまでして何を得たかったのか。声明か、名誉か、それとも自分がこの世に存在している証か。そうなるともう知り得ることの出来ない範囲だ。



「幼い頃の経験だそうだ。殺し屋の高度な技術を目の当たりにして…ガラリと意識が変わってしまったらしい」

「……影響を与えた者が愚かだったのです。これほどの才能ならば…本来もっと正しい道で技術を支えたはずなのに。そしてそんな彼について行き、生きてしまった彼もまた然りです」

「…人間を活かすも殺すも、周囲の世界と人間次第ってことだね」

「そういう事です」


そう言ってから、殺せんせーは渚の頭をポンと叩いた。それが何を意味しているかは、恐らく殺せんせーと渚本人にしか察することは出来ないだろう。
するとそこへコロン、と。小さな石が転がる音が聞こえてきた。一同がなんだ?そちらを振り向けば、なんとも、まるで泥棒がとんずらをこくような体勢で逃げようとしていたイリーナの姿があった。

それをあーはいはい、なんて言葉で逃す生徒は正直今ここには誰一人居らず、結局彼等は逃げようとしたイリーナの捕獲に向かった。



「てめー!!ビッチ!!」

「何逃げようとしてんだコラ!!」

「ひいい!!耳のいい子達だこと!!」


今のところ体力的な差も人数的な差でも生徒達が圧倒的有利な立ち位置にある。なのであっという間に彼女は彼等に捕まってしまい、練っていたのかその場の考えなのか分からない逃走劇は直ぐに幕を下ろした。



「あーもー好きなようにすりゃいいわ!!裏切ったんだから制裁受けてトーゼンよ!!男子は溜まりまくった日頃の獣慾を!!女子は私の美貌への日頃の嫉妬を!!思う存分性的な暴力で発散すれば良いじゃない!!」

「発想が荒んでンなー…;;」

「それ聞いて寧ろやりたくなってきたわ;;」


木村と中村が苦笑いを浮かべてイリーナを見る。しかしそんなところが彼女らしいとも言えて、なんだかこんな会話すらも久しぶりのように感じた。
ずっと、みんなが浮かない顔をして過ごしていた。そんな日々にずっと、物足りなさを感じながらも誰も、どうすることも出来ないでいた。



「いーから、普段通り来いよ、学校。何日もバッくれてねーでよ」

寺坂

「続き、気になってたんだよね。アラブの王族誑かして戦争寸前まで行った話」

矢田

「来ないなら先生に借りてた花男のフランス語版借りパクしちゃうよ」

片岡


そうやって掛けられる生徒達の言葉に、イリーナは茫然とする。
あんなに酷いことをしたというのに。裏切って、剰え殺そうとしたのに。普通なら許されない。同業者同士なら間違いなく死しか残らない。
だというのに、目の前に、周りに立つ生徒達からは一言もそんな言葉は聞こえてこなかった。



「………殺す直前まで行ったのよ、あんた達のこと」

「おう」

「過去に色々やってきたのよ、あんた達が引くようなこと」

「何か問題でも?裏切ったりヤバい事したり。それでこそのビッチじゃないか」


だから今更だと言うようにして竹林は眼鏡を指で上げる。
結局のところ、みんな彼女の帰りを待っていた。でなければ誰がこんなところまで来て、一歩間違えれば死ぬかもしれないという計画の上を歩いただろうか。

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