見えてきた目的の部屋の前には、数人の軍兵達が立っていた。彼等は二人の姿に気付くと一様にして敬礼をした。それには烏間も柴崎も目を細める。もう自分達は陸軍の内の一つである、空挺団の団員でも教官でもないというのに。
「お待ちしておりました、烏間さん、柴崎さん」
見張りとして割り当てられたこの班の班長だろう者が二人に話し掛ける。
「司令官からは五分間のみの面会だとお聞きしています。……しかし此処だけの話、本来ならば貴方方であっても許可する事は出来ません。なのでこれは司令官と、我々だけの内密な行いであるという事は頭の中に…」
「…分かってるさ。これでも一応、此処に収められている子ども達とは関係のあった存在だからね。予防線を引かれていたって無理もない」
「だがその事は重々承知の上だ。それに司令官の許可も得ている」
これならば問題はないだろう?と、言葉にしない視線を送られた班長は一瞬口を噤む。実にその通りだからである。司令官が許可を出したのならば、それに従わなければならない。彼は一度息を吐くと、二人にではこちらへ…と扉の前まで案内した。
「……念を押すようですが、呉々も、」
「…そこまで心配しないで。君達の立場を危うくするような事はしない」
「っ、!」
僅かだが肩が震える。それに気付いた彼等はやはりな、と瞼を落とす。何せこれから機密のことを行う。故にもしもこの件が漏れて、後に疑いをかけられたら…と恐れているのだ。
「……悪いな。気に病ませた」
「っ、いえ。……っ、では今から五分間のみ、面会を許可します」
大きな音を立てて扉が開かれる。次第に漏れる光は多くなり、見えた先にはこちらを振り返っている生徒達が居た。
…無傷で、ただ服装のみが変えられている。しかしそれだけで良かったと思える。浮かぶ表情は決して明るいものではないが、それでも彼等に傷が無いのなら…それだけで、今は十分だった。
生徒達は入って来た烏間と柴崎の姿に目を瞠き、そして何処か安堵したような笑顔を浮かべた。
「烏間先生!!」
「柴崎先生!!」
座っていた者は立ち上がり、立っていた者は体を二人の方へ向けた。………さぁ此処からだ。此処から、この場の全員を欺く。騙すための" 演技 "が開始される。
「…お願いです、出して下さい」
先に話し掛けてきたのは渚だ。彼は一番に二人の近くへ寄った。
「行かせて下さい、学校に」
「そースよ!!烏間先生と柴崎先生なら此処から俺らを出せるでしょ!!」
渚の言葉に誘われたように木村が声を上げて求める。此処から出してくれ。お願いだ。殺せんせーの元へ行かせてくれと。…しかし烏間も柴崎もその表情に苦渋なものを浮かべた。そうして先に口を開いたのは、烏間だった。
「君等が…、焦って動いて睨まれた結果がこの監禁だ。こうなっては俺達も何もしてやれない」
…生徒達にとって、その言葉はまさかだった。まさか、今この状況で頼れる存在だと思っていた者達から、手を離されてしまうなんて…と。
「行きたければ寧ろ待つべきだったな。警備の配置が完了して、持ち場が定まれば人の動きは少なくなり油断も生じる。5日目以降…といったところか。そこまで待てば包囲を突破出来たかもな」
しかしだ…。国はそこまで甘くない。完全なる準備と手立てを構えて作戦を実行していくはずだ。
「…いや、万が一麓の囲いを抜けられても山の中でバリアの中に入る前に捕まるだろう」
違うか、という目を烏間は柴崎に寄越した。それには意見を尋ねる意味も兼ねてもう一つ、意味があった。それは「次はお前の番だ」というもの。柴崎は彼から受け取った意味を理解し、その通りだと生徒達へ伝えるように頷いた。
「烏間の言う通りだね。…あの山の中を守るのは、君達を拉致した精鋭部隊。「群狼」の名で知れ渡る傭兵集団で、ゲリラ戦や破壊工作のエキスパート達だ。部隊員は30人にも満たないけど、世界中の山岳・密林で恐れられた彼等は少人数で広い山中を防衛するには、今回の件に於いて正に適任な部隊」
……そして更に、此処で最も恐れなければならない存在。
「……そんな猛者達のリーダーが、「神兵」と渾名されるクレイグ・ホウジョウ。彼を前にして無傷で居ることはまず不可能だ」
柴崎の言葉に生徒達は息を飲む。一瞬慄いたのだ。…未だ見ぬ、その神兵の存在に。
「最早人間業だとは思えない程の戦闘力に加え、この地球上の凡ゆる戦場で経験を蓄えた最強の傭兵」
そして頭を過るのは先程擦れ違った彼の姿。……あの時、肌で感じた。報告や名ばかりではない事実を。
「…さっき、俺も烏間も初めて直に見た」
……会うまでは、何処かあり得ない気持ちがあったのかもしれない。噂にして流れてくる彼、ホウジョウの話を。
素手でライオンを引き千切るだって?…そんな、まさか。あれは百獣の王とまで呼ばれている
存在。それを目の前にして息の根を止められるどころか、逆にその身を引き裂くだなんて…信じられない、と。
……だがあれは嘘では無く事実なのだと、彼を見て直ぐに感じた。これは恐らく過去の職故の勘。彼は只者ではないと本能から察してしまうものだった。
柴崎は目の前にいる生徒達を見遣る。……これは脅しではない。これは、
「あれは異常だよ。どう考えても俺と烏間の三倍は強い。戦闘で
一度彼を本気にさせれば、それこそ勝ち目なんてない」
……これは、情報だ。今後彼等を待ち受けるであろう" 敵 "の詳細。予め知っている状態から策を練るのとそうでないのとでは、成功率は格段に違ってくる。…だから知らせるのだ。あの山の頂上、殺せんせーが居るあの場所へ向かうまでには、群狼という精密部隊とそれを率いる神兵と渾名されるホウジョウが待ち構えているのだという事を。
「…だからもう、諦めるんだ」
……だからまだ、諦めないで。君達ならば彼等全員を倒せるだけの力がある。地に伏せさせられるだけの技術がある。培ってきた暗殺能力がある。…今までだって乗り越えられるか分からない困難が何度もあった。けれどこのE組生徒達は皆実戦で思わぬ成長を見せてきた。ならばきっと今回だってそうだ。きっと、きっと、彼等はあの山の頂上まで、彼の居るあの場所まで辿り着ける。
「っ嫌です!!」
一際大きな声で拒否をした渚。……それを見た烏間と柴崎は思う。もしも今、ここで笑みを浮かべて良かったならば浮かべていた、と。……本来ならばあれだけの事を聞くと、普通ならば震えてしまうはず。…けれどやはり、違っていた。震えるどころか歯向かってきた。
「殺せんせーと…話してない事が沢山ある!!やりたい事も沢山ある!!」
…そして否定をし、拒否をし、心に想う願望を我慢する事なく吐き出してきた。……あぁ、これがどれほど嬉しい事だろうか。希望を捨てずに居てくれるその姿が、今どれ程烏間と柴崎の心に安心を与えてくれた事だろうか……。
ありがとう。…本当にありがとう。と、伝えたい。……けれどまだ駄目だ。まだそれはしてやれない。何故なら此処からなのだ。此処から、今度は更に後ろで控える軍兵達をも" 騙す "行いをしなければならない。
「だからお願いですっ!!行か…っ、!」
行かせて下さい!!…そう発せられる筈だった渚の言葉。だがそれは烏間によって襟首を掴まれ、そして床へ強く叩き倒された事によって消えてしまった。
「出せない。これは国の方針だ。…よく聞け渚くん」
襟首を掴んだ手をそのままに、烏間は彼を持ち上げると目と目を合わせた。
「俺と柴崎を困らせるな、分かったか!!」
彼からの言葉に黙り込む渚。…しかし浮かんだ表情は何かを察したような、何かが浮かんだような、そんなものだった。
するとそこへ磯貝がカルマの名を呼ぶ声が聞こえた。自然とそちらへ目を向ける。すると今丁度彼が、カルマが柴崎へと殴りに掛かっていた。…だがその腕はいとも容易く掴まれ、足を掛けられると彼もまた渚同様に床へと倒されていた。…酷く、鈍い音が室内に響く。
「…っ、なんだよ、あんたも結局社会人?いざとなったら保身の為に上の命令に従うんだ…?」
痛む背中に眉を顰ませ、カルマは見下ろしてくる柴崎にそう言った。…視線と視線が絡み合う。その瞳には何が映っているのか。その瞳の奥には何を考えているのか。…心の内に抱くその" 課題 "に対するこの" 答え "は合っているのか。カルマは問い掛け、そして投げ掛けるように彼を見続けた。
「…その通りだよ。地位がなければ何も出来ない。……肝心な時には誰一人として守れない」
柴崎は一瞬目を細め、それからそっとカルマから手を離す。
「…だからその為の頼みの綱があるのなら、俺はそれを取るだけだ」
そうして静かに落とされるその言葉。柴崎は上体を起こすと、未だ目を逸らさず見てくるカルマを見下ろした。
「それに俺自身と烏間自身の信念に基づいても…、あれは殺すべきだと考えている」
だが彼から目を離し、近くに立つ烏間へと視線を投げる。
……そう。もう終わりに近付いているのだ。この" 演技 "も、与えられていた時間にも。柴崎は生徒達に背を向けた。それには烏間も倣う様にする。……此処を出て行くのだ。最後に、情報と示唆だけを残して。
「君達も三日くらい頭を冷やして良く考えるんだ。……これから何を、どうするべきなのかをね」
…振り返らなかった。やれる事はやったのだ。あとは、それを彼等がどう捉えるか。
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