「あの学舎に場所を限れば、彼等は世界最強の暗殺集団だ」
……しかしそれでもただ一つ。決して侮ってはならない存在がいる。
「……だが、ここからが正念場だ」
「正念場?」
「あの精鋭部隊相手なら、彼等は問題なく突破出来る。…でもそれを率いるトップだけは、侮っちゃいけないんだよ」
……精鋭部隊「群狼」を纏めるトップ。名をクレイグ・ホウジョウ。
「…あの男が本気を出せば、戦況は一瞬でひっくり返る」
何せ彼はあの百獣の王を相手に息の根を止めるどころか逆に引き裂き、…そして生き延びた男。並大抵ではない事くらい、嫌でも伝わってくる。
「い、一瞬って…っ」
「それ程の男だと言う事だ。……奴は油断ならない。だからこそ彼等があの男に出会えば、決して驕ってはならないんだ」
「…一瞬の油断が命取り。…それこそ、あの子達はあいつに会えないまま散る事になってしまう」
「そんな…!」
もう、此処からは何一つの助言もしてやれない。手も貸してやれない。……だがあの時十分に烏間も柴崎も情報を渡した。油断するなと。侮るなと。過剰過ぎるほどに相手の能力を見積もり、そしてその技術・能力・団結力で攻めに攻めろと。
だから思い出すんだ。暗殺の、暗殺者の基本を。焦らず、隙を見せず、見縊らず。……逆にこちらは劣勢だと思い込ませ、最後は捩じ伏せる。彼等程の者達ならばそれを成す事が必ず出来る。…その事を、烏間も柴崎も信じているのだ。
「…でも実際の話、此処であぁだこうだ言ったところでどうにもならない」
「シバサキ…」
「それにあの子達は…、今もあいつに会う為に、…それだけの為に必死になってる」
会いたい。会いたい。…もう一度、会いたい。会って話したい。会って、まだ側にいたい。…ただそれだけで、それは酷く純粋な感情。何かに向けて懸命になることは誰しもみんなが出来ることではない。…そうなる程に、その者の心を突き動かした。そうさせるだけの何かが、彼、殺せんせーにはあった。だから生徒達は今必死なんだ。ただ前へ、ただ彼の元へ行く事を胸に現状へ立ち向かっている。
「……だから俺達は信じてあげないとって、凄く思うよ」
…今、あの山のどの辺りにいるんだろうか。精鋭部隊を倒して、もしかするとあの男に出会ってしまっているかもしれない。その存在を目の前にして、萎縮しているかもしれない。と思えば、殺き気に満ちていたりするのかもしれない。…E組の生徒達はあぁ見えてみんな、心に火が付けばそれは容赦のない暗殺者達ばかりだから。
「……シバサキは、あのガキ共が本当に大切なのね」
「え?」
「…ふ、そんなことは今更だ。……だから辛かっただろう。今回の件は、特に」
…何故なら嘘を吐いて、大切な彼等を騙さなければならなかった。殺せんせーを悪者に仕立て上げて、守る為に残酷な言葉も吐いた。…" 国 "という立場にいる以上、従わなければならない面も少なくなかったことも事実。…けれどいつだって、歯痒い気持ちはあり続けた。……本当ならば駆け寄って、抱き締めてあげたい時もあった。本当ならばあんな部屋から早く出させてあげて、早く、一分でも一秒でも早く、" 彼 "と生徒達をなんの障害もなく再会させてあげたかった。
……だから辛いか、辛くないか。そう問われたならば、恐らくその答えは…一つしかない。
「……うん、辛かった」
「シバサキ…」
ふ…っと、視線は下がる。何もない床を見つめて、瞼を閉ざせば思い出される" 彼 "の姿や生徒達の姿に、胸が痛くなった。
「……会いたいだけなのにね」
「……」
「…、」
「……あの子達はただ、大切だと思う先生の願いを叶えたくて…。今も一人でいるあいつに会いたくて…」
心のままに、真っ直ぐと…。あんなに純粋な願いをどうして等閑になど出来ようか。
「……此処で終わりになんてしたくないと思うから、…だからあんなにも懸命になっているだけなのにね」
大人はルールに従いたがる。…いや、従わなければならないようになってしまったのだ、この世の中は。規範が全て。ルールは正しい。…そんな凝り固まった世界で、みんな息をして生きている。
「………会わしてあげたいなぁ…」
…けれどそんな世界でも、彼等は第二の刃で立ち向かおうとしている。その姿がどれ程立派なことか…。本当に良く成長してくれたと、嬉しくて、嬉しくて、…嬉しくて堪らない。
…そして願わくば、本当に死という道しか残っていなければ。……その時は、あの子達の手で、安らかに眠らせてあげたい。
「…、」
「…大丈夫だ」
頭に触れた手が、優しく髪を撫でる。
「信じているんだろう?彼等を」
「烏間…」
「…信じているから、お前はあの策を立てた」
全ては守るためだった。国から、あの子達を守るため。" 彼 "の願いを、生徒達の願いを、守り叶えさせてあげるため…。だからあの場の全ての者を騙すという演技をした。諦めないでくれという想いとは裏腹に、もう諦めろと…、嘘を吐いた。けれど吐かなければならなかった。…吐かなければ、情報を渡してあげられなかった。
「『信じるのに数字なんて必要ない』…そう俺に言ったのは柴崎、お前だぞ」
何一つとして真っ直ぐとは教えてあげられない。…だから気付いてくれ。気付いてくれると信じて、何もかもに偽りを被せるから。君達ならば察して、答えを出してくれると信じているから。
…一度も二度も、その心を傷付けてしまったと思う。手の平を返され、裏切ったのだと思った者だっていたと思う。…けれどそれは承知の上で、可能性の数字も出さずに彼等へ信用と信頼の全てを置いた。
「…もう此処まで来た。なら最後の最後まで、必ず彼等はあいつに会えると信じてやれ。……あの子達の教官だろう?俺も、お前も」
「…っ、…うん、そうだね」
…何を弱気になっていたんだろう。会わせてあげたいな、なんて…そうじゃない。…彼等は必ず会う。必ずあいつと再会する。そう心から思わずに、一体どうするんだ。
口先の信じるだなんて誰にでも出来る。上辺だけの安っぽい信頼など、今も懸命に現状へ立ち向かっている彼等には失礼過ぎる。烏間の言う通り、柴崎も彼も彼等の教官。…なら今は、生徒達を何処までも信じてやるのが二人の役目である。
「…ありがとう、烏間」
「構わない。…それに、お前に沈んだ顔は似合わないからな」
「え、…そうかな」
「ふふ、それはカラスマの言う通りね。…あんたは笑った顔が一番似合うわ」
「イリーナ…」
彼が目を向けた先には笑うイリーナと、そして優しい表情を浮かべた烏間が居た。そんな彼等の姿が今、胸の奥を温かくしてれて、…知らず知らずのうちに自然と笑みが浮かんだ。
「あ、それよそれ!」
「え?」
「確かに、今浮かんだ笑みが一番お前らしい」
「えっ、?」
そんな事を言われても分からない。だから柴崎はどんな笑み?と二人に尋ねる。
「んーー、優しい感じかしらね?こう、癒されるというか…」
「…全然分からないよ」
「自然とこちらまでホッとさせてくれる笑みだな」
「……、…ん?そんな顔してる?」
「してる」
「しているな」
「そ、そう…」
ホッとさせてくれる、という部分で先程見た烏間とイリーナの表情を思い浮かべた柴崎。しかしそれを自分がしているという自覚がまるでないので、彼は全然知らなかった…とポツリと零す。それには烏間もイリーナも小さく笑った。…知らない、という事は自然という事。彼は気付いていないかもしれないが、それはとても素敵なことだ。
「…ま、気付いてないのもシバサキの良さね」
「…まぁな」
…するとそこに、烏間と柴崎の携帯に着信が入った。少しばかり緩まっていた空気。だがそれも、まるで糸が張ったかのように緊張が走った。携帯を取り出し、画面を見る。映し出された名前に二人は顔を見合わせ、そして出た。
「…はい、烏間です」
「もしもし、柴崎です」
……さぁ、電話の向こうの相手は何を伝えるのか。中身を聞く事数分。二人は了解の言葉を返して電話を切った。
「…電話、なんて?」
イリーナからの言葉に、烏間も柴崎も息を吐く。それから静かに言葉を落とした。
「……彼等が皆、奴のところへ辿り着いたそうだ」
「!じゃあ…!」
「…会えたんだよ。あの子達はみんな」
今は、三人しかいない。ならばもう、笑顔を浮かべたって良いだろう。烏間も、柴崎も、イリーナも…。良くやったと自然にも笑みが浮かんだ。
「…なら行くか。俺達にも彼等がバリアの中へ入る事が出来た場合、進入の許可は得ているからな」
「ふふ、そうだね。行こっか」
「〜〜っはぁぁ、もう!やるじゃないあのガキ共!」
見直したわ!と笑顔を浮かべるイリーナ。彼女も彼女で、心配だったのだ。生徒達が皆無事に山の中から、そして" 彼 "の元へ辿り着けるかどうかを。
それから三人は防衛省を後にし、軍兵が立ち入りを禁止している区の一つの入り口まで来た。そこには今も尚厳重に警備をしており、しかしそれが彼等の役目なのだと思うと等閑にも出来なかった。…彼等は" 彼 "の本当の姿を知らない。だからこそ報道され、教えられている想像から、民間に被害が出てはいけないと、彼等は彼等のやり方で守ろうとしているんだ。
「…!…烏間さん、柴崎さん…」
ある一人の男が彼等に気付いたのか、振り向く。すると他の者達も二人の姿を見て一様の行動をした。その中で此処の班を担っているであろう班長が代表して彼等に話しかけた。
「……伝達の程は、貴方方にも通達が行かれたと思います」
「…あぁ。司令官直々から通達を得た」
「生徒達が囲みを突破し、バリアの中に入ったとね」
…ならばあの約束は動く。何せ司令官本人から許可は得ているのだ。それを翻す方法など、此処を守る彼等に有りはしない。
「…それについて今俺達が此処にいる理由は、君達も上から話が通されているとは思うけど、」
「はい…」
「ならば問題はない。…俺達も校舎へ行く必要がある」
軍兵達は皆グッと口を一文字にする。…しかし、これは既に" 決定 "された事項。…故に今、烏間と柴崎、そしてイリーナをこの先へ通すことを許可しない、なんて事は出来ない。
「…っ、お、お気を付けて…!」
だから彼等は敬礼をした。どうか無事のご帰還をと。それには烏間も柴崎も小さな笑みを僅かに浮かべ、そして彼等軍兵達に背を向けた。…もう此処に用はない。迎うべき先は、生徒達と、そして" 彼 "が居るあの山の上だ。
「…随分変わったな」
「ん?」
烏間は歩みを止めずに、そっと口を開いてはそう話す。
「もう俺と、お前とでは…あの28人を太刀打ち出来ない」
「…想像以上に大きくなってくれたからね」
星の瞬く空を見上げる。…彼等は正しく、この天高く煌めく星のよう。一人一人が酷く輝き、一人一人が誰しもの目に止まるほどになった。決して見落とす事の出来ない、思わず目を止め息を吐いてしまう程に…素晴らしい存在へと生まれ変わった。
「…生徒の成長とは、嬉しくも悔しいもんだな」
「…ふふ、今じゃあの子達に負けちゃうね」
「ふ、…あぁ。本当に、何処までも油断のならない暗殺者になった」
だからこそ、とても誇らしく思う。全ては君達一人一人が今まで頑張って来た証なんだと…。伸び悩み、それでも懸命になり励んで来た、動かぬ努力の結晶なのだと…。
「…泣いてるかしらね、今頃」
「…どうだろう。泣いてる子も居るかもしれないね」
「…だが、…それももう構わないだろう」
流れ落ちるその雫が、" 彼 "に会えた嬉し涙ならば…。最早烏間にも、柴崎にも、イリーナにも、それを止める理由などありはしない。だから今は泣きたいだけ泣いて、そして再会出来たことへの嬉しさを隠さず出せばいい。きっと" 彼 "ならば、良く頑張った。良く此処まで成長してくれたと、心からの喜び共に君達を抱き締めてくれるだろうから。
prev | next
.