今まで何故殺せんせーが過去を話さなかったのか。それは今までの思い出の中で生まれた楽しさ、悲しさ、辛さ、嬉しさ、その他全てが枷なるから。彼が望む事への大きな枷。そして、生徒達一人一人が胸に抱く「暗殺者」としての意志が鈍ってしまうから。願うことなら楽しい暗殺を。笑って全てを終えられたなら万々歳。けれど現実は残酷で、真実は突き刺さる。
恐ろしく辛い難題が突きつけられたことを、生徒達は感じた。「殺すこと」が「難しい」のではない。この先生を「殺さなければならいこと」が「難しい」ということを。
柴崎とイリーナの頭に過るのはお互いに言った1つの言葉。
「…人を殺すって…、辛いもんな」
「…殺すってどういう事か、とても考えた」踏ん切れたが柴崎はシェリーを、そしてイリーナは殺し屋として、消えない過去を胸に抱いているからあの時言った言葉がまるで波紋の如く波打った。
「柴崎先生」
「!」
名前を呼ばれ、そちらを向く。変わらない表情がこちらを向いていた。
「申し訳ありませんが、茅野さんを病院まで連れて行ってあげてはくれませんか?私ではそれは出来ませんので。可能なら、烏間先生。貴方も一緒に」
烏間にも移るその視線。そんな中、茅野はそっと、側にいる柴崎を見上げた。優しいこの人の心の内はどうなっているのだろう。国と生徒と標的と。3つに挟まれる立場にいるこの人と、もう1人の頼れるあの人はどう考えいるのだろうか。
「(…先生は、また間に立って…苦しむんだね)」
前はFBIとシェリーと国と。茅野は微かに香る、コートから優しい香りに切なさを感じた。
「…分かった。ちゃんと彼女を病院まで連れて行こう」
「ありがとうございます。貴方方お二人になら安心して任せられます」
烏間がそう答える声が聞こえ、殺せんせーがそれに返す言葉が聞こえ、柴崎は1つ息をついた。一度閉じた目を開けて、側にいる茅野に目を向けた。
「…行こうか」
「…はい」
上着をかけ直し、彼女の体を柴崎は抱き上げた。
「…貴方が罪悪感を感じなくても大丈夫です」
「……」
歩き出した足を、殺せんせーの言葉で止められた。ほんの少しだけ柴崎より前にいた烏間はそれに気付き振り返った。
「もうすぐ、この冬を越えれば貴方とも一年の付き合いです。だから分かります。国と私と生徒達に挟まれてしまった貴方のその胸の内が」
烏間もそうだが、柴崎も優しい。自分の過去に関係はしていなくても、好きで得たわけではない力を持ってしまったせいで国から暗殺対象として銃口や刃を向けられ、更に命令として自分を殺す為に生徒達にその教育をつけさけたことに胸を痛めているはずだ。
「…一つ良いですか?」
「…なに?」
「私は貴方と似ていると思いました」
「は?」
その言葉に柴崎は殺せんせーの方を振り向き対面した。似ている?どういうことだ。
「貴方はシェリーさんを殺してしまったことを悔いた」
「っ、」
「っおい、」
「まあ待って下さい、烏間先生。私は責めているのではありません。勿論蒸し返そうとも思っていない。…私が雪村先生を死なせてしまったことと、貴方がシェリーさんを死なせてしまったこと。この2つの事柄に関するものが似ていて、少々驚いたのです」
あぐりは殺せんせーを守る為に死んだ。
シェリーは柴崎を追いかけたせいで死んだ。
これだけ見れば別物だが、どちらも話題の当人に殺されたのではなく、他のものによって殺された。
「貴方は優しい。だから彼女の死をずっと引き摺った。自分のせいだと。だが貴方は隠すのが本当に上手い。イリーナ先生の件があるまでは全く気付きませんでした」
「…はぁ。つまり何が言いたいの?随分回りくどいね」
分からない。語りかけてくるこれが何を言いたいのか。
殺せんせーは一つ小さく笑う。自分が当初抱いた後悔と罪悪感は彼女の残した言葉と意志と、そしてそれから後に出会った人達のおかげで覆われ、教訓として抱き、こうしてやってこれた。
そして彼はやっと数ヶ月前、数年ものの重い枷を外すことが出来た。…長年の付き合いある相棒と、この場にいる人間達によって。…とても似ている。自分と彼は。何故そう感じるのか。それはお互いにこの『暗殺教室』を通じ、救われた者同士だから。
「…柴崎先生、貴方は優秀な人です。真面目で、人の心の痛みが分かる。そんな貴方はFBIの為に、国の為にシェリーさんの死の罪悪感を心の内に隠し、そして感情を殺し、任務を遂行させた。…私が言いたいことは一つです。どうか私の為に感情を殺さないでほしい」
「…!」
やっと傷の癒えたその心を、どうかそれ以上傷つけないで欲しい。
「国の為に、生徒達の為に、私の為に…」
ゆっくり近付き、柴崎の前に立つ。また奇しくも間に立つ立場になってしまい、そのせいでその身に宿る心に、再び尖った鋭利な刃などもう刺さってほしくない。
「苦しむ貴方の顔を見るのは辛い」
だから感情を殺さないでほしい。抑えないでほしい。周りに見せられないのなら、貴方が心から信頼し想う人にだけでも見せてあげてくれ。…ほら、貴方の後ろにいる彼が、心配そうにこちら見ていますよ。
「…いつお前の為に感情を殺すなんて言った」
「……」
目線を殺せんせーに向け、視線と視線を合わせる。
「…俺の話をしておきながらお前がそんな顔をするな」
「…そんな顔とは?」
「……辛そうな顔」
「…していますか?そんな顔」
「…俺にはそう見えた。……人のこと言えないよ」
「にゅ、?」
首を傾げた殺せんせーに、この場には似合わない、息を吐くようなくすりとした笑いを静かに零した。
「…優しいのはどっちかな」
「……柴崎先生…」
殺せんせーの目が開かれる。それに音にもならない口元だけの笑みを浮かべた。一つ、冷たい風が優しく吹く。
「…どっちだと思う」
「………どちらでしょうかね」
「…なら宿題ね」
「にゅや?」
疑問の色を見せる声色を耳に、柴崎は彼に背を向け足を動かし止めている車へと向かう。歩きながら、口を開く。
「死ぬまでの宿題」
「!」
「必須回答だから無回答はなし。納得いかない回答なら無効」
「柴崎先生…、…貴方は…」
「だから必ず答えて」
言いかけた言葉を遮り、彼は殺せんせーを振り返ってそう言った。
「……それは、貴方の願いですか」
「…さぁ、どうだろうね」
一際強く吹いた風に乗って、殺せんせーの耳にその言葉が届いた。歩みを止めた彼の足は再び動き、残された者たちに背中が向けられる。もうその足が止まることも、振り向くこともなかった。
あぁ、貴方はなんて難題を押し付けてきたのか。殺し屋であった私にそんなことを問うてくるなんて。難しい、あぁ難しい。
「……鬼ですねぇ…」
けれど、それでもやはり、貴方は優しい。
「…これではいつまで経っても堂々巡りな答えしか浮かびません」
なんて難しい必須回答問題。どこの問題集にもこの答えは載っていない。どう答えれば、貴方が納得できる回答を私は提出することが出来ますか?
ねぇ、柴崎先生。
「……あいつなりの表現だ。無駄にするなよ」
「…分かっています。……追わなくていいんですか?待っているんじゃありません?彼」
「今から行く。……彼らはどうするんだ」
後ろにいる、まだ暗い顔をした生徒達を見て烏間は聞いた。
「私が責任を持って送ります。心配しないで下さい。彼にもそう伝えてくれますか?」
「…分かった。…後は任せた」
「はい」
それだけ言うと、烏間もその場を後にした。
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