truth

人には人の数だけ生き方がある。しかしその人生の中での人との出会いは、同じ人間でも全く違う。




冬の夜。冷たい風が吹く中、殺せんせーはその口を開き、己の過去を語った。

自分は殺し屋だった。死神と呼ばれていた。弟子に裏切られ、自分は売られ人体実験の対象になった。その実験の所謂リーダー格といえる男の名は柳沢誇太郎。有名バイオ企業の御曹司にして国際研究機関の主任研究員。

彼は天才科学者であった。彼が実験していたのは「反物質」たった0.1gから核爆弾並みのエネルギーを放出するものだ。一見すると夢のエネルギー源。しかし科学者達はこの「反物質」が石油や原子力の代わりになるとは思っていなかった。その最大の理由として挙げられるのは「生産効率的の悪さ」だ。爆発1回分の反物質を作るにはそれ以上のエネルギーが必要だったからだ。





「しかしその実験は最高機密。ですから監視役にはおいそれと外部の人間を雇いにくい。頭が冴え、口の固い人間がベストでした。…その人物というのが、雪村あぐり」


彼女は駆け出しの中学教師だった。夜は研究所で遅くまで柳沢を無償で手伝っていた。死神、基殺せんせーにとっては監視役や強化アクリルなどなくてもいつでも脱出するスキはあった。だがまだその機ではなかったのだ。



「大変真面目な方でした。朝から晩まで働いており、私は何故そんな激務をするのかと問うたことがありました。すると彼女はこう答えたのです」






「…実はお見合い相手なんです。断ると物凄く角が立つんですけどねっ。あははは…」





そう話した彼女の顔は、今もまだ覚えている。


それから幾度となく人体実験を繰り返した。彼の研究の核心は生命の中で「反物質」を生成させること。反物質生成に必要な「粒子の加速サイクル」を生命のサイクルに取り組み、巨大なエネルギーで細胞のエンジンを始動させる。その後のこの実験に関する「素人が聞いても理解不能」な超理論は、「死神」にとっては力を得る為の「材料」だった。


他の人間が考える以上に、「死神」の知識は並の科学者を凌駕していたのだ。暗殺の為にあらゆる知識を身に付けた彼。そんな彼が1ヶ月も実験台の上で過ごす頃には…、この超理論の要点をほぼ完璧に理解していたのだ。




「私は思いました。この実験を巧みに誘導すれば、成功確率は更に高まる。つまり、人知を超えた破壊の力が手に入ると」



確信した。このままいけば近い将来手に入る新しい力で再び破壊の日々へと戻ることを。

その間、実験以外の時間はあぐりとの少しの会話があった。本職が教師である彼女は度々部屋でテスト問題を作っていた。しかしパソコンの持ち込みは禁止な故、手作業だ。



「朝の6時から夜の7時までは教師の仕事を。夜8時から深夜2時までは実験台、つまり私の監視を彼女はしていました。女性だと侮れば痛い目を見ます。彼女は大変エネルギッシュな人だった」


問題をせっせと作る姿を見ては、それでは温いと駄目出しをし、問題をこちらから提示したことも。それを慌てて彼女が書き写していた姿は、今では懐かしい。



「最初は私の技術で彼女も洗脳出来ないかと考えました。あの施設内での彼女の権限は低かったですからね。…しかしそれよりも興味が湧いてしまった。彼女の生活に」


聞けば椚ヶ丘中学3年E組の担任をしているとかで。しかしそこは有名らしく、どう有名かというと…劣等生徒を別校舎に閉じ込め、主に新人教師が配属され一人で複数の教科を教えるそうだった。故に新人教師は総合的に教える力を鍛えられ、学校側は落ちこぼれに使う人件費も削減できる。…何とも合理的であると、聞いたときは思ったものだ。


彼女、あぐりによれば受け持つ生徒たちは皆諦めた顔をしていたそうだ。「自分達はE組だから」「今更頑張っても仕方がない」まるでそれらは口癖のようだったらしい。彼女からその話を聞き、自分も唯一の教え子に裏切られたことを死神は話した。問題はなかったはずなのに何故だろうか。その疑問に対する彼女の答えはこうだった。




「たぶんその生徒は…見て欲しかったんですよ。あなたに」


見ていたはずだった。そう、「はず」だったのだ。




それからも続く人体実験。柳沢の研究内容は革命的だった。現代科学の限界を5歩も6歩も飛び越えるようなもの。だが代償として…極めて大きな誤算も多かった。実験が進むうち、「反物質」が動き出した。実験から6ヶ月目。死神の体に現れた症状の1つをこう名付けた。それは「触手」




「実験が進み、自分の体が変化していく様を客観的か主観的か…。今ではどちらだったか分かりませんが、それでも彼女が私に向ける笑顔は変わらなかった。…まるで平和に笑い、そこだけが違う空間であるようでした。私はやっとその時気付いたのです。「見る」とはこういう事なのかと」


ちゃんと見る。中身も、外見も、小さな表情や変化も。思いや感情、その他全ても。「見られる」ことの嬉しさや大切さを、その時最強の殺し屋である死神は初めて知った。



「実験から一年が経つ頃、私と彼女とのあの空間は何でも話せる…そんな場所でした。誰も見ていない時間帯を見付けて、私は自ら生い立ちを話しました。……戸籍もない。自分の本名も、生まれた日も何も知らない。優しい言葉は暗殺の為の武器であり、笑顔は人を欺く為に身につけた事も」



同時に彼女の話も聞いた。許嫁にとって自分は召使であって女ではない事を。そして、彼女自身彼の才能を尊敬しているがどうにも好きになれない事。なのに律儀にあぁして自分の見張りを続けるあたり、彼女らしいとも思えた。


あぐりの趣味というか、ある意味才能の1つでもあったのが独特なTシャツである。実験当初から彼女の独特なTシャツには死神もポカンとしたのだ。そしてその生い立ちを話した日の彼女のTシャツもまた、奇抜で…だがここで初めて死神の新たな中身を知る事ができたのだ。



「私の心は嘘を吐いていた。しかし触手は正直だった。それを私は、また彼女から教えられました。この身に宿った「触手」は、まるで鏡のような存在で、本当の、本来の自分を映しているようだとね」



「あなたは少しHで頭は良いのにどこか抜けてて、せこかったり意地張ったり、…そんな人になっていた。優しい笑顔もビジネスじゃなくて、貴方は本当に優しい人」



その言葉を聞いた時、何と返答すればいいか思い付かず…ただ触手で頭を掻いた。あれは、恥ずかしかったのだろうか。それとも、嬉しかったのだろうか。


時間を共に共有出来るときは共有し、新しいE組が入って来た話や役者をしている自慢の妹がいる話も聞いた。



「…その妹というのが、茅野さん。貴方だったのです」



彼女はとても妹思いだった。妹のためにならない事はしない。必要なことだけをする。それは妹だけでなく生徒達にも同様で、温かく影から見守ってあげたいと、あの時彼女は話していた。

人間とは活かすもの。弱者とは育てるもの。それは「死神」の知らない世界だった。



ある日、死神はあぐりからプレゼントを貰った。首元が冷えると言った死神の言葉を覚えていたのだ。随分唐突だと死神は思い聞いてみた。すると彼女はこう答えた。



「今日、貴方と知り合えて丁度一年です。誕生日が分からないのなら…今日を貴方が生まれた日にしませんか?いっぱいお話聞かせてもらいました。いっぱい相談させてもらいました。出会えたお礼に…、誕生日を贈らせて下さい」



とても嬉しかった。今ならあの時の感情が分かる。あれは「喜び」だ。だから笑えた。とても自然に、嘘偽りのない笑顔を浮かべられたのだ。

しかし彼女と死神の間には隔たりがある。それは立場や関係とはまた違う、一枚のガラス。あぐりは言った。

直接付けてあげたい。なのに思い通りにいかない。それはプレゼントもそうだが、E組の子達もそうだと。もっと自分に腕があれば、もっと子供達全員に自信を取り戻させる力があれば。…しかし時間がなかった。柳沢から彼女は教師を辞めてここの専属で働けと言われていたのだ。だから教師として教鞭を執る事が出来るのは、今年が最後。最後だから、好きな仕事だから、今のE組生徒達の援けになりたい。




「そして触れたいと、言われました。…私に触れたいと。あれは彼女が初めて言った心からの願望のようでした。それでもガラスがあって触れられない。…なんとも歯痒いものです。あんなにも近くにいたのに、私は私の手で直接彼女に触れることさえ出来なかった」


けれど、たとえこの手で触れられなくても「触手」で触れられた。監視カメラにも映らない、極細の触手で。この事があぐりに知られる事は脱出のリスクになる。それでも死神は彼女に感謝を伝えたかった。「ありがとう」と。「大丈夫。貴方なら出来る」と。




「…しかし嬉しいと、そう感じられる時間はもうありませんでした。月が三日月になってしまった途端、時間は大きく動いてしまったのです」



マウスに移植されていた「反物質生成細胞」人間よりも老化の早いマウスを使っての実験を行い、念のため何があっても被害が出ない月面でそれは行われた。何も起きない、そう思われていた。


だが結果は最悪だった。細胞分裂が終わった瞬間、反物質生成サイクルは消滅せず、細胞を飛び出して外に向いた。月の物質を連鎖的に反物質へと変えて行き、そして直径の7割を…消し飛ばしたのだ。



「研究室はてんやわんやです。こんな筈ではなかった。何の問題もなく実験は成功するはずだったと。…月が蒸発するはずない、そう思っていたのです。そして研究結果の末、マウスと同じものを投与されている私にも同じ事が起きる。だから私は、「処分の対象」となりました」


死神がその話を知るきっかけとなったのはあぐりからの伝達であった。柳沢や他の研究員達が話すその会話を、彼女はたまたま耳にしてしまった。

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