柴崎の目に映る彼女はとても苦しそう。息をする事さえも。心が痛いと、辛いと、助けて欲しいと叫んでいるように見えるのだ。
今の彼女は悲しくも「殺す」という言葉が全てを占める。「死んでくれ」と心が叫んでいる。まだ茅野は幼くて、子供で…。なのに残酷なその言葉が彼女を支配している。それが酷く悲しく、辛く、心苦しい。
そして、抱き抱えるその思いの辛さや苦しさや悲しさを気付いてやれなかった不甲斐なさ。彼女は隠すのが上手かった。だが、隠すということはそう容易く出来るものではない。
全てを殺し、全ての封を閉じて鍵を掛ける。その難しさを柴崎は知っていたから、茅野がここまで隠し通して抱く想いや決意は並大抵ではないと感じたのだ。
「僅か十数秒の全開戦闘で…もう精神が触手に侵食され始めている」
イトナは茅野の表情を見てそう言う。
「触手の宿主への負担は恐ろしくでかい。肉体強化なしでこの1年を耐えた精神力も物凄いが、それは触手を温存してきたからだろう。…あそこまで侵蝕されたら、もう手遅れだ。復讐を遂げようが遂げまいが、戦いが終わった数分後には死ぬと思う」
見ているこちらが苦しくなる。死んでと叫ぶその声は、殺せんせーに向けられている。だが、死にそうなのは茅野の方だ。
「……なんとかなんねーのかよっ。茅野が侵蝕されていくのを見るしか…!!」
打つ手はないのか、そう思っていた時だ。外野全員の前に突然顔だけの殺せんせーが現れた。
「「「「うおっ!!!」」」」
「なんで顔だけ!?」
「先生の分身です!茅野さんの猛攻であまりに余裕がなさ過ぎて…!顔だけを伸ばして残像を作るのが精一杯です!」
その発言に烏間も柴崎も状況が状況なだけに笑えないがそれもどうなのかと渋い顔になる。
「手伝って下さい!!一刻も早く茅野さんの触手を抜かなくては!!彼女の触手の異常な火力は…自分の生存を考えていないから出せるものです!1分もすれば生命力を触手に吸われて死んでしまう!」
同じ触手を持つからこそ分かることである。
「ですが彼女の殺意と触手の殺意が一致している間は…触手の「根」は神経に癒着して離れません!イトナくんの時のように…時間を掛けて説得する暇がないのです!!」
「……じゃ、どうすれば……っ」
「手段は一つ。戦いながら抜きます。彼女の…というより、触手の殺意を叶える為、先生は敢えて最大の急所を突かせます。ネクタイの下に位置する心臓。ここを完全に破壊されれば先生は死ぬので」
敢えて危ない橋を渡るのだ。リスクが大きく、生か死かに二分される瞬間だ。
「触手が先生の心臓に深々と刺さり、「殺った」という手応えを感じさせれば…少なくとも「触手の殺意」は一瞬弱まる。その瞬間、君達誰かが…「茅野さんの殺意」を忘れさせる事をして下さい」
「……殺意を…」
「どうやって?」
「方法は何でもいい。思わず暗殺から考えが逸れる何かです。これだけは先生には出来ません。殺意の対象からふざけた事をされた所でさらに殺意が膨らむだけ。寺坂くんがイトナくんにやったように、君達の手で彼女の殺意を弱めれば、一瞬ですが触手と彼女の結合が離れ、最小限のダメージで触手を抜けるかもしれない」
「…その間ずっと先生の心臓に茅野の触手が?先生が先に死ぬんじゃねーのっ?…それに、柴崎先生と烏間先生のあの言葉だって…、先生守らねぇつもりっ?」
木村が殺せんせーの分身を見て少し声を荒げて聞く。あの時のあの2人のあの言葉。殺せんせーなら何かを感じ取り思ったはずだと、その場の誰もが思った。
「上手いこと致死点をズラすつもりですが…まぁ先生の生死は五分五分でしょう」
「五分って…そんなっ」
「でもね」
殺せんせーは片岡の言葉を遮る。遮ってまで伝えたいことがあった。
「クラス全員が無事に卒業出来ないことは…先生にとって死ぬ事よりも嫌なんです」
その言葉の重みや想いは、甚く生徒達の胸に残った。
「…烏間先生、柴崎先生」
そちらに目線を向ければ、分身である殺せんせーの顔も目も、2人に向いていた。
「約束は守ります」
「……」
「……」
「五分五分だと言いましたが、茅野さんを救う事を前提で考えています。だからリスクを背負うことになる。それでも、生徒達が悲しむ顔を見たくはありません。…そして、お二人の悲しむ顔も」
殺せんせーは知っている。烏間も柴崎も器用だが不器用だということを。常に国の思惑と現場の現状とで板挟みであり、それで多かれ少なかれ頭を悩ます事もあり、立場上弱音など大っぴらに吐けない事を。
国の為、世界の為。上層部からの圧力や厳峻な声。なんとかしろとの一方的な命令や、尻に火が付き煽られるような忙(せわ)しさ。加えて負わされる現場の責任。まるでそれらは鉛のよう。そしてそんな重苦しい圧力が2人の肩にのし掛かっている事を殺せんせーは分かっていて、知っていたのだ。
それでも、烏間も柴崎もそんな事は一言だって零さず、生徒達の安全と身の保証、そして国の為に毎日動き、働いている。仕事を今の生活の重きとし過ごす2人。そんな彼等があの時あの言葉を発した。命令に忠実な、この2人がだ。それは、彼等2人の小さな願望。普段口にされない、口に出来ない、溶けて消えてしまいそうな程脆い願いだった。
「必ず助けます」
「……今程お前の言葉を信じた事はないよ」
「…彼等が今最も望む事を裏切ってやるな」
「はい」
だから約束しよう。貴方方が初めて見せたその小さな願望を叶えるために。公に口に出して言えない、その淡過ぎる程の願いを。生徒思いで、何事においても頑張り過ぎる貴方方の望みを叶えると誓おう。
その時、鋭い触手の攻撃が殺せんせーの頬に当たる。
「うっ!!分身が保てなくなって来ましたっ。ここからは触手への対応に専念します!30秒ほど戦ったら決行します!!飛び切りのやつをお願いしますよ!!」
それだけを言い残すと、殺せんせーは茅野のとの戦いに意識を向けた。
「ど…どーすんのよ」
イリーナは隣に立つ柴崎にそう問いかける。
「あの闘いに乱入して、カエデの気を紛らわせって…ガキ共に一発芸でもさせろっての?」
その言葉に柴崎は一つ息を吐き、僅かに首を下に向ければ軽く額に指を当てた。その表情は憂わしげだ。
「…難題である事は分かってる。俺も烏間も重々承知だよ。…だがこの状況下での打開策がそれしかないのも事実だ」
「気をそらす事は闘いの上で重要視される内の一つ。だからこそ難しい。だが柴崎も言うように、今はそれしか方法がない」
「でも…一体どうやって気を逸らすのよ…」
「…銃もナイフも使えない。以前潮田くんが鷹岡にした猫騙しも、あれだけ彼女の意識の波長が乱れていれば成功しない確率が高い」
「……何か策はないか…」
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