教室内は今2学期末時期にある演劇発表会について話をしている。
「あ、ねぇ、シバサキ」
「ん?」
生徒達が教室内で数枚の紙を持ち、話し合っている中、その教室の前をたまたま通った柴崎をイリーナは呼び止める。
「なに?」
書類を持ち、窓際に立つ。するとイリーナはあのね、と口を開き話し始める。
「例えばの話よ?」
「?」
「ある一つの国で、王子は心から愛する一人の女性を見付けたの」
「…それで?」
お伽話か何かだろうか。しかしそんな話は存在したか、と聞きながらも思考を巡らせる。
「その女性も王子からの優しさや愛を感じて次第に王子を好きになって、2人は愛し合うの」
後ろで話し合っていた生徒達も柴崎がいることに気付き、さらにはイリーナが彼に何かを話しているのを見て少しそちらに意識を向ける。
「けどその女性の髪の色は黒。その国では黒い髪は悪を表すと言って昔から忌み嫌われていたわ。だから王子は、周りからその女性と関わってはならないと言われるの」
「へぇ…」
「けれど王子はその女性を愛していて、その女性もまた王子を愛している。互いに愛し合う2人を見て国王はこう言うの。「その娘と契りを結ぶ事はこの国王との血を切ることとなる」って」
つまりは親子の縁を切るという事だ。周りの生徒も、殺せんせーもイリーナのその突拍子もない語りを聞く。柴崎もまた、腕を組み、体の側面を窓に凭れさせ開いた窓から話すイリーナを見る。
「王子は悩むわ。血を取るか、愛を取るか。…シバサキならどうする?」
「俺?」
「あんたなら、どちらの選択肢を取る?」
当然の問いかけ。イリーナは思う。この人はどちらを取るのか。血か、愛か。2つの選択肢に迫られた時、どちらを捨てどちらを拾うのか。
柴崎は彼女から目をそらし、少し宙を見る。
「…どっちも取るかな」
「え?」
イリーナは暫し驚き、瞬きをした。宙を見ていた目を彼女の向ける。
「俺ならどっちも取る」
「…で、でも愛を取れば縁は切れて、縁を取れば愛が消えるのよ?」
「両方取れば縁は切れないし愛は消えないだろ?」
「!」
「第一黒髪だから悪を表すなんてどうせ迷信か何かだろうし。そんな確証のないものに怖がるようじゃ、その国も国王もたかが知れてる」
柴崎は窓から体を離す。
「親との縁が切れる事で迷うようならその王子はそこまで女性を愛していなかったし希薄な関係だった。その逆もまた然りだけどね」
体の向きを少し変え、片足は行く道の方を向く。
「自分の人生は自分で作るもんだよ。その国の秩序が嫌なら変えればいい。それに、迷信や周りの言葉に耳を貸して惑わされるようじゃ、その国の人間は体は大人でも精神は幼い子供だね」
純真無垢な子供の方がもっと良い答え出すんじゃない?そう言い残し柴崎はその場を去る。
「…両方取る、か」
「ビッチ先生、お伽話かなにか?」
中村がイリーナにそう言えば、彼女は教室内に体を向ける。
「私が本当に小さかった頃に読んだ絵本よ。内容が内容だけに、ずっと頭に残ってるの」
幼い頃、一冊のその絵本を手に取り読んだ。内容はさっき柴崎に話した通り。
「イリーナ先生」
「なによ」
「その王子は結局どちらを取られたんですか?」
殺せんせーのその言葉にイリーナは遠い昔に読んだその絵本のラストを思い出す。
「…王子は死んじゃったわ」
「えっ!」
「王子死んだのかよ?」
「なんで?」
「ずっと悩んで、それでも答えを出せなくて。実の親からも周りからも王子は急かされて決断を求められるの。愛している女性からも次第に責められるように答えを求めれる王子はその状況に耐えられなくなるの。ただ自分は好きな人と幸せに暮らしたいだけなのに…って」
「…絵本なのになんだか悲しいね」
「絵本だからこそよ」
「え?」
イリーナは一つ笑いを零す。
「絵本だからより悲しく感じるの。もう絵で語られてて、自分で想像が出来ないんだもの。それに大人になったらあまり読まないでしょ、絵本なんて。子供の頃に読むから、印象が強いと頭に残るのよ。あの頃はただ読んでいただけだけど、今考えれば思うわ。2つの選択肢を求められた時、人はどちらを選ぶのかってね」
そう言うと、イリーナは柴崎が消えた方への顔を向けて笑う。
「あの絵本の中の王子がシバサキのようなら、きっとあの物語の結末はハッピーエンドな気がするわ」
周りに惑わされないで、そんな噂や迷信なんてひっくり返して、「ほらね、黒髪だけど不幸なんて訪れなかった」って笑って。喧嘩して笑って泣いて、愛する人と幸せに暮らして、生まれてくる子の顔を嬉しそうに、幸せそうに親となった自分と自分の親とで覗き込んで笑う。そんな結末。
イリーナは窓に凭れて目を瞑る。
「あーぁ、私もシバサキと結ばれてハッピーエンドになりたいわ〜」
「ははっ!なんだよー、結局それかよ、ビッチ先生っ」
「しんみりするから何かと思ったら〜」
「でも柴崎先生とそうなれならきっとすごく大切にしてくれそうだよね!」
「あら、桃花ったら分かってるじゃない!」
「えへへっ」
少しだけしんみりとしていた教室はまたいつもの騒がしさに戻る。その様子を殺せんせーは優しく見守る。
「(人は選択を迫られた時、多くの人が迷ってしまう。しかしその迷いの中でも、彼のようにどちらも手放さずどちらも得るという一見貪欲な考えは何かを救う時もありますね)」
しかし…
「…彼はもうハッピーエンドを掴んでしまいましたがねぇ」
掴んだのか、掴まれたのか。それは分からない。そしてまた、彼はスタートラインに立ち歩いている。ある種、2度目の人生のスタートラインに。
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